唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第二能変 標名門 第二・第三の釈

2011-01-09 17:34:43 | 第二能変 標名門

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 三国連太郎著 親鸞 『白い道』 スクリーンショット 「永劫の彼方へ葬り去られた 民衆の のたうち叫ぶ呪詛に満ちた 息づかいが地を這う  浄土を求めて止まなかった 民衆の現世 またの名を 彼らは憎悪をこめて “地獄” と呼んだー。」

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   第二能変 標名門 (5) 第ニ・第三の解釈

 次は第二の釈なり。

  「又意という名のみを標せることは、心と識とに簡ばんが為なり。積集し了別すること、余の識より劣れるが故に。」(『論』第四・十二左)

 (また第七識について意という名のみを標示しているのは、第七識を心(第八識)と識(前六識)から区別するためである。その理由は第七識は積集し、了別することは他の識より劣っているからである。)

 八識はすべて心・意・識と名づけることができるけれども、増勝の義によって第七識を意と名づけるのである、と。

 「積集の心の義と了別の識の義とは余の識より劣るが故に、後の心(第八識)と、前の識(前六識)とに簡ばんとして但意という名を立てたり。恒・審するが故に。」(『述記』第四末・五十一左)

 積集(しゃくじゅう) - 蓄積すること。こころを心・意・識とに分類するとき、心の堆積する働きを積集という。深層の根源的な心である阿頼耶識が表層の業の結果である種子を堆積する働きをいう。又、業の結果である種子を集起する阿頼耶識が心であると解釈する。この場合には集起(じゅうき)といい、「集起の故に心と名づけ、思量の故に意と名づけ、了別の故に識と名づく。」といわれている。

 以上のように第七識を “意” というのは、第八識の積集(種子集起)の心と前六識の了別の識とを簡ぶためである。それは、第七識は積集と了別とにおいては劣っているが、恒審思量の働きに於いては増勝の義、すぐれた特徴があるから、第七識を意と表現するのである。

 次に第三に云く、

  「或いは此れいい、彼の意識の與(ため)に近き所依たりということを顕さんと欲して、故(かれ)但意とのみ名づけたり。」(『論』第四・十二左)

 (或いは第七識は、第六識のために近所依となるということを顕そうとして、ただ意とのみ名づけたのである。)

 近所依の三条件

  •  相順すること。 - 第六識と第七識は行相相順ずるからである。
  •  計度すること。 - 第六識と第七識は計度分別すること同じである。過去・現在・未来に対して思い計り推量し執着を起こすことをいう。
  • 與力 - 第六識が認識対象を認識する時は第七識が力を与えるのである。

 「七が境を縁ずる時に第六いい力を与えるに非ざるなり。故に六には識有り七は但意と名づけたり。

 第八も亦ぢ六に力を与えることを簡ばんとして、故に復近と言う。彼をば、遠き所依と為すべきが故に。五十一に第八有るに由るが故に末那有り、末那を依として意識転ずることを得と云へり。故に彼の第八をば遠き所依と為し、此れをば近き依と為す。」(『述記』第四末・五十一右)という。

 以上で第一段 標名門(出能変体釈其名義)の説明が終わります。次からは第二段 所依門が説明されます。 


第二能変 標名門 (5)

2011-01-07 22:47:04 | 第二能変 標名門

Image191   本願寺聖人伝絵下末 第四段 箱根霊告

 親鸞聖人が箱根権現の翁の饗応(きょうおう)を受けられるところが描かれています。

 「聖人、東関の堺を出でて、花城の路におもむきましましけり。或日晩陰におよんで箱根の険阻にかかりつつ、遥に、行客の蹤を送りて、・・・」(真聖p734)

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    第二能変 標名門 (5) 意と意識の相違

  第七識を意と名づけ、第六識を意識と名づける理由

 三釈あり。

  1. 第一の釈は 「然も諸の聖教には、此れが彼に濫ぜんかと恐るるが故に、第七の於には但意という名のみを立てたり。」(『論』第四・十二左)

   (第七識を意と名づけ、第六識を意識と名づける理由について、『述記』に問いが設定されています。護法の答えにたいして、護法が問いを立て、答えているのです。

 「問う、今は名を得ること既に各不同なり、何が故に六と七と並に意識とは名づけずして、而も第七の於には但意という名のみを立てるや。若し意識と名づけば是れ持業をもって名を得と顕はしつ。但名づけて意と為ること竟に何の理有るや。」 と記されています。 即ち、第七識も第六識も意識と名づけてもよいはずなのに、第六識を意識と名づけ、第七識を意という名のみを立てるのか、それにはどのような道理があるのか、という問いですね。)

 第一の釈の説明は、第六も第七も意識と称するならば混乱が起きる恐れがあるので、諸の聖教には第七識には意という名をたてるのである、という。そしてその反対の問いも立てられるのですね。第六識を意といい、第七識を意識と名づけてもいいのではないか、というものです。にもかかわらず、第七識を意というのは何故なのであろうか。前項でも説明されていましたが、意は持業釈で、意=識であり、意で第七識を説明しているわけです。意識は依主釈であって、第七識を所依として成り立っている識を意識というのですけら、これは第六識に限るわけです。いうなれば、理が成り立たないわけですね。意識という場合は「意根に依る識」なので、第七識を意識とはいわず、意と名づけるのです。

 『樞要』二「第七は持業、・・・第六は依主・・・若し第六に一の意を標して識と言はざれば、自を顕すあたわず。第七に識を加えば、依主に濫ぜんかと恐る。故に第七には但意の名を標す。・・・第六に識を加えることは他に依るが故に名を得るを顕すが故に。」と述べられています。

         次は第ニの釈です。明日書き込みます。


第二能変 標名門 (4) 問いに対する答え

2011-01-06 22:47:48 | 第二能変 標名門

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                      板敷山 弁円済度の図

 「聖人常陸国にして、専修念仏の義をひろめ給うに、おおよそ、疑謗の輩はすくなく、信順の族はおおし。しかるに一人の僧 山臥云々 ありて、ややもすれば、仏法に怨をなしつつ、結句害心を挿んで、聖人を時々うかがいたてまつる。聖人、板敷山という深山を恒に往反し給いけるに、彼の山にして度々相待つといえども、さらに其の節をとげず、倩ことの参差を案ずるに、頗奇特のおもいあり。よって、聖人に謁せんとおもう心つきて禅室に行きて尋申すに、聖人左右なく出会いたまいにけり。すなわち尊顔にむかいたてまつるに、害心忽に消滅して、剰後悔の涙禁じがたし。ややしばらくありて、有のままに、日来の宿鬱を述すといえども聖人またおどろける色なし。たちどころに弓箭をきり、刀杖をすて、頭巾をとり、柿衣をあらためて、仏教に帰しつつ終に素懐をとげき。不思議なりし事なり。すなわち明法房是なり。聖人これをつけ給いき。」(『御伝鈔』真聖p733)

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     第二能変 標名門 (4) 問いに対する答え

            「意」という名の由来

 「此れは持業釈なり、蔵識という名の如し、識即ち意なるが故に。彼は依主釈なり、眼識等という如し、識いい意に異るが故に」(『論』第四・十二左)

 この段は昨日の問いに対する答えになります。 (此の第七識を意識と称する場合は、持業釈(じごっしゃく)である。これは第八識を蔵識と名づけるのと同じであり、識即ち意である。彼(第六意識)を意識と称する場合は依主釈(えしゅしゃく)であり、これは眼根等に依る識を眼識等と名づけるのと同じである。第七識を意識という場合は識と意は同じものを指すが、第六識を意識という場合は、識と意とは異なるものである、という。)

  •     第七識   意=識  意が識自体を指す。(持業釈)
  •     第六識   意根による識(意根を所依とす
  • る識)、即ち、意根(第七識)を所依とする識であるという意味で意識と名づけられる。(依主釈)

 総じて意識の二字を釈す。

  「意というは、是れ自体なり。識というは即ち意なり。六釈(六合釈・りくがっしゃく)の中に於いて是れ持業釈なり。・・・阿頼耶識を蔵識と名づくるが如し。識の体即蔵にして亦是れ此の釈なり。此れは彼と同なり。故に指して喩と為す。いかんぞ此の釈を為るとならば、識体即意なるが故なり。其の第六識は体是れ識なりと雖も、而も是れ意には非ず。恒・審するものに非ざるが故なり。

 (第六識依主の釈) 彼の依主釈というは、主というは謂く第七なり。・・・眼識等というが如し、というは眼は是れ所依なり。而も体是れ識なり。眼に依るの識なり。故に眼識と名づく。何んぞ此の釈を為るとならば、識いい意に異なるが故なり。能・所依別なり、依に従って名を得たり。」(『述記』第四末・五十左)


第二能変 標名門 (3)

2011-01-05 22:31:28 | 第二能変 標名門

201012152252100dd      稲田の草庵跡・西念寺

      『親鸞の風景』(茨城新聞社刊)より

 聖人越後国より常陸国に越えて、笠間郡稲田郷という所に隠居したまう。幽栖を占むといえども、道俗跡をたずね、蓬戸を閉ずといえども、貴賎衢に溢る。仏法弘通の本懐ここに成就し、衆生利益の宿念たちまちに満足す。此の時、聖人仰せられて云わく、「救世菩薩の告命を受けし往の夢、既に今と符合せり。」 (真聖p733)

              ー    ・    ー

   第二能変 標名門 (3) 意と意識について

 「此の名、何んぞ第六意識に異なる」(『論』第四・十二左)

 (意を以て此の識の得名とするならば、どうして第六意識と異なるというのであろうか。)

 意を以て第七識の名とするならば、第七意識といってもいい、そうならば、第六意識と異なるというのはどういうことなのか、又第七識を意といい、意識と云わないのは何故か、という疑問がでてきます。『述記』によれば、「問いの中に二有り」、二つの問いの意味があるといっています。

 「述曰。 問うて曰く、八識と言うときの如き此れも亦識と名づく。末那を意と名づけ、総と別と合論して即ち意識と名づけたり。又、『瑜伽論』六十三に云く、識に二種有り、一には阿頼耶識、二には転識、此れに復七種あり、謂はゆる眼識乃至意識といえり。即ち是れ第七を名づけて意識とす。此の名何ぞ第六意識に異なるや。一のは則ち総と別とを合して名づけたるを以て理と為して難じ、二のは論文を以て例と為して難ず。」(『述記』第四末・五十右)

 『述記』によれば、

 (1)総と別があり、総じては八識はすべて識と名づけられる。別としては第七識は意と名づける。しかし総・別を合わせると第七識を意識と名づけ得られるという。ここに第七識を意識というのと、第六識を意識というのには、どこが違うのかとう問いが生まれます。

 (2)『瑜伽論』六十三の記述から「転識に七種あり」と説かれている。この七番目の転識を意識という。そうとするならば、第六番目も意識であり、第七番目も意識であるということになり、どこにその違いがみられるのかという問いが生まれます。  

 この二つの問いから『論』に答えられているのです。簡単に説明しますと、 

 (1) 第六意識は、第七識である意を所依として起こる識である。依主釈である。第七識は持業釈である。識の体、そのものが意であるということ。意即ち識である。

 (2) 恒審思量の故に意の義は、特に第七識に親しい。

 (3) 第七識は、第六識のために近所依となるということを顕さんとして、第七識を意と名づけるのである。

 この答え(1~3)については次回に詳細します。


第二能変 標名門 (2)

2011-01-04 20:49:03 | 第二能変 標名門

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 親鸞聖人御絵伝 上 第五段 (願生寺様 HPより転載 ・ http://gansyoji.jp/index.html

              第二軸・第一図 「選択付属」

 「吉水の禅房の情景です。向かって右半分は親鸞聖人が、法然上人
から『選択本願念仏集』を授けられているところが描かれ、左半分は
吉水の禅房で、元久2年7月29日、法然上人がご真影に讃銘され、
それを親鸞聖人に授けているところが描かれています。」

            -      ・       -

        第二能変 標名門 (2) 末那と名づく

 「是の識をば聖教に別に末那と名けたり、恒に審に思量すること、余識に勝れたるが故に。」

 (この第七識は聖教において他の識とは別に末那と名づけられる、何故なら恒に審に思量すること、他の識に比べて勝れているからである。)

 この科段は名義を釈し、別名末那を釈す。

 一に「総じては識と名づける。」、末那というは意であると。阿頼耶識は心といわれ、六識は識という意義がある。総じて識と名づけられるのは、『楞伽経』に「識に八種有り」と云うをもって、識といえば通名である。『瑜伽論』巻六十三に「諸識を皆、心・意・識と名づくと雖も、義の勝れたるに随って説かば第八を心と名づけ、第七をば意と名づけ、余識をば識と名づくといえり。」というのが、聖教に説かれている証になるわけです。諸識をすべて心・意・識と名づけるのは通名である。しかしそれぞれの勝れたる特性をもって説くならば、第八識は心といい、第七識は意といい、その他の識は識と名づけられる、という証文を以て「是の識をば聖教に別に末那と名けたり」と述べられているわけです。

 二に「又、諸識をば皆、意となすと雖も、これが為に意を標して余識は然んばあらずといはぬとぞ。総称を標すと雖も即ち別名なり」と、諸識は皆「意」と名づけられるが、その働きから、第七識が意というにふさわしく、諸識に別して特に意と名づけるのである。何故ならば、「恒に審らかに思量すること」が他の識より勝れているからである。「何が故に諸識を別に意と名づけずとならば、恒・審に思量すること余識に勝れたるが故なり」(『述記』)どのように勝れているのかは、次のようである。

  •  恒 ー 第六識・前五識は恒ではない。不恒である。第六識は審らかではあるが、恒ではない。
  •  審 - 第八識・前五識は審らかではない。第八識は恒ではあるが審らか思量するという働きはない。前五識は縁に依って生起するので、恒でもなく、審らかでもない。

 恒に審らかに思量するのは第七識のみであるので、第七識の特性である思量をもって末那と称し、マナス=意、と名づけるという。

 出世の末那といわれることもありますが、その場合は自在位によって名づけられ、そこには未自在位の末那は転依して平等性智と名づけられ、末那とは名づけないのであって、即ち有漏にのみ名づけられ、無漏には存在しないのである、といわれます。又「�莖倒の思量を遠離して正思量有るが故に」、無漏にも通じて末那と名づけるのである、と。正思量の義をもって末那ということもあるのである。


第二能変 ・ 標名門 (1)

2011-01-03 18:04:50 | 第二能変 標名門

Img05 親鸞聖人、遠流の地、居多浜

 承元の念仏弾圧の記録は『教行信証』化巻末(真聖p398)に記されてはいるが、どこに遠流されたかは、明確にには記されていない。しかし、『歎異抄』(真聖p641)には「親鸞は越後国」と記され、『血脈文集』(真聖p599)に「流罪越後国国府」と記されているところから、現、新潟県直江津市であったことが知られる。写真は遠流の地、居多浜、荒れ狂う日本海を目の当たりにして、配流の生活の苦難さを思わずにいられない。大体遠流の地は塚と呼ばれる死人を捨てる所に一間の堂を立てて日暮しをするわけです。その有様は「夜は雪・雹(ひょう)・雷電ひまなし。昼は日の光もささせ給はず。心細かるべし」(日蓮・『種々御振舞御書』)という日蓮の記事からも窺える。しかし、親鸞聖人は、この地で命とともに生きる人々と出会うのである。

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 第二能変 依所問以弁其相(所問に依って其の相を弁ず)

 問、 何故に本識には所依を云わずして、次の能変の中に彼の依の体を解釈するのであろうか。

 答、 本識は諸識の根本であるので、七転識の為に所依となる意義を顕す。第七識は第八識の為に所依となる意義は隠されているので、よってその所依は出さないのである。第七は既に第八の余である。よってその依の体をだす。

 問、 もしそうであるならば、本識は七転識の為に所依である意義は明かである。何故にこれを説かないのか。

 答、 前頌にすでに説いた。彼の頌に 「恒に転ずること暴流の如し」 と。「流の如し」の言の意義は、余識を生ずることであるので、これは即ち依の義であること明らかである。

 問、 では何故に第七識は第八識の為に所依となることを説かないのか。

 答、 影略門である。初能変には、ただ所縁のみを解釈した。故に前の頌に「執受処」と言うは、これである。第三能変にはただ所依をのみ解釈する。故にのちの頌に「本識に依止す」と言う。第二能変には所依と所縁とを具に顕す。

 問、 何故、本識には界繋を出さないのであろうか。

 答、 本識は異熟能変と称され、異熟というのは三界繋続であるので論主は略して述べない。いずれの界に随っても異熟をば彼の界に繋続するので、第二能変も同様である。(『述記』第四末・四十七右)取意。

          ー 第一門・標名門 (1) ―

 「論に曰く、初の異熟能変の識に次いで、後に思量能変の識の相を弁ずべし」(『論』第四・十二右)

 長行により説明する。 (下に二文有り) 

 一に八段を以て十門を依釈する。

 二に二教六理を以て此の識有りと証する。

 初の段に二有り(初がさらに二つに分かれる)。一に、頌を解釈し、ニに問答(第七識を意と名づけた場合に起きる問題を検討する)

 本頌を解釈するのにまた二つに分かれる。一に、第七識の能変の体について説き、二に第七識が末那、意と名づけられる理由について説かれる。これは一である。

 「頌の初句の第二能変を解して、まさに思量能変識の相を弁ずべしと云うは、即ち頌の中の能変という言を出すなり。能変の名を釈することは第二巻(『述記』第二末)に解すが如し。」(『述記』第四末・四十八左)