唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

ブログをはじめるにあたって。

2019-12-08 11:41:44 | 生きることの意味
今日は。ブログは2009年より綴って最近に至っていますが、初めの投稿から少し自分を見つめ直したいという思いから、Twitterと連携して週一のペースで更新できればと思います。
先ず初めに、「生きること」のプロローグを書いてみます。
「私が本当に大切にしているもの。人それぞれ違うでしょうが、月並みに「幸せ」でありたいと思っているのではないでしょうか。私も「幸せ」でありたいと思っています。しかし現実は自分の思いとは裏腹に一向に幸せ感が達成できません。それどころか、いちばん嫌だと思っているいざこざが絶えないのが日常の在り方です。何故なんでしょう?ではなぜ思いと違った方向に行くのでしよう。心の闇と一言で片づけるには、大きな問題が横たわっています。闇の問題は、自分を大切にという思いから、他を大切にしていない事実が浮かび上がってくるのですね。自と他を結ぶ接点は、利害関係を共有するか、利害の関わらないところで時間を消費するかの二点に絞られると思いますが、他を大切にしていないということが自ずから自分も大切にしていないということに気づきを得ないところから発生してしまうのですね。自分ひとりの力で生きていると思っている人はいないと思いますが、そこに誤解を生じているのではないですか。「他」を大切にするのではなく「利用」している。「他」を「利用」することにおいて自分を大切にしていると思っているのではないでしょうかね。このような「他」と「自」の関係を仏教では「顛倒」であると教えています。「顛倒」ですから「他」と「自」の関係を元に戻してやればよいのです。「自」を成り立たせているのがほかでもない「他」であったと頭が下がればよいのです。右手と左手、これが合わさった姿が人間として一番美しい姿ですね。「合掌」といいますが、「他」に合掌してみましょう。必ず生活が変わります。そこから何かが見えてくるはずです。そこから見えてきたものこそ大切な宝物(智慧)なのです。一番身近な家族の中で手を合わせてみてはどうでしょうか。実践ワークです。お金はかかりません。そんなこと言われても、手は合わされませんと気づかれると思います。まず、第一の問題点発見です。何故手が合わされないのか、ヒントは既に述べました。僕も実践してみます。お便りお寄せください。

友に送るメッセージ

2014-05-20 21:44:17 | 生きることの意味

 友に送るメッセージ

 先日あるところで、あなたの話題がでました。聞く所では、聞法と家庭の間で心が揺れ動いているように思えました。しばらく聞法会は欠席という判断をされたようですが、それで納得されているのでしょうか。

 僕は、21歳の時、どうしても僧侶になりたくて、生活そのものが僧侶に成るための準備そのものでした。しかし、僕の本気度を試されたのか、今思えることは「お前本気で僧侶になろうとしているのか」という問いだったと思えます。

 父から「僧侶になることは許さない」というきつい言葉でした。ただ父の言葉だけでしたら、たぶん家を出てでも僧侶になったかも知れませんが、母を幼くして亡くし母親がわりになって面倒をみてくれた叔母に向かって父が「こんな息子に育ててくれと頼んだ覚えはない。どんな躾をしたんだ」と罵ったのです。叔母から「頼むから僧侶になることはあきらめて」と泣きながら説得をされました。

 僕は、その言葉に逆らうことは出来ませんでした。しかし、逆らうことは出来なかったことに追い打ちをかけるように、仏教のいろはを教えていただいた坊守さんが亡くなられ、僕の後ろ盾もなくなってしまい途方に暮れている時に、「すまないが君の面倒をみるには親の許しをもらってきてくれ」といわれ、万事休すでしたね。しかし、その時は思いませんでしたし、考えもつきませんでしたが、僕が本当に「死しても悔いなし」といえるだけの気持ちがあったのか、本当に、「自分に向き合っていたのか」、僧侶になること自体が自分から逃げていたのではないのかと思えるんです。

 その証拠に、僕はなにもかも投げやりで、ケセラセラというその場限りの人生をつづけていくことになりましたからね。

 Tさんの場合は、自分では「聞法一筋」と本気なんでしょうが、「あなた本気」と試されているのだと思います。僕の場合は本気ではなかったということです。一種のはやり病いみたいなものだったんです。僕は思うんです。本当に、この道一つという決断があれば、すべてを失っても悔いは無いという心構えが必要だと思います。どうなってもいいではないですか。どうにもならん人生がどうにもならんままに生かされて、悔いのない人生に花が咲くんではないですか。

 40数年前、人生の岐路にたちはだかる我執という罠、僕は気づきませんでした。最近やっと、ああ狭いところで考えていたんだなあ、と思えるようになりました。

 Tさん、Tさんはどうなりたいんですか?自分の思いの世界で満足なんですか?そうではないと思います。しかし、奥様から問いを投げかけられているのは、Tさんの本気度(自分中心になっていませんか)が試されているように思えてなりません。


雑感

2013-11-13 23:52:55 | 生きることの意味

 私の思いを超えて、深層の意識が働いている、阿頼耶識。アーラヤ、それは雪山、万年の雪をいただいているヒマーラヤを目の前に見て、ヨーガ行者は、深層の意識に蓄えられている金剛石を見だしたのである。その頂は善悪を包み込み、何事も分別無く受け入れていて盤石である。そんな不動の意識が私の中で確実に働いていることを知っていたのであろうか。

 アーラヤ識、その位は我愛現行執蔵位という。迷ってる位という意味である。しかし唯だ迷っているというわけではない。

 アーラヤ識を自相として転回してくる世界は広大無辺である。私が、今、ここに、現に、存在していることを異熟、過去世から今に至るまでの業種子が開花した今という意味である。業種子を一切種子識といい表している。一切という意味は、何事も捨てず、分別せずに受け入れている平等性を表している。私は差別の中心となって時をわかたず、自他差別の中心的人物をして刃を振り下ろしている、しかし、その底に流れている意識は、何事にも覆われず、平等性を生きている。この平等性を法性法身というのではないであろうか。平等性を通して知られる世界、それが法性・真如・無為自然として語られる世界なのであろう。

 アーラヤ識、その持ってる世界観は、人間観でもあり、人間像でもあるのであろう。アーラヤ識、真如無為自然界と一如である。アーラヤ識を自相として転回されてくるのが、果相であり、因相である。

 迷いは、倶生として表されている。倶生の法・我執と真如は一体である。矛盾しているが同一である。そこに救済の事実があるのであろう。

 迷っていること、矛盾しているが、救われているのである。

 私たちは、それを信ずるのみである。信が自相なのであろう。根本本願は第十八願だといわれている。「至心・信楽・欲生」の三心が説かれている。迷悟に関係なく、私は私を信じて生きている。いうなれば勝解者であり、信解している。それは深層のアーラヤ識の純粋性によるものなのだろう。純粋性は三界を超えている。「勝過三界道 究竟如虚空 広大無辺際」である。すべてを包みこんでいる。それを自相としている。そこには浄土に迎えとるという働きがあるのであろう、因相といい、欲生と表わされている。ならば、至心は果相である。果相とは、善悪業果位という。因は善悪、果は無記という位である。私が生きている現今は無記という平等性をもっているのである。いつ、いかなる時であっても無記である。真如が具体性を持って私の命の深層で働いている。一切の有情に、である。

 アーラヤ識を根本識として転識しているのが私の意識である。私の分別識のその真っただ中にアーラヤ識が働いている、なんということなのであろう。私にはなにも捨てるものはなかったのである。「門徒もの知らず」と祖母はよく語っていた。ようやくその意味が、分別を超えた世界を語っていたのであるということが頷けるように育てられてきた。有り難いことである。

 無為涅槃界がアーラヤ識と異にすることはないと語ってることは、迷・悟は異ではないということであろう。救いはすでにして成就していたのである。無始以来である。「この身今生にして」という、今生に「救済の事実」に頷くことであろう。

 親鸞聖人は生涯「救済の事実」を如来回向とし、働きを、本願力として私に回向されているのではないであろうか。事実は還相であり、頷きが往相なのではないであろうか。往相・還相、私の中にあっては、アーラヤ識として私を支えている。P1010019
 

 『群萌響命』 という書物がでました。


「無慚無愧のこの身にて」

2013-05-31 00:14:04 | 生きることの意味

 「第六意識の中で善の心所は語られるのか」

 私たちの心は前五識(眼・耳・鼻・舌・身識)と第六識・第七<wbr></wbr>識・第八識の八つの心をもっているのですが、信・慚・愧・念・定<wbr></wbr>・慧という善の心所はどこに働くのかと云う問題があります。第七<wbr></wbr>識・第八識は位に随って有る場合とない場合が有るということです<wbr></wbr>。位というのは有漏位(煩悩の有る位)・無漏位(煩悩の穢れがな<wbr></wbr>い位)のことです。根本煩悩は我執ですから、ここは我執が有る場<wbr></wbr>合は善の心所は働かないというのです。そして無我の境地になりま<wbr></wbr>すと十一の心所はすべて働くといっています。第七識も第八識にも<wbr></wbr>我執が働いているときは善の心所は働かないといっているのです。<wbr></wbr>働いているのは善でも悪でもない無記の心は働いているというので<wbr></wbr>す。命は善でも悪でもなく無記(善とも悪ともきめることができな<wbr></wbr>いこと)なのです。ですから我執も無記になります。しかし我執そ<wbr></wbr>のものは無記なのですが、我執が起こって...いる時は煩悩が働いていますから、善の心は起きないのです。「法<wbr></wbr>」を立場とする無漏位の境地に立ちますと善の心所はすべて働くこ<wbr></wbr>とになるのですね。そして意識ですね。第六識が働くときは十一の<wbr></wbr>心所すべてが働くといわれているのです。こうして仏教の勉強をし<wbr></wbr>、また聞法をするということには善の心所が働いていることになり<wbr></wbr>ますね。聞法をしようという意思決定が私の上に善の心が自ずとし<wbr></wbr>て働いてくるのですね。前五識はどうかといいますと、護法唯識で<wbr></wbr>は共に働くといわれるのです。善の心所すべてが働き動くというわ<wbr></wbr>けです。これはどのようなことであるのかといいますと、前五識そ<wbr></wbr>のものは感覚作用ですが、第六識の影響下にあるわけです、第六識<wbr></wbr>に支えられて前五識は働いているという関係になります。「成所作<wbr></wbr>智(じょうしょさち)」とありますが、この智慧は前五識が転じた<wbr></wbr>ものなのです。(前五識が転じて仏智として顕れたものー仏の四智<wbr></wbr>の一つ)表層の意識から深層の意識へと自分を見つめる眼差しが深<wbr></wbr>まっていくのですが、深層の意識では善の心所は働かないというの<wbr></wbr>です。これは何故かといいますと、命の根源は善悪を超えた平等の<wbr></wbr>世界を戴いているのですね。しかし第六意識は善悪の判断を常にし<wbr></wbr>ているわけです。ですから第六識ですね。ここに心所として善が置<wbr></wbr>かれているのですね。この表層の意識なのですが、これは第八阿頼<wbr></wbr>耶識を根本識として影響を受けているのです。「五識は縁に随って<wbr></wbr>現じ」・「意識は常に現起す」といわれています。深層の阿頼耶識<wbr></wbr>を因とし、さまざまな縁を補助因として五識は表面に現れてくるこ<wbr></wbr>とになるのです。これを転識といいます。意識は自ずから分別を起<wbr></wbr>こすことが出来、「内外門に転じ」といわれ、自己の内と外を対象<wbr></wbr>とすることが出来るので有るといわれているのです。ですから「多<wbr></wbr>くの縁を籍りず」と意識が生ずるためにには多くの縁を必要としな<wbr></wbr>いといわれているのです。阿頼耶識を根本原因とはするのですが、<wbr></wbr>意識の働きは私の精神生活にとっては大変重要な役割を持っている<wbr></wbr>のです。表層から深層へという流れは第六識がキーポイントになり<wbr></wbr>、第七識で我執として色づけされ、第八識に種子として薫習される<wbr></wbr>のです。聞法するという行為も意識から生まれてくるということが<wbr></wbr>大変意義のあることでしょう。

 「無慚無愧のこの身にて」

 善の心所である慚・愧について学ばせて<wbr></wbr>いただいていますが、今、思う所を少し述べてみまう。私は<wbr></wbr>いつも「支えられてある命」の恩徳を忘れ、自分が生きていると思<wbr></wbr>っています。誰にも迷惑をかけず、私は私の力で生きているのだと<wbr></wbr>自負しているのです。自分の力で何でもできると自負しているのな<wbr></wbr>ら、満足をして生活をしているのかといえば愚痴や不満といった、<wbr></wbr>やるせなさを伴った生活をしているのです。これは「支えられてあ<wbr></wbr>る命」に反逆している相であると思うのです。「そうではなかった<wbr></wbr>んだ」という反逆者の自覚が慚愧を生み出してきます。この慚愧が<wbr></wbr>非常に大切な心のあり方であると教えられています。「慚」という<wbr></wbr>のは「自と法との力に依って賢・善を崇重する」「自」とは自身、<wbr></wbr>「法」とは仏の教え。私たちの中にある善を求める心と仏の教えに<wbr></wbr>依って恥を知るということです。「慚」も「愧」も恥じるこ...と、という意味です。「愧」というのは「世間の力に依って暴悪を<wbr></wbr>軽拒する」「世間の力」とは世間体です。世間の人は自分の事をど<wbr></wbr>のように見ているのか、よく見せたいという力に依るわけです。自<wbr></wbr>己の問題と、世間体とに依って悪行を止息する、悪いことをしない<wbr></wbr>、そして乱暴な行いや、軽はずみなことはしないということになる<wbr></wbr>わけです。自己の内面に依って「慚」、自己の外面に依って「愧」<wbr></wbr>、ともに恥じる心です。これが人として人を継続していく力になる<wbr></wbr>わけです。その逆が無慚無愧で「人と為せず」といわれる所以なの<wbr></wbr>です。 「大王、諸仏世尊常にこの言を説きたまわく、「二つの白<wbr></wbr>法あり、よく衆生を救く。一つには慙、二つには愧なり。「慙」は<wbr></wbr>自ら罪を作らず、「愧」は他を教えて作さしめず。「慙」は内に自<wbr></wbr>ら羞恥す、「愧」は発露して人に向かう。「慙」は人に羞ず、「愧<wbr></wbr>」は天に羞ず。これを「慙愧」と名づく。「無慙愧」は名づけて「<wbr></wbr>人」とせず、名づけて「畜生」とす。慙愧あるがゆえに、すなわち<wbr></wbr>よく父母・師長を恭敬す。慙愧あるゆえに、父母・兄弟・姉妹ある<wbr></wbr>ことを説く。善いかな大王、具に慙愧あり、と。乃至 王の言うと<wbr></wbr>ころのごとし。(『涅槃経』・真聖P257)
  心の働きは不思議ですね。瞬時に変化しますから。どうしてでしょ<wbr></wbr>うか。これは考える以前の問題でしょうか。僕なんかは、いつも起<wbr></wbr>こってしまった事を考えていますから、何とか理屈をつけて解釈し<wbr></wbr>ています。あとから、あとから解釈するものですから、解釈するこ<wbr></wbr>とに忙しいのです。それが人生と思っていますから、いつも暗いの<wbr></wbr>ですね。実際は自分で思い考えるより先に自我意識は反応している<wbr></wbr>んですけどね。それに素直になればいいのですが、素直に成れない<wbr></wbr>自分がいるのですよ。例えば「ほめられる」と「わかってくれてい<wbr></wbr>る」とのぼせ上がるますし、反対に「けなされたり、怒られたり」<wbr></wbr>しますと、瞬時に頭から血の気がひいて落ち込みます。我執が乱高<wbr></wbr>下するんです。我執って面白いと思うのはへこたらないですよ。く<wbr></wbr>じけません。立ち上がるのです。怒られても、けなされても上を見<wbr></wbr>つめています。慢心と教えられていますが、「ほめられる」と有頂<wbr></wbr>天、「けなされる」と卑下慢と、どちらもしたたかに私の考える以<wbr></wbr>前に行動を起こしているわけです。それともう一つ不可解なことが<wbr></wbr>あります。朝、隣人に挨拶しますでしょう。反応がないんですよ。<wbr></wbr>機嫌が悪かったりしてね。こんな時も「何で」と考えてしまいます<wbr></wbr>。自分の都合によって心はどのようにでも変化するのですね。です<wbr></wbr>から何をしでかすか、わかりません。他人事はいかようにも批判す<wbr></wbr>るのですが、評論家になればプロです。しかし自分のことはわかり<wbr></wbr>ませんね。自分の生活は何?後片付け?受け止めることができない<wbr></wbr>ものですから、火の粉を振り払うようにあくせくしているわけです<wbr></wbr>。それで苦しんだり悩んだりしてストレスがたまっていくのです。<wbr></wbr>そのストレスを何かによって解決しようとしているのです。「何か<wbr></wbr>によって」というのが問題ですね。満たされない問題を代役によっ<wbr></wbr>て一時満たそうというものですから無理があります。次から次へと<wbr></wbr>代役を求めてさ迷よはなければなりませんからストレスが沸騰する<wbr></wbr>のです。いずれ爆発します。そうしたら何が満足させるのかという<wbr></wbr>ことになりますね。親鸞聖人は「煩悩の所為なり」・「いよいよ往<wbr></wbr>生は一定とおもいたまうべきなり」と言っていますが、すごいです<wbr></wbr>ね、瞬時に起こってくる様々な心の変化は「煩悩の所為」であり、<wbr></wbr>それだからこそ「いよいよ往生は一定」であるというのですから。<wbr></wbr>煩悩が悪いわけではないのでしょう。確かに煩悩はわたしの身心を<wbr></wbr>煩わしますが、それに振り回されるのは私の都合ですね。どんなに<wbr></wbr>辛いことであっても喜びを感じることもありますでしょう。その反<wbr></wbr>面、目の前のものを取ってと言われて不快感を催すこともあります<wbr></wbr>ね。すべて自分の都合に合わせているのです。それがわかればいい<wbr></wbr>のですね。そこに慚愧心がいただかれ、無慚無愧のこの身がいただ<wbr></wbr>かれるのです。親鸞聖人は今ある事実を解釈するな。煩悩のなせる<wbr></wbr>行為であると直視せよ、と教えているように私には思えます。
 「無慚無愧のこの身にて
   まことのこころはなけれども
   弥陀の回向の御名なれば
   功徳は十方にみちたまう」(『正像末和讃』)

 

「人間として生まれて」を考える

2013-04-29 00:14:32 | 生きることの意味

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「人間と生まれて」を考える

 人間として生を享け、この荒波の人生を歩んで行くときの根本の問題は、どのように平和で暮らしやすい世界を構築する、ということではなく「自己とは」どのような者であるのかを知ることが一番であると、清沢先生は問いかけられています。いつの世も「どのようにしたら、戦いのない、平和で暮らしやすい世界を構築することが出来るか」を命題として、時の為政者は考えていたはずです。その結果人間の歴史は戦いの繰り返しに帰趨したのでしょう。これは、外界(環境)を変革することに於いて人々の暮らしがよくなるのだという呪文がもろくも崩れ去っていると、いってもよいのでしょう。それは外界(環境)をいくら変革しても、その結果、自縄自縛になってしまうのです。今の世の中いささか暴走しすぎではないかと常々思っているのですが、ここから退一歩することはもう出来ないのでしょうか。その鍵は「自己を問う」ことに於いて何が一番大切なことであるのによって伺えてくるのだと思います。源信僧都は「それ、一切衆生、三悪道をのがれて、人間に生まるる事、大なるよろこびなり。身はいやしくとも畜生におとらんや、家まずしくとも餓鬼にはまさるべし。心におもうことかなわずとも、地獄の苦しみにはくらぶべからず。世のすみうきはいとうたよりなり。人かずならむ身のいやしきは、菩提をながうしるべなり(中略)」というお言葉を遺されています。人間とは菩提を求める存在であると指し示しておられます。菩提を求める存在、これが真の人間像ではないでしょうか。人として生を享けたということは菩提を求める千載一遇のチャンスを得られたということなのですね。その意味で人間のことを「機」ともいわれます。私たちはすべてを物資化して、その価値を量っていますが、それでは本当の価値が見出せないのではないのです。生命を維持するためには「食」することは欠かせないことではありますが、「食」するために生命を維持しているわけではありません。他の生命を「食」しているわけですが「いただく」という言い方をします。大変きれいな言葉なのですが実際は「略奪」奪っているのではないでしょうか。「いただいてください」という命などどこにもないのです。奪って私の命をつないでいる、この私の命を「問う」ことが根本の問題なのではないでしょうか。これが「人間として」生きていくことの大切な問題であると思います。菩提を求める存在、仏教では菩薩といいますが、菩薩が人間としてのあり方を示唆していると思います。「上求菩提、下化衆生」上、菩提を求め、下、衆生を教化することをもって人間の道とする。親鸞は「自信教人信」に生きよと教えられました。また曽我量深先生は「信に死して、願に生きよ」と教えておられます。「願に生きん」これが親鸞の人間としての道、真宗の菩薩道なのでしょう。
私達が日常当たり前としていることに大切な意味があるのではないですか。暑さ、寒さを感じるのは当たり前。朝、目覚めるのは当たり前。朝、トイレにいくのは当たり前としていませんか。実はこれは当たり前の事ではないのですね。大変驚くべき出来事なのです。私の父は先年、94歳で他界しましたが、生前は、腎臓に疾患があり、排尿が自分では出来なかったのです。膀胱から直接、カテーテルを使用して体外に排出していました。また家内は腸閉塞で月に一度は絶食します。これは排出がスムーズに行われないからなのです。私達は排出・排尿は当たり前のように思っていますが、違うのですね。本当は「でてくださってありがとうございます」です。また身体の機能が正常に働かない人も沢山おいでになります。しかし父や家内をみていますと、不自由な身体にもかかわらず、生かされてある命の大切さを身をもって感じているようです。それに引きかえ私は何事も当たり前としていますから、生かされているという感覚より、生きているとしか思っていません。日常、当たり前としている事が、当たり前ではなかったのだ、と知ることが大切であると、父や家内から教えられています。
「人間の尊厳」とよく言われることですが、どこを指して「人間の尊厳」といわれるのでしょうか。いのちあるもの。生きとし生けるものを衆生(sattva)といわれています。人間もその衆生の一つのあり方なのですね。また心の働きや感情を持つ者という意味で有情とも言われます。これは人間も他の動物も衆生であり、有情であるわけです。衆生(有情)といわれる限り、人間も他の動物も平等の命を賜って、人間だけが特別というわけではないのです。金子みすずさんの詩に『お魚』と題する深いまなざしの歌が読まれています。「海の魚はかわいそう。 お米は人につくられる、牛はまき場でかわれてる、こいもお池でふをもらう。 けれども海のお魚は なんにも世話にならないしいたずら一つしないのにこうしてわたしに食べられる。 ほんとに魚はかわいそう」、また『大漁』では「朝やけ小やけだ 大漁だ 大ばいわしの大漁だ。 はまは祭りの ようだけど 海のなかでは 何万の いわしのとむらい するだろう」、金子みすずさんの感性の鋭さには驚かされます。私たちは、みすずさんの眼差しを真摯に受け止め、人間の傲慢さを恥じるべきではないでしょうか。そうしてもう一つ、他の命をいただいているその命の尊さを身に受け、命のあり方を問わなければなりません。「命のあり方」を問うこと、それが菩提心なのではなでしょうか。親鸞は浄土の菩提心について「浄土の大菩提心は/願作仏心をすすめしむ/すなわち願作仏心を/度衆生心となづけたり」「度衆生心ということは/弥陀智願の回向なり/回向の信楽うるひとは/大般涅槃をさとるなり」(『正像末和讃』・真聖P502)と菩提心と自信教人信のありかたを示唆しています。
 菩薩としての在り方は『華厳経』入法界品・善財童子の求道が思い出されます。五十三人の善知識を訪ね解脱する物語なのですが、一人一人訪ね歩いて行く中で、「人生とは何であるのか」を見極めていくのですね。この物語は東海道五十三次のモデルになっていることはあまりにも有名です。またこれは菩薩の階位を表すものでもあります。初発心の菩薩から仏に至るまでの五十三の階位ですね。それに『法華経』常不軽菩薩品に表されている常不軽菩薩の物語です。そこには「我れは深く汝等を敬い、敢えて軽慢せず。所以は如何、汝等は皆、菩薩の道を行じて当に作仏することを得べし」(すべての人々を敬い、軽んじあなどることをしないのです。)と菩薩の在り方を示しています。『大無量寿経』に説かれる法蔵菩薩も「一切の衆生を救わなければ我は覚りをひらかない」と菩薩の在り方を差し示しています。菩薩とは「衆生とどこまでも、深広無崖底の奈落のはてまで共に歩み、目覚めよと呼びかける」菩薩とは私に手を合わせながら、私の目覚めを待つ存在なのですね。そんな事を忘れて「これは私のもの」と自我に固執し、命の私有化を絶えず図っているのが私の姿なのでした。人間関係もお互いのエリヤを犯さない限りにおいて協調はしていますが、そのエリヤにひずみが見られますとすぐさま敵対するような危うい関係なのです。命の私有化を図りますと「然るに世人、薄俗にして共に不急の事を争う。・・・安き時あることなし。田あれば田を憂う。宅あれば宅を憂う。」(『大無量寿経』真聖P58)ということになり、その結果「人、世間の愛欲の中にありて、独り生じ独り死し独り去り独り来たりて、行に当り苦楽の地に至り趣く。」(同、P60)と孤独の淵に沈むことになるのでしょう。菩薩はその自我執心を鋭く見つめながら歩む存在といえるのではないでしょうか。
菩薩とは、絶対矛盾の自己同一という、西田哲学の命題ですが、その絶対矛盾の自己同一を生きる存在だと思うんです。自利と利他は矛盾概念ですが、絶対自利は絶対利他だと思います。末那識は分別ですし阿頼耶識は無分別ですから、これも矛盾概念です。末那識は、私たちは教えられていますから、知識として理解していますが実際はわからないです。水面下で漂う水のようなもので、聞法をして教えに触れたとき初めて迷いの心が見えてくるわけです。その迷いの心が阿頼耶識になるわけですから、私たちは阿頼耶識を通してしか末那識を知ることは出来ないのでしょう。「我執や」といってることの底に「我執」が潜んでいるのですから。これは龍樹の八不中道、否定の論理と同じことです。阿頼耶識は善・悪の判断はしないのですから、いうなれば白紙の意識ですね。こちらの色づけに染まるのです。位からいうと我愛執蔵現行位で、対象(所縁)となるのが種子・身・環境です。阿頼耶識は自我によって執着しているということも分別しないということでしょう。純粋だからこそ目覚めるということも可能になってくるのと違いますか。末那識と阿頼耶識は位が違うのでしょう。それと法蔵菩薩ですが、迷っている者・迷わせている者がいなかったら法蔵菩薩出現の意味がないないのですね。如来と私・法蔵菩薩と私、これは矛盾概念ですね。法に出遇うことを通して「如来は我なり」という法の深信が生まれ「されど我は如来にあらず」という機深信も生まれてくるのでしょう。親鸞聖人の和讃も機の深信と法の深信がおりなすハーモニーで自己が語られています。機と法、これも矛盾概念です。違うのは「位」が違うのです。接点は如来回向です。「至心に回向したまえり」によって、自己に於いて同一できるのですね。法を証明できるのは自己に目覚める一点によります。間違えますと自分が如来になったり、如来が迷ったりしますからね。「私は何を聞き、何を学ぶのか」を真剣に問い正さなければなりません。知識は必要ありません。僕は知識によってずいぶん迷いました。はじめは覚えよう覚えようと思って自分が見えませんでした。見ているつもりだったんですが、理性に走ってしまって、知ったかぶりの仏法だったのです。「自性唯心や」「知ったかぶりの仏法や」とよくいわれました。。今も自性唯心に陥っていますが、如来の分限・衆生の分限ははっきりしておかなければ成らないと思います。「親鸞に学ぶ」ことを通して唯識を学んでください。阿頼耶識と法蔵菩薩、これも矛盾概念です。唯識からみますと、法蔵菩薩が阿頼耶識とは絶対にいえません。教学から言いますと横暴でしょう。阿頼耶識は法を貯蔵するところから法蔵だいってもイコール、法蔵菩薩とはいえないのです。阿頼耶識は心の王様(心王)といわれています。この識が転識して私の意識が成り立っているわけです。だから私が迷っているということは阿頼耶識が迷っていることになります。「不断煩悩得涅槃」はどこで成り立つのか、聞法重ね、回心を通して阿頼耶識が大円鏡智という智慧に転じるのです。無始以来私たちは迷いを繰り返してきたのですが、「人身受けがたし、今すでに受く」、千載一遇の縁をいただいて「自己とは」と問わずにはおられない心の底からの疼き、これが法蔵菩薩出現の意味なのではないかと私は感じています。阿頼耶識は唯単に迷っているのではないということです。
「阿頼耶識は唯単に迷っているのではないということです。」と述べましたが、阿頼耶識が迷うということはないのです。では何故そのような表現をとらざるを得なかったのかと云うと、私の苦悩と共に歩む存在としての純粋性が、無始以来働いているということなのです。孤独や苦悩は、止むに止まれない現行性が転依すべき存在として人間の本質を言い当てているように思います。「然るに世人、薄俗にして共に不急の事を争う」ことをもって、平等の大地を示唆しているのでしょう。
 孤独という闇は人間としてのあり方ではありません。人は人との関わりの中で生きあって、はじめて人といえるのです。『涅槃経』にアジャセ王の回心について(回心皆往)語られています。父親殺しのアジャセ王がどのようにして救われていくのかという物語です。父親殺しという事実は覆すことは出来ません。これは五逆罪といって人間が犯しては成らない重罪なのです。(1)母を殺すこと(2)父を殺すこと(3)阿羅漢を殺すこと(4)僧の和合を破ること(5)仏身を傷つけることを指します。親鸞は難治の機としておさえられています。(真聖P251)難治の機の代表者としてアジャセ王がとりあげられ「その性弊悪にしてよく殺戮を行ず。・・・その心熾盛なり。乃至・・・父を害するに因って、己が心に悔熱を生ず。」と、このアジャセ王が「我今病重し。正法の王において悪逆害を興ず。」と慙愧しているのですね。「王、罪を作すといえども、心に重悔を生じて慙愧を懐けり。・・・二つの白法あり、よく衆生を救く。一つには慙、二つには愧なり。「慙」は自ら罪を作らず、「愧」は他を教えて作さしめず。・・・「慙」は人に羞ず、「愧」は天に羞ず。これを「慙愧」と名づく。「無慙愧」は名づけて「人」とせず。名づけて「畜生」とす。慙愧あるがゆえに、すなわちよく父母・師長を恭敬す。・・・善いかな大王、具に慙愧あり、と。」慙愧あるを以って「人」であることを教えています。このアジャセは歴史上の一人物ということでなしに一切凡夫を代表しているのですね。煩悩等を具足する者として。これは誰のことでもなく私のことなのでした。如来は、この私のために「涅槃に入らず」と。私のために共に迷ってくださる存在なのでしょう。法蔵菩薩とはそういう存在なのではないでしょうか。私からは救われる縁も種もないところに「信」が生まれるということは「無根の信」であると親鸞は抑えておいでになります。その手がかりが「慙愧心」なのです。そこに無根の信が花を咲かすのでしょう。「信」を依り処として、私の生涯が無碍の一道として尽くされていくのではないでしょうか。
「私一人がなぜこんなに苦しめられなければならないのか」という呟きの根源が、実は自分の中の自我愛が満たされていないところから発信していることだとは思いもよりませんでした。自他を分け、公私を分断して自分を優位に立てようとする意識から自縄自縛していたのです。縛る者なくして縛っていたのです。人間とは、いつも言われますように、一人では生きていくことができない存在です。人間だけに限らず命あるものは他に依っかかって、自らの生命を維持しています。簡単なことなのですが、自他を分けることに於いて自らの生命も分断しているのではないでしょうか。自分を本当にかわいがり、いとおしいと思うのあれば、他をかわいがり、いとおしく思わなければ成りません。人間にはそれができるのです。その根拠が純粋意識と呼ばれる阿頼耶識の存在です。阿頼耶識は自他の分別をしません。すべてを平等に受け入れるのです。「自分だけがよくなればいい」と、思いますと、思ったことが種子として、阿頼耶識に薫習するのです。また私たちは、生殺与奪の論理によって他の命を蝕んで自分の命を維持させているのです。本能の為せる業といってしまえばそれだけのことですが、「あなたの命を無駄にはしません」という思いやりがあれば、その思いが、阿頼耶識に薫習して来るのです。そして他者への思いやりがやがて、「生かされてある命の尊さ」というかたちで意識の上に現れてきます。私たちは目覚めているときは意識が働いています。その意識は深層の意識によって決定付けられていることを十二分に知る必要があると思います。「命はなぜ尊いのか」・「人は人を裁くことができるのか」・「人は人の命を奪ってもよいのか」という議論は尽くされなければ成らないと思いますが、それに先立って「自他分別の識がある限り、人は他を抹殺することをなんとも思わないものである」ことを知るべきなのではないでしょうか。ですから自我意識が転じて平等の大地に立てる世界があるということも語りつくさなければならないのでしょう。
「これは私のもの」(我所執)という命の私有化は、他との関係を断ちますから迷いの深淵へと落ち込んでいきます。孤独という闇に閉じ込めます。「生死いずべき道」「生死をはなれむとおもわば」という背後には熾烈な慙愧心があったと思われます。その慙愧心が「速やかに生死を離れる」という問いを生み出してきたのでしょう。慙愧あることを以て人間を回復するのです。そして人間として歩みを踏み出すのです。そこが聞法の課題になるのでしょう。しかし、親鸞は自己の深淵を「慙愧あることなし」と見極めていたのです。「無慚無愧のこの身にて/まことのこころはなけれども/弥陀の回向の御名なれば/功徳は十方にみちたまう」「小慈小悲もなき身にて/有情利益はおもうまじ/如来の願船いまさずは/苦海をいかでかわたるべき」(真聖P509)、この悲嘆は弥陀に遇いえた喜びに裏打ちされてのものだったのです。弥陀に絶対の信頼をおき自身に一点の価値をおかない絶対他力の大道なのでした。曽我先生は「私共には真実(まこと)の心などあろう道理はないが、弥陀回向の南無阿弥陀仏を頂いておるならば、その人の功徳は十方にみつる。十方に功徳がみちみつると云うことは、自分にはわからぬ。自分はどこまでも煩悩具足の凡夫に違いないけれども、念仏の行者には南無阿弥陀仏のお徳が十方にみちみつと云われているのである。」(『如来と衆生とのい感応』P40)と教えてくださっています。私は親鸞聖人が比叡山での堂僧としての修行の中でどうしても超えられない質を持った聖道のありかたに疑問を抱きつつ、比叡山との決別を決意されたのだろうと思っています。もう後戻りは出来ない中で、恵信尼消息によりますと「山を出でて、六角堂に百日こもらせ給いて候いければ、やがてそのあか月、出でさせ給いて、・・・後世の助からんずる縁にあいまいらせんと、たずねまいらせて、法然上人にあいまいらせて、・・・後世の事は、善き人にも悪しきにも、同じように、生死出ずべきみちをば、ただ一筋に仰せられ候いしをうけ給わりさだめて候いしかば、上人のわたらせ給わんところには、人はいかにも申せ、たとい悪道にわたらせ給うべしと申すとも、世々生々にも迷いければこそありけめ、とまで思いまいらする身なればと、ようように人の申し候いし時も仰せ候いしなり。・・・」(真聖P616)と親鸞聖人の「生死出づる道」の具体相が述べられています。法然上人との邂逅が親鸞にとっては驚天動地の出来事であったのでしょう。それは「横超」(『愚禿鈔』真聖P424)という言葉に如実に物語られていると思います。法然上人との邂逅が「断煩悩得涅槃」の道が「不断煩悩得涅槃」の道へと転じたのです。聖人の書簡」は如来に遇い得た喜びに裏打ちされた自身深信のハーモニーが見事につづられています。私はここに人間としてのあるべき姿、生き様が語りつくされています、少なくとも私にはそのように教えられています。
法然上人との邂逅はその著『教行信証』のいわゆる後序といわれるところに感慨をこめて「しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す。」(真聖P399)と記されています。ここに親鸞の主体的な生き様が「本願に帰す」というかたちで生涯を貫いていくのです。「本願に帰す」という具体相は「念仏を申す」ということに他なりません。「念仏成仏これ真宗」の道、この道が大乗仏教で言う菩提心でありましょう。念仏成仏を真宗というのでしょうね。現に在る東西本願寺の伽藍をもって真宗というのではないのでしょう。いろんな宗派があってその中の一派というような真宗ではないのです。現今の殺伐とした世相の只中で真に救済される教えを浄土真宗というのではないでしょうか。「信に知りね、聖道の諸教は、在世正法のためにして、」まったく像末・法滅の時機にあらず。すでに時を失し機にそむけるなり。浄土真宗は、在世。正法・像末・法滅、濁悪の群萌、斉しく悲引したまうをや。」(真聖P357)人類の歴史を一貫して「人間の生きる道」を指し示している教えを浄土真宗というのでしょう。その中身は一点の我執をも許さない厳しさがあります。現今、「絆」の論理が席捲していますが、「絆」の論理の原点は自我愛に一点の妥協をも許すことのない厳しさが必要とされるのではないでしょうかね。親鸞聖人は、浄土真宗の大乗精神は自信教人信(みずからも信じ、人にも教えて信じさせること)というかたちで表現されています。
自信教人信という言葉は善導の『往生礼讃』「初夜讃」にみえます。親鸞聖人は『教行信証』「信巻・末」に引用(真聖P247)されています。「仏世ははなはだ値い難し、人信慧あること難し。たまたま希有の法を聞くこと、これまた最も難しとす。自ら信じ人を教えて信ぜしむ、難きが中に転た更難し。大悲、引く普く化する、真に仏恩を報ずるに成る、と」。インド、中国、朝鮮半島を経て伝わってきた(北伝)仏教は教信行証(教行証)というあり方です。生死解脱の道としてまず釈尊の教えを信ずる。そして証を得るために行ずるのです。初期仏教では八正道・苦集滅道諦として教えられ、大乗仏教では五念門・止観行(断惑証理)、いずれも煩悩を断じて涅槃の真理を悟ることを目的として、証を得るために行ずるわけです。これは非常に人間の心に訴えやすいですね。出来る出来ないは別として理解できるわけです。親鸞は教信行証という従来の仏教の修行の在り方に疑問を呈したのです。「常没の凡愚・流転の群生、無上妙果の成じがたきにあらず、」と。悟りを開くことはそんなに難しいことではないのです、もっというならば、すでに悟りは開かれてあるのです。と従来の仏教の在り方を完全否定されたのです。「教行信証」として、何が難しいのかというと「真実の信楽実に獲ること難し」といわれています。信心を獲ることが難いのだといわれているのです。普通の感覚からですと行ずることは難しいけれども信ずることは、そんなに難しいとはおもいません。ここに私は人間として「自分を信ずる」ことがいかに難しいのかが示唆されているように思います。私たちは自分を信ずることができないためにアクセサリーを付けたがるのです。仏教も一つの教養としてのアクセサリーになっているのです。アクセサリーで身を覆うことが自分だと錯覚しているのです。親鸞は『教行信証』「行巻」において「謹んで往相の回向を案ずるに、大行あり、大信あり。」と述べています。はじめに大行あり、名としてわれわれに与えられているということですが、信もまた大信として回向されたものであると言っているのですね。「至心に回向せしめたまえり」と、大行も大信も共に如来回向であると明らかにされたのです。ここに自信教人信の真が尽くせるのでしょうね。
斉藤里恵さん。耳が不自由な中で、銀座のホステスをされています。有る時、あるお客さんから、耳が不自由で大変だね、困難だねといわれ、斉藤さんは「困難でない人生は無難な人生、困難のある人生はありがたい人生」と答えられたということです。私は驚きましたね。私の人生、ありがたい人生といえるのか。私の答えは不満だらけの人生としかいえないのではないのか、そんな気がするのです。それを自分の身と向き合って、その身をいただいて「ありがたい人生」と素直に言える斉藤さん。このお姿がお客さんに癒しを与えるのでしょうね。すばらしいことだと思います。ある意味、自信教人信の姿かもしれません。曽我量深師は、『歎異抄』の一番終わりに「煩悩具足の凡夫・家宅無常の世界は、よろづのこと皆もてそらごとたわごと真実あること無きに」(機の深信)「ただ念仏のみぞまことにておわします」(法の深信)と、動かすことの出来ない機法二種深信がある。だから私どもは、ちゃんと自信教人信を教えられている。念仏によって我らに深い自信力を与える。その自信力が自ずから人を教える。別に教えることを務めなくとも、その人の一挙一動が人を教える力をもつ。これを自信力と云う。「自信教人信」の「自信」とは、自信力をもつと云うことでしょう。それは自分を信ずると云うこと、自分について一点の疑いも、ごまかしもない、自分自身は助かるまじき自分である。いずれの行も及び難き悪人である、と云うことがはっきりし、一点のごまかしがなく、一切は仏に助けられてゆくと信じている人が本当の自信力をもった人である。」(『如来と衆生の感応』P40)と教えてくださっています。また「普通一般の自信力と云うのは、自分をごまかしたりしている自信力である。」とも教えてくださっています。自力の自信力は誤魔化しの偽りの自信力であるというのです。私たちは自分に自信がありませんから、先ずは財力、そして名誉でしょうか、世間的に立派だといわれるようなものをアクセサリーとして虚勢をはって生きている者なのでしょう。そんなものは溝に棄ててしまえばいいのです。そして本当に大切な過去・現在・未来を一貫して流れる阿弥陀の本願に目覚めていく「今」を明らかにしていかなければならない。これが一番やらなければならない仕事ではないの、そう教えられました。
人間として真宗に遇いえたということが、どれだけ希有なことなのか「人身受けがたし、今すでに受く、仏法聞きがたし、今すでに聞く」と、三帰依文に教えられていますが、私たちは真宗に遇うことによって大切な命の尊さを知ることが出来るのではないでしょうか。私たちはいろんな経験を繰り返しながら自分の人生を築いていきますが、その対処は知らず知らず自己中心にならざるを得ません。その結果、自他の分別が起こってくるのです。82歳になる叔母がいるのですが、定年まで銀行に勤め、今は悠々自適に暮らしているように私には見えるのですが、訪ねていろいろ話をして見ますと、そうでもなさそうなんです。愚痴が湯水のごとく溢れてくるのです。一生懸命働いてきて「満たされないのはどうして」僕は何時も聞き役に徹しているのですが、居場所というのか、帰る場所がないということが愚痴となって出てくるのではないかと知らされてきます。叔母には「老後はこのようにして暮らしていく」という夢があったと思うのですが、なぜか「何かが違う」と感じておられるのでしょう。先日も書いたのですが自分の身につけた「アクセサリー」が邪魔をするのでしょうね。アクセサリーにしがみついている自分に翻弄されているのでしょう。しかし「何かが違う」と感じるところに人間がもともと持っている「本当のことに出会いたい」という本能が働いているのだと思います。そのために生まれてきて、「本当のこと」を伝えるために「今」という時間が与えられているのではないかと思うのです。私たちは私の居場所を必死になって探し求めているのでしょう。その居場所は「これだ」と思っていたことが、いつの間にか、ずれて しまっていたということになるのではないでしょうか。そこに「教法に遇う」ということが本当に大切な大切なことになるのだと思うのです。仏教では私たちの帰る場所を浄土と表現しているのです。浄らかな国土、存在の有無ではないのです。経典には浄土は「三界を超えて」と教えられています。三界の向こうとは書いていないのです。超えるということは背中合わせということになるのだろうと思うのです。一番近くて一番遠い存在、それが浄土として、私たちの居場所として語られているのでしょう。
 「一度だけの人生だから今を大切に生きましょう」。「今やらなければいつやるんだ」という言葉をよく聞きます。それでわかったつもりでいるのですが、一度その中身を吟味してみる必要があると思います。「一期一会」という言葉もありますね。これは『山上宗二記』(千利休の弟子の宗二の著・茶湯者覚悟十体にみえる、一期に一度の会から)や『茶湯一会集』(「抑茶湯の交会は、一期一会といひて」)に語られているのですが「生涯にただ一度限りの交わり」という意味ですね。茶会に於ける一生に一度の交わりを大切にしましょうという意味の言葉が、好きな言葉の代表として使われているように思います。茶会といいますと主客の交わりが中心となり道具類の調和などトータルで織り成す侘びの芸術なのですが、ここでの一番大切なことは主も客も茶道具も主なんですね。それぞれが主となり主を取り巻く環境を最大限に引き立たせていくのです。ここに見事な調和の芸術が生まれてくるのですね。これが「一期一会」の本来の意味だと思います。このように見ていきますと「今」というのは「Eternal now」(永遠の今)を生きるということにつながると思います。進行形で「今」を考えますと過去になりますでしょう。点と点を結ぶ瞬間ですから。そうしますと点と点を連続して結んでいこうとしますと大変な修練が必要とされるわけです。いうなれば天台の「回峰行」(比叡山において、一日に山中を一周し、千日で終わる修行。平安中期より始まったといわれています。)や「篭山」(山に篭って一定期間下山しないで、大乗仏教を読み習う修行をすること)のような不眠不休の修練が要求されるわけです。それでも「今」を生きることに近づくことは出来るかもしれませんが「永遠の今」を生ききることはほとんど不可能なことだと思うのです。大乗仏教では「永遠の今」を「住不退」(不退に住すー再び迷いの世界に退転することのない境遇)と言い表していると思いますが、この不退の位を得るために菩薩は煩悩の火を掃うが如く修行に励むのです。「今」という言葉の中身は非常に厳しく、そして明日につながる・断絶しないことをもって「今」と言い表しているのです。龍樹菩薩は『易行品』に於いて「もし人疾く不退転地に至らんと欲わば、恭敬心をもって執持して名号を称すべし」と示唆し親鸞聖人はこれをうけ「不退のくらいすみやかに/えんとおもわんひとはみな/恭敬の心に執持して/弥陀の名号称すべし」と龍樹菩薩を讃えられています。
私の人生を振り返ってみますとね、「自分の思い通りにしたい、そして思い通りやってきて、思う通りにならなかった」というのが実感なんです。自分の思い通りにしようとするところに無理があるのですね。若いときには自分の人生観を描いていますでしょう。僕も夢を描いていましたが見事に自分の思いに自分を裏切ってしまいました。それどころか自分の周囲の人たちにも随分と辛い目にあわせてしまったものです。それにもかかわらず今でも夢を描いています。夢の方向性が昔日とは違っているのですが。だから夢のために邁進し努力する姿は大変美しいものなんです。夢を棄ててしまったら生きた屍になってしまいます。私の夢が破綻したのはなぜかといいますと、一番考えられるのは家族を含め自分の周囲の人を説得する努力と勇気がなかったからです。一歩を踏み出すには勇気が必要です。勇気が人を惹きつけ、自分のやりたいことを実現するための理解を得られるのではないですか。それを怠ってしまったら自分の殻に閉じこもっただけの夢に終わってしまうと思うんです。明日からでは遅いのですね。私なんかは「今日はもうええわ。明日からにしとこ」といつでも、明日明日と引き伸ばしていますが、これが自分勝手な思いなんでしょうね。せっかくの「今」というチャンスを逃しているのです。チャンスは与えられているのです。それに気づいたとき「今」が生き生きと輝くのでしょう。世間でいいますとね、いろんな職業に携わっておられる人がいますね。経営者であったり、従業員であったりして。また男性や女性という区別もありすね。また民族の違いもあるでしょう。いろんなカテゴリーのなかに人がいて社会は成り立っているのですが、大切なことはそのカテゴリーの中で自分を明らかにすることだと思うのです。経営者は経営者を縁として自分を明らかにする。従業員は従業員を縁として自分を明らかにする。男性は男性を縁として自分を明らかにし、女性は女性を縁として自分を明らかにするということではないかと思うのです。そこには一切の差別はありません。一如平等に与えられた人間としての出世の本懐なのです。「今」はすべての人に与えられた「人間として人間に成る」チャンスです。「今」をいただけるか、いただけないかの問題だと思います。縁を切ってしまって自己本位になることを罪福を願う人として親鸞聖人は厳しく叱咤されています。
人それぞれの立場を縁として「本当の自分に出遇う」ことが人として生を享けた私の存在理由なのではないでしょうか。仏教三千年の歴史も「ただこの事ひとつ」を明らかにしてきたのだと思います。ただ仏教もその伝来の過程で、本来の意味を時の為政者の思惑によって歪められてしまったという経緯があります。ようするに国体護持のために・五穀豊穣のために・疫病退散のために仏教を利用したのです。本来、仏教は「除苦悩法」なんですね。「生・老・病・死」の四苦と「愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦」の四苦をあわせて四苦八苦といいますが、この四苦八苦を引き起こしてくる根本の我執からの解放を求道者が求めてきたのです。仏陀釈尊は苦悩の根本要因は「のどが渇いて、常に渇ききって水を欲しがるような激しい自分にたいする執着(我執)である」と見抜いたのです。渇ききった愛ということで「渇愛」とも言われました。それがいつの間にか伝来の過程で本来の意味を失ってしまいました。仏教本来の意味を回復されたのが法然上人なのですね。南都北嶺の仏教の聖地にprotest・異議申し立てをしたのですね。「あなたたちの行っている仏教は間違っている」と正面きって抗議したのです。それが専修念仏の標榜なのです。念仏一つですべての人が救われるのだという当時としては非常にラジカルかつダイナミックな教えを宣言されたのです。それが「選択本願念仏集」として今に伝えられています。
善行という行為、善は私たちにとって大切な行為なのですが、本来は、涅槃に向かう道なんです。涅槃はニルバーナといい煩悩が滅した状態を指します。煩悩は私たちを悩ませ苦しめますから、涅槃は私たちが本来求めている世界なのだと思います。その世界を彼岸ともいいます。しかし、煩悩と彼岸は別のものでなないのです。煩悩を縁として彼岸を願う道が開かれてくるのですね。そして彼岸を拠り所にした生活が一番望ましい在り方なのでしょう。ではどのようにしたら彼岸を拠り所に出来るのでしょうか。それが『善』なのです。善は浄らかな心です。善の心に付随する法(心所有法)の一番最初に「信」が挙げられています。『正信偈』に「生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とす、といえり」(源空章・真聖P207)と述べておいでになります。「信」の定義は龍樹菩薩の『大智度論』に「仏法の大海は信をもって能入と為し、智を態度と為す」と記されています。信は智と密接不可分の関係で捉えられています。親鸞聖人ははっきりと生死輪転の家は、煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界と押さえておいでになります。これは仏法に疑いを持っていることから引き起こされる世界であるということです。そして涅槃を寂静無為の楽と、心澄浄の世界であると云われています。『歎異抄』に「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに(機の深信)、ただ念仏のみぞまことにておわします(法の深信)」と真実信心のみが「生死いづべき道」として指し示しておられます。唯識では第七末那識が我執(自我意識)として第八阿頼耶識に執着すると言われているのですが、その末那識に出世の末那といわれる働きがあるといわれています。無染汚の末那・已転依の末那ともいわれます。「審らかに無我の相を思量す」と、末那識は自分だけのことを思量するといわれているなかで、それだけではない無我という真理を認めているのです。これによって末那識が転依することが可能となるのです。そして「信」は「心をして浄ならしむを以って性と為し、不信を対治して善を楽ふを以って業と為す」といわれ、信によって心が浄くなることをいわれているのです。こころが浄くなるということは無我・無漏の智慧ですから自分のことがはっきりと見えるのです。「自己とは何ぞや」に答えてあるのですね。自覚・自らに覚めることを以って信を語らなければ、何を信ずるのかがはっきりしなくなります。信は不信というエゴイズムを払拭するものなのです。
古代インド、唯識の行者は瞑想の中から人間の奥深くに横たわっている意識を発見したのでした。私たちが悩んだり、苦しんだり、争いを引き起こす原因は自分の中にあると見いだしのです。それが自我意識の発見です。限りなく自分に執着する意識です。また唯識の行者は自我意識を超える方法も見いだしたのです。理論ではなく瞑想の中から「善」も行い得る意識をも見いだしたのです。それが「出世の末那」といわれるものです。私は、大胆に「仏性」と位置付けしたいのです。そして清沢満之師がいわれる宗教的要求、「人身の至奥より出る至誠の要求」が「善」に向かわすのではないかと思うのです。全ての人が持っている本能です。これを「一切の衆生は悉く仏性あり」といわれる所以ではないかと思います。私たちは今は眠った状態かもしれないが、必ず目覚めを待つ存在である、といえます。親鸞聖人は仏性について「信心仏性」といわれます。「信心よろこぶそのひとを/如来とひとしとときたまう/大信心は仏性なり/仏性すなわち如来なり」(浄土和讃)「信」が心澄浄といわれるこのは、そこにはエゴイズムがはいる余地がないからです。『成唯識論』には「信」とは「実と徳と能とに於いて深く忍し楽し欲して心をして浄ならしむるを以って性と為す。不信を対治し善を楽うを以って業と為す」と言われているのです。私の中には不純なものばかりではなく、真実を知る欲求があるということなのです。(追)「実・徳・能」についてー実有を信忍する。有徳を信楽する。有力を信欲するということ。
1.実有を信忍する。-事実として存在している真理(真に存在するもの)を信じ理解する。信忍は仏の慈悲を信じて、安らいだ心。(三忍の一つ。三忍とは真理を悟る三種の智慧のことで、信忍・順忍・無生法忍のこと)『正信偈』には「韋提と等しく三忍を獲、すなはち法性の常楽を証せしむ、といえり」(真聖P207)と述べられてあり、信心に賜る智慧のことです。
2.有徳を信楽する。-徳は三宝(仏・法・僧の三宝)のこと。徳あるものを信じ尊ぶということ。楽(ぎょう)は喜び慕うという意。
3.有力を信欲する。-信欲は信心への意欲、信じようという願いのこと。有力は自分に善を修める力が有ると信じること。そしてその力を得ようとする意欲のこと。
「信」の内実は智慧だと思うのです。親鸞聖人は智慧の念仏といわれます。「智慧の念仏うることは/法蔵願力のなせるなり/信心の智慧なかりせば/いかでか涅槃をさとらまし」と和讃のなかで教えてくださっています。わたしたちの方向性は大般涅槃なのですね。その大般涅槃に至る道が智慧の念仏といわれ、信心の智慧といわれるもので、法蔵願力より賜わるものであるといわれているのです。「信は願より生ずれば/念仏成仏自然なり/自然はすなはち報土なり/証大涅槃うたがはず」といわれているのです。『愚禿鈔』には「本願を信受するは、前念命終なり。・すなはち正定聚の数に入る。・即の時必定に入る。即得往生は後念即生なり」と述べられ、真実信心の大切さを教えられています。 「仏教の大海には信を以て能入と為す」。「信」は生きて働いているものであり、信があってはじめて一歩一歩、私たちの生活の歩みが始まるのです。善の心所でいわれる「信」は仏教に入る入口といえましょうか。親鸞聖人の他力回向の信心と言いましてもその入り口は、親鸞聖人が歩まれた仏道、浄土真宗を信ずることから始まります。信ずることなく信心の獲得はありえません。信心獲得の徴が「すでにあたえられてあった」という恩徳なのです。話は元に戻りますが、仏教でいう「信」は「チッタ・プラサーダ」といいます。チッタは「心」・プラサーダは「澄む」という意味を持っています。仏教を信ずるということで、心が澄むといわれているのです。心の浄らかさですね。信ずるということは信心という意味なのです。仏を信じ・仏教を信じ・仏法を信じる、ということです。なぜ信じるのかということは「この現前の境遇に落在する」ことができるからである。そして深信自身・深く自身を信ずることができるということなのです。そうとしたならどうなるのかといいますと「豊かな人生をいただく」ということになり、空しくすぐることのない日々が約束されるということなのです。仏教では「現生正定聚」・「現生不退」といいます。
 私たち日常の「信」はどのようなものなのでしょうか。「信頼」とか「信用」という意味で使用しています。英語で言う「Belief」ですね。この言葉は人間関係において使われます。「私は~を信用する」とか「私は~を信頼している」という時に使います。この「信」は、私は日常の信の二重構造と言っています。いつでも「私は裏切られた」「信頼していたのは間違いだった」という裏構造が隠されているからです。いつでも「私が」という主語がつくのです。いわゆる自己中心の物の考え方です。簡単にいえば日常で使う「信」はBeliefです。人間関係に於いて使っています。信仰とか信心という宗教に関しての「信」とは違うのです。これははっきりしておかなくてはならないと思います。
 宗教に関して「信」と表現するときは、英語ではFaithという言葉を使います。「信仰」という意味です。キリスト教に於いて使われます。「神を仰ぎ信ずる」ということです。信楽峻磨先生は「信じるという信仰の中身は、自己の知性によって抵抗するのを疑う。神を信じる、仰ぐというのは、自分の知性を放棄する、捨てる。そうしなければ、理屈を越えて神を信じない限り、神は納得できないのです。これが信仰の中身です。」と教えてくださいました。(2007.5.13    信道講座より)信仰というのは人間の生きざまに関して言えることなのです。


日曜雑感 『真宗における戒律の意味』

2012-12-09 12:19:58 | 生きることの意味

        「無戒名字の比丘なれど

          末法濁世の世となりて

          舎利弗目連にひとしくて

          供養恭敬をすすめしむ」

           (『愚禿悲嘆述懐和讃』より)

 比丘は簡単に説明すると、出家得度して具足戒を受けた男子を比丘、女子を比丘尼といわれているように、具足戒を受け、それを受持することをもって比丘・比丘尼なのです。そしてその比丘・比丘尼の集団を僧伽というのですね。出家得度は、迷いの世界から悟りの彼岸に渡ることを意味していますから、その仲立ちになるのが戒律なのですね。
 迷いの世界は、「外道の所有の三昧は、みな見愛我慢の心を離れず、世間の名利恭敬に貪着するがゆえなり、」という、我執の思いによって成り立っている境涯を現わしています。ですら、「行者常に、智慧をして観察して、この心をして邪網に堕せしむることなかるべし。当に勤めて正念にして、取らず着せずして、すなわちよくもろもろの業障を遠離すべし」と要求されているのです。

 聖道の菩提心は、戒・定・慧の三学を保つということにおいて、世間を出るのでしょう。しかし、親鸞聖人はここに疑問を起こされたのですね。『教行信証』化身土巻において、身と土の問題として提起されています。きちっと「化身土巻」を読み解く必要がありそうです。

 「しかれば穢悪・濁世の群生、末代の旨際を知らず、僧尼の威儀を毀る。今の時の道俗、己が分を思量せよ」

 と。「今」「時」「機」の問題を、親鸞聖人御在世の、元仁元年甲申は、末法に入り六百八十三歳であるという見極めが、末法の僧尼の意義を問いだされています。それが「無戒名字の比丘なれど」という問いかけになるのではないでしょうか。『末法燈明記』には「仏涅槃の後、無戒洲に満たん・・・いま重ねて末法を論ずるに、戒なし。・・・ただ名字の比丘あらん。この名字を世の真宝とせん。・・・たとひ末法の中に持戒あらば、すでに怪異なり、市に虎あらんがごとし。・・・破戒・無戒、ことごとくこれ真宝なり、と」

 それでは、何故無戒名字の比丘が真宝といえるのかという問題が出てきますが、この問いに対して、少し長い文章になりますが、「化身土巻」(真聖p366~367)を引用しておきます。

 『大悲経』に云わく、「仏、阿難に告げたまわく、将来世において法滅尽せんとせん時、当に比丘・比丘尼ありて我が法の中において出家を得たらんもの、己が手に児の臂を牽きて、共に遊行して、かの酒家より酒家に至らん、我が法の中において非梵行を作さん。彼等酒の因縁たりといえども、この賢劫の中において、当に千仏ましまして興出したまわんに、我が弟子となるべしと。次に後に弥勒、当に我がところを補ぐべし。乃至最後の盧至如来まで、かくのごとき次第に、汝当に知るべし。阿難、我が法の中において、ただ性はこれ沙門の行にして、自ら沙門と称せん、形は沙門に似てひさしく袈裟を被着することあらしめんは、賢劫において弥勒を首として乃至盧至如来まで、かのもろもろの沙門、かくのごときの仏の所にして、無余涅槃において次第に涅槃に入ることを得ん。遺余あることなけん。何をもってのゆえに。かくのごとき一切沙門の中に、乃至一たび仏の名を称し、一たび信を生ぜんものの所作の功徳、終に虚設ならじ。我仏智をもって法界を測知するがゆえなり」と云云。乃至 これらの諸経に、みな年代を指して、将来末世の名字比丘を世の尊師とすと。もし正法の時の制文をもって、末法世の名字僧を制せば、教・機あい乖き、人・法合せず。これに由って『律』に云わく、「非制を制するは、すなわち三明を断ず。記説するところこれ罪あり」と。この上に経を引きて配当し已訖りぬ。

 末法の時代を生き抜く僧尼の在り方は、聞思道である、聞思道を以て、世の真宝というのだということを明らかにされているのですね。「信に死し、願に生きん」ということです。

 真宗の僧尼は「末代無智の、在家止住の男女たらんともがら」という自覚をもった門徒ですね。出家と云う形を取っていません、在家の姿のまま、法を聞く存在という意義をもって僧伽なのです。これが経糸になりますね。それぞれの立場で織りなす模様が横糸となり、

        「真実信心うるゆえに

          すなわち定聚にいりぬれば

          補処の弥勒におなじくて

          無上覚をさとるなり」

           (『正像末和讃』より)

 という、末法濁世の真只中に大乗正定聚の位を得ることができる、これが末法における無戒名字の比丘の意義であることを教えておられるのではないだろうかという思いがします。

 それとですね、真宗における戒の意味ですが、帰敬式(おかみそり)を受けられた時に、本山からパンフレットを頂きます、その中に詳しく帰敬式を受ける意味が書かれていますので、それをお読みになられると大体の意味は分かるのではないかと思います。

 名聞・利養・勝他という三つの煩悩を断つという意味を込めて髻を断ち切る(形だけですが)のです。これが戒の意味ですね。根本煩悩を断ち切ることにおいて、世間を依り所にしている在り方に死して、出世間を依り所にして生きていきますという宣言になるわけです。真宗門徒は忘れがちですが、大変大切なことを教えていると思いますね。「造悪無碍」ではないのです。法名を頂くということは、名聞・利養・勝他という世間の価値観を離れるということをもって生きることを意味していますね。名聞・利養・勝他という生き方に死するわけです。そこから開かれてくる世界が真宗門徒の生き方なのですね。
 いうなれば、聞法は常に名聞・利養・勝他という在り方に対峙しているのです。ですから、帰敬式をうけ、法名をいただいて真宗門徒というわけにはいかないのですね。

 「称名憶念あれども、無明なお存して所願を満てざるはいかん」

 という問いをもって聞思道を歩むのが真宗門徒の戒律の意味になるのではないでしょうか。善導大師は「前念命終・後念即生」と教えられ、曽我先生は「信に死し願に生きよ」と教えてくださいました。祖聖のお言葉に耳を正して聞思という道を歩んでいかなければなりません。

 


苦悩することの意味 -難行道といわれる難の質-

2012-05-02 15:15:01 | 生きることの意味

           苦悩することの意味 -難行道といわれる難の質-

 第二能変・第七末那識を読ませていただいて、今まではっきりしていなかったこと。親鸞聖人が「選択本願は浄土真宗なり。定散二善は方便仮門なり。浄土真宗は大乗のなかの至極なり」(『末燈鈔』真聖p601)と位置づけされる意味です。何故「大乗の中の至極なり」と言い切ることが出来るのか、ということです。聖人の中には、定散二善は方便仮門であり、選択本願は浄土真宗であると教えておられます。その視座はなにかというと、聖道門は難行道であるといわれる「難」の本質です。龍樹菩薩にあっては、「若し諸佛の所説に易行道の疾く阿惟越致地に至ることを得る方便有らば、願はくは爲に之を説きたまへと。答て曰く。汝が所説の如きは是儜弱怯劣にして大心有ること無し、是丈夫志幹の言に非ざるなり。何を以ての故に、若し人願を發して阿耨多羅三藐三菩提を求めむと欲して未だ阿惟越致を得ず、其の中間に於て應に身命を惜しまず晝夜精進して頭燃を救ふが如くすべし。」 という問と答えの中に隠されている真意です。この真意を読みきれないと、浄土真宗は、「丈夫志幹の言に非ざるなり」といわれても仕方のないことです。龍樹菩薩にあっては仏道を求めるということは、「速得阿耨多羅三藐三菩提」の成就なのでした。『易行品』に於て、「菩薩未だ阿惟越致地に至ることを得ずは 應に常に勤精進して 猶頭燃を救ひ 重担を荷負するが如くすべし 菩提を求むる爲の故に 應に常に勤精進して 懈怠の心を生ぜざるべし 聲聞乘・辟支佛乘を求むる者の若きは 但己が利を成ぜん爲にだも 常に應に勤精進すべし 何に況や菩提に於て 自ら度し亦彼を度せんをや 此の二乘の人於りも 億倍して精進すべし。 大乘を行ずる者には佛是の如く説きたまへり。發願して佛道を求むるは三千大千世界を擧ぐるよりも重し。汝阿惟越致地は是の法甚だ難し、久しくして乃ち得べし、若し易行道の疾く阿惟越致地に至ることを得る有りやと言はば、是乃ち怯弱下劣の言なり、是大人志幹の説に非ず。汝若し必ず此の方便を聞かんと欲せば、今當に之を説くべし。佛法に無量の門有り、世間の道に難有り易有り、陸道の歩行は則ち苦しく、水道の乘船は則ち樂しきが如し。菩薩の道も亦是くの如し。或は勤行精進のもの有り、或いは信方便易行を以て疾く阿惟越致に至る者有り。」(聖全Ⅰp253)と、親鸞聖人は『論の註』に曰わく、謹んで龍樹菩薩の『十住毘婆沙』を案ずるに、云わく、菩薩、阿毘跋致を求むるに、二種の道あり。一つには難行道、二つには易行道なり。難行道は、いわく五濁の世、無仏の時において、阿毘跋致を求むるを難とす。」と曇鸞大師の言葉を通して「難」の本質を見定めておられます。曇鸞大師はその理由の一つとして「五者唯自力無他力持」(五には唯だ自力にして他力の持つこと無し」(聖全Ⅰp279)とのべられておられます。文面通りに読みますと、自力と他力が並び立って、相対的に述べられているように読めますが、そうではなく、他力は絶対他力であることを述べられているのですね。自力は人間からは成り立たないと云うことです。ですから自力と他力が肩を並べるのではなく、他力しかないのですね。このことは龍樹菩薩が『中論』の帰敬偈に於て八不中道を説くことによって、諸の戯論が滅することを述べ、「難」の本質は何かを示唆しているように見えます。「何ものも滅することなく、何ものも生ずることなく、何ものも断滅ではなく、何ものも常住ではなく、何ものも同一であることなく、何ものも異なっていることなく、何ものも来ることなく、何ものも去ることはない。」(不生亦不滅・不常亦不断・不一不異・不来亦不出)(大正30・0001b)と。『中論』に於る、八不中道は、否定の論理といわれますが、否定を通して真実は一切皆空であることを述べています。空に於て戯論は寂滅すると。真実は空であることを知らないところに疑見を生ずるのであるといわれていますね。「疑」という心所は「諸の諦理のうえに猶予するを以て性と為し、能く不疑の善品を障うるをもって業と為す」、と定義されていますように、四諦の真理、因果の理を疑うのですね。「見」は悪見です。「諸の諦理のうえに顛倒に推度する染の慧を以て性と為し、能く善の見を障へ苦を招くを業と為す」と。顛倒の見ですね。間違っていることを正しいと思いこみ、真実の道理を知らない心であるといわれています。真実の道理を知るということは、転迷開悟です。転迷開悟に至る道に二つあると、難行道と易行道です。今は「難」の本質を尋ねているわけですが、易行道の易もまた難といわれているわけです。『正信偈』に「難中之難無過斯」(難の中の難、これに過ぎたるはなし)と述べられていますが、その前にですね、「邪見憍慢の悪衆生 信楽受持甚以難」(邪見憍慢の悪衆生、信楽受持すること、はなはだもって難し)と語られ、浄土真宗においても信心を得ることは「難」であることがいわれています。

 釈尊が「世の非常を悟り、国の財位を棄てて山に入りて道を学したまう」(『大経』巻上)。世の非常を思われ出家をされるわけです。そして苦行六年を経て菩提樹下で「微妙の法を得て最正覚を成る」と、成道されるのですが、苦行を止められた釈尊を見て、釈尊について共に苦行をしていた五人の比丘は、シッダルタは堕落したと思い、釈尊から離れていくわけです。しかし釈尊は苦行からは何も生まれることは無いと知られ、苦行を止められるのですね。ここにも問題はあるのです。それは『易行品』を見ましても、「菩提を求むる為の故に、常に勤精進して、懈怠の心を生ぜず」 菩提を求めようとすれば、「身命を惜しまず昼夜精進して頭燃を救うが如く」せよ、と要求されているのです。このときの「難」は「久しくして乃ち得べし」といわれているものですが、「疾得」ではないことが「難」といわれていることなのでしょう。この解釈も確かに「難」の質を言い当てているのかもしれませんが、的確ではないように思われます。

 「疑」は何故起こってくるのかということが問題なのでしょう。疑と難とどう関係するのか。又この問題は自利と利他にも関係する問題になります。そしてこれらの問題の根底に「疑」があるのですね。『教行信証』総序に「もしまたこのたび疑網に覆蔽せられば、かえってまた曠劫を径歴せん」と述べられ、『正信偈』 源空章においては「生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とす、といえり。」と教えられています。生死流転の境遇に留まることは、道理を疑う(法を疑う)ことによって起こる、ということですし、大涅槃を証することは信心をもって本と為す、といわれているわけです。  

 釈尊が菩提樹下で悟りを開かれて仏教が始まったとされています。そしてその後の仏教の歴史は修道論に終始して、煩瑣な教学に陥っていくわけです。そして自己を問うことが曖昧になっていくのです。『浄土論』のなかの五念門や、『唯識論』に説かれる五位の修道論、また菩薩十地の階位等、悟りを開く方法論に時を費やしてきたわけです。親鸞聖人はこのような修道のありかたを『大無量寿経』第十八願成就文の「至心回向」(至心に回向せしめたまえり)の文をもって360度転換されたわけですね。如来回向としてですね。何故なんでしょう。何故、「至心に回向する」から「至心に回向せしめたまえり」と360度転換する必要があったのでしょうか。

 問題提起ばかりになっていますが、もう一つ問題提起として、安田先生と兵頭格言さんの信仰の対話が物語っている一文から考えてみます。

 兵頭 十方衆生というと大勢のように思いますが、自分も十方衆生の中にあるとは思っても、本願は十方衆生の本願のように思うのです。

 安田 それはあなたの思いに立っている。あなたは自我というものを思い、自我を救うために本願を思う。みんな思いです。思いは妄想です。本願を手段にして自我を救おうと思っている。そういう自我の立場です。そういう思いの必要のない本願の中におりながら、本願に背いている。あなたは、地獄というものもほかに思う。衆生もほかにあるし本願もほかにある。ただ自分にあるものは自我という思いだけである。思いが外にしているのです。しかし本願も内なのです、自己の内です。あなたは、思いというものでせっかく内に来ているものを外にしている。腹を立てたり欲を起こしたりしているのが罪ではなく、その思いが罪なのです。

 兵頭 今日はこれを考えさせて頂きます。 

 安田 自己ということと、自我とを区別しなければならない。思いが本願の機ではない。あなたの我執です。

 兵頭 思いと我執が混同して。

 安田 本願もそこに生きている。それが自己です。あなたのは自我の思いです。本当の自己にかえるのが教えです。自我の思いというものはわがままなものです。人のことなど何とも思わない、それが妄執です。仏法でも人でも何でも手段にする。そうして自我を満足しようとする。それが成就しないのは当たり前でしょう。欲は満たされるほど不満でしょう。欲の満たされたことはない。

 (回向について)

 兵頭 南無阿弥陀仏を立場とする。 

 安田 あなたの心が起こっても任せておけばよい。起こってもそれは立場ではない。心はなくならないけれども、立場にする必要はないd。

 兵頭 やはり自分を立場にしております。名号が立場になるとは。 

 安田 如来が立場を念仏として与えて下さっておる。念仏の立場に立つのが信心。あなたの心を立場にすれば仏法は客になる。客とすれば理屈になる。それに相手になっていては、あなたは日が暮れてしまう。念仏を立場にするというのは、向こうから衆生の立場になって下されること。向こうから私の立場に立って下さる。こちらの勝手にするのではない。

 兵頭 それが回向ですか。

 安田 それが回向です。

 兵頭 自分が名号の立場でないからわかりません。

 安田 あなたは上においている。上においては客になる。仏法を対象にしている。そうではなく、名号の方が立場です。それが夜が明けたのです。

              (『信仰についての対話 Ⅰ』 草光舎刊)より

 自分と自己ですね。これをはっきりさせないといけませんね。自分というと自我です。我執の立場です。自己というと本願に見出された人間本来の在り方です。安田先生と兵頭さんの対話からですね、親鸞聖人が浄土の真宗は大乗の中の至極であると言い切られたキーワードが見出されるように思います。難行道といわれる「聖道の諸教は行証久しく廃れ」・「浄土の真宗は証道今盛んなり」と言い切られる意義です。難行道は久廃といわれ、浄土真宗は今盛といわれるその根拠です。これは自力無効に関係することなのですが、難行という道はどこまでいっても成就しないという問題を抱えていることになります。人間の努力では成就しないということです。難と易と比較して難といわれているわけではないのですね。親鸞聖人が20年の歳月を比叡の山で修行を重ねられていたわけですね。そして山を下りられたということは、修行がきついとか、努力が足りなかったとか、という世間でいう比較の問題ではないということです。その修行の過程の中で難の本質を見定められたのでしょう。で、山を下りられた、と。

 この間の事情は『御伝鈔』に「建仁第三の暦春のころ 聖人二十九歳 隠遁のこころざしにひかれて、源空聖人の吉水の禅房に尋ね参りたまいき。是すなわち、世くだり人つたなくして、難行の小路まよいやすきによりて、易行の大道におもむかんとなり。真宗紹隆の大祖聖人、ことに宗の淵源をつくし、教の理致をきわめて、これをのべ給うに、たちどころに他力摂生の旨趣を受得し、飽まで、凡夫直入の真心を決定し、ましましけり。」と語られています。難行・易行は比較の問題ではないということですね。

 難行道とは、曇鸞大師によりますと、「難行道は、いわく五濁の世、無仏の時において、阿毘跋致を求むるを難とす。」といわれ、親鸞聖人は『教行信証』化身土・本に於いて「如来懸に末代罪濁の凡夫を知ろしめす。立相住心なお得ることあたわじと。いかに況や相を離れて事を求むるは、術通なき人の、空に居て舎を立てんがごときなり」(定善義)と言えり。「門余」と言うは、「門」はすなわち八万四千の仮門なり、「余」はすなわち本願一乗海なり。おおよそ一代の教について、この界の中にして入聖得果するを「聖道門」と名づく、「難行道」と云えり。」と、難行道は「今の時」は「五濁悪世」であり、「行を起こし道と修せんに未だ一人も得る者有らず。」といわれるわけです。法然上人は『選択集』に於て、「凡夫の心は、物にしたがひてうつりやすし、たとえば猿猴の枝につたふがごとし、まことに散乱して、動じやすく、一心しづまりがたし。無漏の正智、なにによりてかおこらんや。若無漏の智剣なくばいかでか、悪業煩悩のきづなをたたずば、なんぞ生死繋縛の身を、解脱することをえんや。かなしきかな、かなしきかな、いかがせん、いかがせん。ここに我等ごときはすでに戒定慧の三学の器にあらず。」という「生死繋縛の身」であるという自身の姿を見出されたのではなかったでしょうか。「かなしきかな、かなしきかな、いかがせん、いかがせん」という言葉に法然上人の一途さを伺うことができます。もはや伝統教団の修道に身をおいておくことはできないという、聖道仏教との決別を意味しているのです。その決別を決断させたのが善導の教示であったのですね。法然上人までの浄土教というのは天台や真言の聖道仏教の陰に隠れてひそかに極楽浄土に往生することを願うものであったのです。法然上人はこの聖道仏教によって本当に生死を解脱することができるのかというという問いをもたれたのでしょう。これは釈尊が「私が苦しんだり悩むのはなぜか」という問いをもたれたのと同質であろうと思います。この問いはすべての人が持っている根源のものでしょう。ここに法然上人の心の葛藤が浄土教を陽のあたる場所におしあげてきた原動力があるのではないでしょうか。   
法然上人の課題はひとえに生死解脱にあったのです。そのことは『選択集』を結ぶにあたって『選択集』の要約を八十一字を持って示されています。
 「夫速欲離生死、二種勝法中、且閣聖道門、選入浄土門。(それ速やかに生死を離れんと欲はば、二種の勝法の中に、しばらく聖道門を閣(さいお)いて、浄土門に選入すべし。) 欲入浄土門、正・雑二行中、且抛諸雑行、選應帰正行。  (浄土門に入らんと欲はば、正・雑二行の中に、しばらく諸の雑行を抛(なげす)てて。選びて正行に帰すべし。) 欲修於正行、正・助二業中、猶傍於助業、選應正定。 (正行を修せんと欲はば、正・助二業の中に、猶助業を傍らにして選びて正を専らにすべし。) 正定之業者、即是称仏名。称名必得生、依仏本願故。 (正定の業は即ち是れ仏の名を称するなり。称名は必ず生を得。仏の本願に依るが故なり。) (真聖全一P990)
 人間の課題は、ゆうなれば「夫速欲離生死」しかないのではないですか。「生きることが」問いとしてわが身に迫ってきたとき「悠長なこと」は言っておれないのではないでしょうか。生きている時は『今』しかないのですから。「速」はどのようにしたら成り立つのかが最大の課題であったのでしょう。ここにも「難」は「今」を失するということが明らかになります。問いとしてあるのは唯一つ、「速やかに生死を離れる」ということでしょう。生死を離れるという問いを遮るものが「貪愛瞋憎雲霧」でした。「恒審思量」といわれる末那識の存在です。どこまでいっても、恒に審らかに自分を思い、自分の都合に合わせて、自分にとって利益のあるように思い量る、自分の深層に横たわる働きがあるということです。価値判断のすべてが自分の基準にあわせているということです。我執であり、我所執であるわけです。我執を破ったといった時に、またその底に末那識が働いているのです。「わかった」ということは解脱の実体化です。その実体化を否定するのが人・法二空なのですね。自分からは難の質を超えることが出来ないということなのです。すでにですね、私が苦しみ、悩んでいるということは、苦悩が与えられていることなのです。真実に出会っている証拠なのです。真実に出会っているからこそ私たちは苦悩しているのです。真実こそ如来回向に他なりません。

 『法然上人行状絵図』に上人の「出離生死」の原点がとどめられています。それは1141年(永治二年)所領の争いで夜襲をうけ亡くなっていく父時国の遺言でした。「汝さらに会稽(かいけいー敗北の恥を晴らすこと。)耻をおもひ、敵人(あたびと)をうらむ事なかれ。これ偏に先世の宿業なり。もし遺恨をむすばゞ、そのあだ世々につきがたかるべし。しかじはやく俗をのがれ、いゑを出で、我菩提をとぶらひ、みづからが解脱を求には。といひて端坐して西にむかひ、合掌して仏を念じ眠がごとくして息絶にけり。」この出来事が上人の生涯を貫いての課題となり「ただ念仏」の道を歩まれることになるのです。法然上人は「偏依善導」といわれますように善導の『観経疏』に耳を傾けられたのですが、その中に「門八万四千に余れり。・・・縁に随う者は則ち解脱を蒙る。」(真聖p340-玄義分・序題門)ここに問題が一つありますね。どの道でもよいのかと云うことです。どの道を歩んでも解脱を蒙ることであるならば、何故に浄土の教えなのかということです。善導は「然るに衆生障り重くして、悟りを取るの者明らめ難し。」といわれ、また『観経』に苦悩は「無量億劫の極重の悪業」(真聖p100)であり、その為に苦悩を除くのではなく、苦悩を除く法を説くので有るといわれているのです。根源的な無始無終の罪といっていいのでしょうか。あくまでも自覚の話ですが。この罪業も如来に言い当てられて初めて自覚できるのですね。如来も衆生も一如来生なのですね。自覚は表は罪業の自覚であり、裏は救済の事実なのです。親鸞聖人はこの問題について善導の教えを身に受け「しかるに常没の凡愚、定心修しがたし、息慮凝心のゆえに。散心行じがたし、廃悪修善のゆえに。」といわれました。「たとい千年の寿を尽くすとも法眼未だかって開けず」というわけです。「余」はすなわち本願一乗海なり。」(真聖P341-化身土・本)と教えてくださいました。本願一乗海のみが「在世・正法・像末・法滅、濁悪の群萌、斉しく悲引したまうをや。」なのですね。悲引というところに「本願の嘉号をもって己が善根とするがうゆえに、信を生ずることあたわず・・・」という自己への眼差しがあるのではないでしょうか。その眼差しが悲引を引き出してくるのだと思います。唯識で言われる倶生我執の自覚です。「救われる縁もゆかりもない身」の自覚が、無根の信をいただくことになるのです。「難」という問題は我執の矢が折れないということです。どこまでも「我思うが故に我有り」なのでしょうね。

 苦悩するということは、どのような意味があるのか、『観経』から教えられますのは、苦悩は仏教に遇うことに依って初めて具体化するということなのです。苦悩は人間としての根源の問いなのでした。それは仏法に依って明らかにされたのです。仏法に依ることがなかったなら、私たちは自分の問題を他の問題にすり替えて解決しょうとするのです。それしかできないのですね。これは逃避だと教えられるのですね。自分からの逃避だと。本当に苦悩するということは逃げようにも逃げられない立場に立って、「自己とは何ぞや」という人生の根源的な問いを明らかにする道であるということなのです。だから仏教に出遇うことがなかったなら、本当に苦悩することは成り立たないのかもしれないですね。自分の立場に立ちますから、仏教をも利用しますね。「苦しい時の神・仏頼み」です。ここで言われる「苦しい」は厳密には「困った時の」でしょうね。日常の立場からは苦悩はないのでしょうね。苦悩とは言われないのでしょう。「法」に出遇う事がない限り、苦悩が「有る」・「無い」は有無の見ですね。有無の見を破すのが仏教でしょう。そこで謬りをおこすのですね。それが苦悩だと思うのですが。念仏に遇って念仏に謬りを起こすわけです。二十願の問題ですね。しかし法は因果同時なのです。悟りの世界を蓮華蔵世界といいますね。蓮華と云う譬を以って法に出遇うことが救いであることを顕しているのです。蓮華はプンダリーカといい、華と実が同時になるのです。『華厳経』や『法華経』はその意味を持って経の主題としています。『観経』第七華座には法蔵菩薩の本願力は「華の上に自然に七宝の果有り」といわれるのですね。法に遇うことに依って苦を厭い、浄を求めるのでしょう。厭うことと浄を求めることが同時なのですね。「此の如きの妙華は、是れ本法蔵比丘の願力の所成なり」といわれていま。苦悩そのものが本願の正機となるのですね。そして苦悩を知らせることが本願成就の証明になるわけですね。ここに「除苦悩法」を顕しているですね。信心の純・不純もここで明らかになるのです。私たちは普通、苦しみ悩むことは他から生まれてくると思っています。ですから、「他」を変えることに奔走しているわけです。私を取り巻く環境ですね。それが私を束縛して私の自由を奪っているのだと思って、苦しみ悩んでいるわけです。自分自身に罪が有るとは誰も思ってはいません。ですから自分が苦悩しているとは思わないのです。苦悩は有るんですけれども、自分が作り出しているとは思わないのですね。いつも、誰かの仕業であり、物が悪いのです。物には感情は無いのですが、物に当たります。感情が昂ぶりますと八つ当たりしますからね。このようなことで、私たちは「他」を自分の都合のよい方に変えることに依って満足をしようと思っているのです。歴史はそれを物語っていますね。いまだかって満足をしたことがありませんからね。でもね、時に「これでいいのか」という疑問が沸いてくることがあります。これが縁になり教法を聞く、聴聞することが起こってまいります。『観経』に即していいますと韋提希の愚痴です。「世尊、我宿何の罪ありてか此の悪子を生める。世尊、復何等の因縁有りてか提婆達多と共に眷属為る」と。世尊に向かって愚痴をこぼしているのですね。「仏の為に礼を作して」といわれていますから、韋提希は仏をもとめたのです。苦を厭う為にですね。にも拘らずですね、自分自身の問題とは見ていないのです。「何の罪があって苦しむのか」というわけです。ここに、我執の深いことをしらないという問題が浮き彫りにされています。ここに、教法に遇うということの大切さが知られるのですね。仏法に遇うことに於いて、愚痴が・苦悩が苦を厭う縁になるのです。この縁が、人間を根源から解放する、天命に安んじることができる道へのプロローグになるのですね。仏法に遇うということは、反面苦悩の深さを知ることになり、いよいよ苦悩にさいなまれることにもなるのではないかと思います。本当に苦悩することになり「苦の娑婆を厭い、楽の無為を欣う」ことにつながってくるのです。仏法は「苦悩を除く」ものではなく「苦悩を除く法」なのですね。苦悩の解決は苦悩がなくなることではないのです。「苦悩を除く」ということであれば、それはエゴでしょう。我が身勝手というものです。苦悩が邪魔にならないということが「除く法」ということでしょう。苦悩を引き受けて生涯を尽くしていけるという、「信心」を得るということになるのではないでしょうか。逆に言うとですね。信心を得ることに於いて初めて苦悩することが出来るのでしょう。仏教は何を私たちに伝えているのでしょうか。「観経」第七華座観に「仏、当に汝がために、苦悩を除く法を分別し解脱したまうべし。」と。このお心を「安心決定鈔」に「如来浄華衆 正覚花化生」を釈して「法蔵菩薩の・・・心蓮華を、正覚華とはいうなり。これを「第七の観には、除苦悩法ととき、・・・凡夫の煩悩の泥濁にそまざるさとりなるゆえなり。・・・」(真聖P952)また、「斎しく苦悩の群萌を救済し」(総序)といわれています。善導大師は「但以れば娑婆は苦界なり。雑悪同じく居して、八苦相焼く。」(『観経疏』真聖全P514)といわれています。そうしますと何故、苦界といわれるのでしょう。善導大師に先立って曇鸞和尚は『浄土論註』に於いて述べておいでになります。「蚕繭(蚕と繭の譬)の自縛するが如し」(真聖全P285)自分で自分を縛ってやがて死に至るということですね。曇鸞大師の機の深信といわれています。苦界を造作しているのは自分であったということですね。そのことを知らしめるために仏法はあるのでしょう。知ることに於いて転悪成徳するのですね。それが智慧です。ですから、「仏法は苦悩を除く法であると思うわけです。苦悩は何故起こるのか、もう少し考えて見ますと、それは反逆ですね。道理に反逆している見返りに苦悩がもたらされているのであると。道理に背いているわけですから。唯識論ですと、末那識の問題ですね。(問い「それから未那識は恒審思量というけれど無我を思うということになれば、末那識はあっても我執の働きがなくなるんじゃないですか?その時は阿頼耶識が純粋な我となるから末那識は一瞬働かないんじゃないですか?)私に曰く、末那識が無我を思量するとどうなるのでしょうね。前七識は阿頼耶識を所依として、境を縁として起こるわけですね。そうしますと、末那識だけが転依して平等性智に成るというわけにはいかないでしょうし、無我を思量すると、もう末那識という名はなくなりますね。末那識というからには、ひたすら有我を思量するわけです。「如来、我となりて」というのは、私流に解釈しますと、私は目的も行き先もわからず彷徨っているわけです。ふらふらしているのですが、ふらふらしていることさえしらないのです。それで、如来は私のふらふらにつきあってくださるのです。しかし、如来は行き先も、目的もしっておいでになり、ふらふらしていても目覚めておいでになるわけですね。これは天と地程の違いがあります。私が私のふらふらに目覚めることを信心というのでしょう。その信心は親鸞聖人は「便同弥勒」と褒め讃えられるわけですね。「念仏の人をば、『大経』には、「次如弥勒」とときたまえり。・・・他力信楽のひとは、このよのうちにて、不退のくらいにのぼりて、かならず大般涅槃のさとりをひらかんこと、弥勒のごとしとなり。・・・念仏の人は無上涅槃にいたること、弥勒におなじきひとともうすなり。」(『一念多念文意』真聖P536~537)というわけです。(問い。自ら永遠に流転していくという自覚が還滅の方向になる時ですよね。ということは自分は救われる資格がない、永遠に救われないという方向(流転)が救われていく方向だということ?私に曰く。流転と還滅は説明すると、救われない自覚が救いだということになるのでしょうね。救われたいのに救われない自覚が救いだということはどのようなことなのでしょう。救われないととると、あるのは絶望しかありません。そうしたら絶望の自覚が救いということになるのでしょうか。絶望の先は自死しかないのではないでしょうか。最後の我執です。私は、救いというのは、救われないという自覚の前に、救われる必要のない自己に出遇うことだと思うのです。苦悩する必要を要しない世界に身をおいていることに目覚めるわけです。「ただ念仏」は流転の中において流転しないのでしょう。流転する必要がない世界、それを現生不退というのではないでしょうか。そして私の生活は浄土往生人として、浄土の一分をいただいて生涯を尽くしていけるのではないでしょうか。「人間の祈りの前に如来の祈りがある」、ここに頭が下がるのですね。その姿が人間誕生でしょうね。如来の祈りに頷いた姿が二種深信ですね。曽我先生の晩年は「機の深信」を叫ばれておられました。法蔵菩薩から二種深信そして機の深信という、先生の聞思の深さを思う時、「ただ念仏」、ただ頷くだけでいいのではないかと思うのです。命の事実にふれるということは理ではない事ですね。頭が下がるということが大事なことではないでしょうか。私の妄想をはたらかしますと、最近は妄想の塊になっていましてね、『正信偈』に竜樹菩薩を讃嘆されるお言葉として「悉く、能く有無の見を催破せん」とあります。否定を通して真実を顕すということが大乗の真髄であるということでしょう。そこに一つ問題が出てきますね。真実は「空」だということはわかるが、現実には迷い苦しんでいるではないか、何故なんだということです。無いのではない有ると、積極的に有る問題を提起してきたのが唯識ですね。「ただ迷いのみが有る」ということですね。認識の問題として深層に働く心を観察し、転依を体得することに於いて唯識性に通達する事を明らかにしてきたのでしょう。そうしますとね、親鸞聖人が明らかにされました二種深信はどこから生まれてくるのかと云うことなのです。曽我先生は法蔵菩薩と云うことで阿頼耶識を解明なさいました。晩年、機の深信を叫ばれるときは、私は末那識を憶念されていたのではないかと思うのです。(すごい妄想ですが)そして第六意識に上ってくる時ですね、法の深信は阿頼耶識の自覚であり、機の深信は末那識の自覚ではないかと思うわけです。第七・第八識はお互いに支えあっているわけですね。「第七なくば転ぜず、第八なくば転ぜず」という言葉がありますからね。相応しているわけです。そして、意識に於いて、はっきりと頷くことができるのではないかと思うわけです。「生死罪濁の身」・「煩悩具足の身」・「朝に紅顔あって、夕べに白骨となれる身」は如来の祈りに於いて明らかになった自覚だと思うのです。

 難行という問題は、人間存在とも関係してくると思うのです。人間存在は関係的存在であるといわれます。関係を断ち切っては生きていけない存在であるということですね。このことは歴史的存在であるともいえます。時と場所とを限定して、今、ここに、私として、すべてのものと繋がりを以て生かされて生きていると云うことなのでしょう。先日の毎日新聞の「悼む」欄に昨年他界されました広瀬先生の記事がでていました。その記事の中で広瀬先生はシベリヤ抑留の時の状況を生々しく語っておられます。少し抜粋しますと、「氷点下40度での重労働。飢えのあまり、日本人同士が食べ物を奪いあう。ある時、大事なパンを盗まれた。すでに僧籍にあった広瀬さんは 「よし、今度は俺が盗んでやる」 と思った。実際は盗めなかった。それでも 「私はが餓鬼道に落ちた。あの時、私の信仰は壊れてしまったんです」。と語っておいでになります。そして「人間を人間たらしめるものは何か」を考え抜いた。 「帰国して親鸞の教えにまじめに取り組むようになり」、信仰を再構築した。毎日新聞の記者である栗原俊雄さんの問に答えられたものです。非常に考えさせられる遺教です。そういえば、親鸞聖人は『歎異抄』第十三条において「故聖人のおおせには、「卯毛羊毛のさきにいるちりばかりもつくるつみの、宿業にあらずということなしとしるべし」とそうらいき。また、あるとき「唯円房はわがいうことをば信ずるか」と、おおせのそうらいしあいだ、「さんぞうろう」と、もうしそうらいしかば、「さらば、いわんことたがうまじきか」と、かさねておおせのそうらいしあいだ、つつしんで領状もうしてそうらいしかば、「たとえば、ひとを千人ころしてんや、しからば往生は一定すべし」と、おおせそうらいしとき、「おおせにてはそうらえども、一人もこの身の器量にては、ころしつべしとも、おぼえずそうろう」と、もうしてそうらいしかば、「さてはいかに親鸞がいうことをたがうまじきとはいうぞ」と。「これにてしるべし。なにごともこころにまかせたることならば、往生のために千人ころせといわんに、すなわちころすべし。しかれども、一人にてもかないぬべき業縁なきによりて、害せざるなり。わがこころのよくて、ころさぬにはあらず。また害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし」と、おおせのそうらいしは、われらが、こころのよきをばよしとおもい、あしきことをばあしとおもいて、願の不思議にてたすけたまうということをしらざることを、おおせのそうらいしなり。」(真聖p633)と語っておられます。人間とは業縁存在である、と。「業縁をもってのゆえにしばしば生死を受く」存在である、ということに自身の存在根拠を見ておいでになるのですね。難行という時には、この関係存在を断ち切らなければ成り立たないという質をもっているのです。関係存在である限り退転するのです。時代に翻弄されるということが起こってきます。事実あの戦時下にあって命を一番大切にしなかればならない各教団・教会が戦時教学を打ち立て戦争協力をしたという経緯があるからです。餓鬼道に落ち、畜生道を生き地獄絵図を描かなければ成らないというところに自身の根拠を置いた時、自己とは、「よくよく案じみれば、天におどり地におどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもいたまうべきなり。よろこぶべきこころをおさえて、よろこばせざるは、煩悩の所為なり。しかるに仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫とおおせられたることなれば、他力の悲願は、かくのごときのわれらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり」。と教えられるのではないでしょうか。

 『唯識論』においても、平等性智相応の末那識の存在が説かれています。「彼縁無垢異熟識等。起平等性智」(彼は、無垢と異熟との識等を縁じて、平等性智を起こす)と述べられています。安慧論師の説くように「三位に末那無し」という所論に対して、安慧の解釈は、末那識そのものの体もなくなり、浄位の末那識を認めないという立場になります。この立場ですと、染汚の末那識を断絶し、永断することにおいて不退転に住することになるのでしょうが、この論法は矛盾をきたすのですね。(詳細は『唯識に学ぶ』において掲載中です。)護法は安慧の説を論破し、浄位の末那識を認めているのです。このことは、染汚の末那識と浄位の末那識の二つが存在すると説いているわけではないと思うのです。有るのは言葉にすれば「法」です。法といっても実体的にあるわけではありません。法によって見出されてきたのが実体的な二執(我執・法執)ですね。染汚の末那識も見出されたものなのです。見出すということに於て、法は法自身の存在を証明しているのですね。私自身でいうと、苦悩する身の事実が法の働きであるということです。言葉に託して説かれるとですね。『大無量寿経』の法蔵菩薩です。法蔵菩薩の働きです。「安危同一」という働きですし、「恒」ということも、衆生と共に在る存在を言い表わしているのでしょうね。従って、菩薩の階位からいいますと、菩薩と仏の間に断絶があるのです。どうしても超えられない壁が立ちはだかっているのですね。七地沈空の難といわれているものです。龍樹菩薩も曇鸞大師も悩まれたのでしょうね。七地以前の菩薩が七地沈空の難を超えて仏果を得ることができるのか、と。この問が『浄土論註』を通して親鸞聖人は『教行信証』証巻において

 「すなわちかの仏を見れば、未証浄心の菩薩、畢竟じて平等法身を得証す。浄心の菩薩と、上地のもろもろの菩薩と、畢竟じて同じく寂滅平等を得るがゆえに」とのたまえり。「平等法身」とは、八地已上の法性生身の菩薩なり。(「寂滅平等」とはすなわちこの法身の菩薩の所証の)寂滅平等の法なり。この寂滅平等の法を得るをもってのゆえに、名づけて「平等法身」とす。平等法身の菩薩の所得なるをもってのゆえに、名づけて「寂滅平等の法」とするなり」(真聖p285)

 と述べておられます。最初に戻りますと、易行道は難行道と対比するものではなく、難行道を成就する道、それが易行道といわれる仏道なのです。それ故、「易往無人の浄信」といわれるのです。『信巻』に

 「謹んで往相の回向を案ずるに、大信有り。大信心はすなわちこれ、長生不死の神方、欣浄厭穢の妙術、選択回向の直心、利他深広の信楽、金剛不壊の真心、易往無人の浄信、心光摂護の一心、希有最勝の大信、世間難信の捷径、証大涅槃の真因、極速円融の白道、真如一実の信海なり。
 
この心すなわちこれ念仏往生の願より出でたり。この大願を選択本願と名づく。また本願三心の願と名づく。また至心信楽の願と名づく。また往相信心の願と名づくべきなり。
 
しかるに常没の凡愚・流転の群生、無上妙果の成じがたきにあらず、真実の信楽実に獲ること難し。何をもってのゆえに。いまし如来の加威力に由るがゆえなり。博く大悲広慧の力に因るがゆえなり。」(真聖p211)

 易往無人の浄信であり、真実の信楽実に獲ること難し、といわれる信心なのです。「ただ念仏」といわれる所以も、念仏に何も付け加える必要がないということを表しているのです。そしてですね、何かを付け加えたいと思う心が『三十頌』に語られています。
本頌における末那識の定義を見てみますと、

             (第五頌~第七頌)

   頌曰     次第二能変  是識名末那

           依彼転縁彼  思量為性相  第五頌

           四煩悩常倶  謂我癡我見

           并我慢我愛  及余触等倶

           有覆無記摂  随所生所繋  第六頌

           阿羅漢滅定  出世道無有  第七頌

 ( 頌に曰く、次は第二の能変なり。是識をば末那(まな)と名けたり。彼(第八識)に依て転じて彼(第八識)を縁ず。思量するをもって、性とも相とも為す。四の煩悩と常に倶なり。謂く我癡と我見と、並びに我慢と我愛となり。及び余と触等と倶なり。有覆無記(うぶくむき)に摂む。所生(しょしょう)に随って繋(けい)せらる。阿羅漢(あらかん)と滅定と、出世道とには有ること無し。)

 阿頼耶識の上に末那識が語られるのですね。自己中心的な活動しか出来ない存在として末那識が考えられています。無意識というより、何も考えない即座にですね、恒に(我)を審らかに思い量っているのです。しかしその思量する底に流れているのが平等性智相応の末那識なのですね。その時に阿頼耶識は命を支えていく、相続していく浄位の働きをしているのです。命は支えられて存在するということは浄位の阿頼耶識が働いているということの他にありません。その時に末那識は平等性智相応という働きをすると云われています。

 私たちは生まれた瞬間から分別をもって産み出されています。ですから分別を知らしめることを通してしか平等性智の存在を証明するしかないのですね。分別心を通して仏道は開かれているのですね。迷いから悟りに向かうのではないのです。このことをはっきりと言い表わしている経典が『大無量寿経』なのですね。ここをもって、親鸞聖人は『真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり。」 その理由は、「この経の大意は、弥陀、誓いを超発して、広く法蔵を開きて、凡小を哀れみて、選びて功徳の宝を施すことをいたす。・・・・・ここをもって、如来の本願を説きて、経の宗致とす。すなわち、仏の名号をもって、経の体とするなり。」(真聖p152)と宣言されているのです。このことが大乗至極と言われ、浄土の真宗今盛んなり、といわれる所以なのではないでしょうか。 (完)


東北地方太平洋沖地震発生に係る宗務総長声明

2011-03-13 18:43:02 | 生きることの意味
2011.03.12 更新 東北地方太平洋沖地震発生に係る宗務総長声明

今、いのちがあなたを生きている
=東北地方太平洋沖地震の被災者の皆様と共に=

去る3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震により被災された皆様には、衷心よりお見舞い申し上げます。
今、私たちは自然の猛威の前で、決して自分の思い通りにはならないいのちの尊さを知りました。当に私がいのちを生きているのではなく、いのちが私を生きているのであります。そして、すべてのいのちが無数のつながりの中に存することを憶わずにはおれません。
真宗大谷派は、3月19日から予定しておりました宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要を、この震災を共に悼む法要として、一部予定を変更し厳修いたします。
今こそ「今、いのちがあなたを生きている」のテーマのもと、謹んで被災者の皆様と共にあることを憶念してまいりたいと思います。

  2011年3月12日

     各 位

真宗大谷派宗務総長 安 原   晃

真宗大谷派宗務総長名で今回の未曾有の大地震に対するコメントが発長されていました。くしくも本年は宗祖親鸞聖人の七百五十回御遠忌の節目の年にあたっております。各地の御門徒さんにとっては待ちに待った御遠忌となっていましょうし、今回被災に遇われた東北地方の御門徒さんにとっても指折り数えた御遠忌法要であったと思われます。今は途方もない絶望感の中で明日をも知れぬ命の行方を見つめられておられることでありましょう。衷心よりお見舞い申し上げます。蓮如上人が「されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり」と身命の事実を教えてくださっていますが、何が起こるかわからない、なにが起こっても不思議でない状況の中で、命の事実とどう向き合っていったらいいのかを教えられました。私は団参の一員として3月21日、御遠忌法要にあわさせていただきますが、大多数の犠牲者の命の尊さの意味を身に引きあて、生きていることの意味を尋ねて行く歩みとさせていただきたいと思います。        

誓喚         


釈尊伝 最終回

2010-09-27 21:40:00 | 生きることの意味
『釈尊伝』 質疑応答より ・ 最終回
 「朝日新聞でみましたが。京都府亀岡市矢田町の寺院で世襲制をやめるということを発表したと。山本現雄という若い住職が世襲制をやめるというわけで、朝日新聞に記者会見の模様がでていました。本人は大谷大学中退だそうです。やはりこの今まで知っているということに対して悩まれたわけですね。そしてそのあげくが大学もやめて寺に帰って、寺もやめるというて寺をでようともしたというようなことから、やがて友松円諦氏の真理運動というものに参加したというのですかね。そういうことから増谷文雄氏などの教えにも遇うたりして、それでタイトルが「釈尊にかえれ」というのだったのですね。釈尊ぬきの仏教になっておると。釈尊にかえるということでなくてはならんということで、まあ檀家にむかって、檀家は自由にどこへでもついてくれというたというようなことで、はじめは大変だったと。人々はあれは一派をたてるつもりじゃないかなんていったというのですね。よくよく聞いてみると檀家は二十軒ばかりしかないのですよ。それじゃ一派をたてるもありませんですが。それでも努力してだんだん若い人もくるようになって、会員組織にしたというのです。普通の家庭は一ケ月に二百円、それから未亡人とか年寄りだけの家庭は百円ということにして、なにか土曜日だけ寄り合うのですかね。それから一ケ月に一回だけ会費をだすのですかね。そんなことをしてきて、今では会員が二百五十人ほどになっているというのです。そんなことが書いてありました。
 これは、考えぬいたあげく思いきってやられたのだろうと思います。ある意味で仏教は釈尊にかえれというよりほかにないということでしょうね。釈尊にかえれというよりほかにないのだけれども・・・・・・。また、お経をあげてくれといわれれば、浄土三部経にかぎらず、般若心経でもどんなお経でもあげるというのです。そのお経もわからんからわかるように訓読であげると。三部経をあげてくれといわれると三時間あまりかかるそうですね。大変ですね。そういうようなことがでておりました。ある意味で、一つの考えぬいたあげくにふみきったのでしょうね。
 ただ、ここのところに、これはこれでいいと思いますけれども、問題は依然としてあるのですよ。死んだ者にお経をあげる必要はないと。これもわかります。生きた者にあげるお経が、今の訓読で読むところのわかるお経なんです。本当に来た者にあげるのだろうか。来たものにあげるのだったら仏壇に向かわずに来た者に向かってあげなければならんですね。あげられたものはたまったものではないですね。(笑)
 だから読んでみますと問題がありますね。本当に寺院規則改正ということは、まともにはいえんことなのです。これはやはり規則にしたがって変更しなければならんので、やはり総代会にかけて、そしてやらなければならん。とにかく反対しても通らんですよ。
 とにかくこれを読んでいろいろ感じましたが、仏教というのは、釈尊にかえれというのが仏教じゃないのです。釈尊というのは、これは歴史的人物です。これでは釈尊にかえるということを本当に思うのなら、釈尊の教えに従ってやっぱり比丘にならなくてはならんでしょう。そうでなくて寺におって釈尊にかえれというのでは口だけですよ。批判しますとね。寺を捨てて、どうか自分は住職をやめますから、新しい住職を選んでくださいと。自分は一比丘になって修行をはじめるからというて、やっぱり十二因縁を感ずるとか、八正道を行ずるか、とにかく釈尊の教え通りに行じなければならないでしょう。ですから釈尊の教えにかえれというのはかならずしも仏教ではない。やはり仏教ということでは、どこに着眼点を置くかと申しましたら、なんというても、われわれが今ここにおる。ここにおらなければどこかに帰えれば帰ったところで、ここにおると。そこに仏が今自分はどういうものであるかということを、それをみるべく教えているということです。
 そういう意味で真宗というものはたっておるわけです。今後の仏教というものの展開は、今申しあげたところからでないと本格的な展開はできないと思います。しかし今そういう話がでてきましたように、どうしても今までわかっている仏教というものでは、仏教そのものは依然として埋れておって遠く考えるよりほかはないでしょうね。それだけはいえますね。
 そういう意味では、こうして集まってくださったことはありがとうございました。こうしていろいろお話をしながらもわからしてもらうことが多々ございました。どうもありがとうございました。 (完)
          - ・ -
 『仏陀 釈尊伝』の内容及び質疑応答の一部を書き込ませていただきました。私は1966年の育成会に参加させていただき、蓬茨先生の講義を一週間泊まり込みで聞かせていただく機縁をいただきました。その当時の様子を思いだしながら書き込みをさせていただきました。私にとっては、自分を尋ねる初めの一歩でありました。迂余曲折を経て今日に至っておりますが、その感慨は身が覚えてくれています。補導にあたられた宮城先生には大変よく指導していただきました。その恩を仇で返してきましたことは慙愧に堪えませんが、その先生も先年他界されました。蓬茨先生の選集が出版されましたように、来年、宮城先生の選集が出版される予定であると伺っています、楽しみにしています。

釈尊伝 質疑応答より

2010-09-26 22:02:52 | 生きることの意味

   釈尊伝 質疑応答より (1)

 質問 応供は人々の供養に応ずるだけの徳があると。これはよろしいのですけれども。それだけの利益を人々に与えるということですが、利益は人に与えるものでなくて、自分のものとして自分の中にみるのではないですか。

 蓬茨 いやいやそうじゃないのですよ。仏陀は人の供養に応ずることができるという意味であって、仏陀以外は応ずることができないということに対する言葉です。

 質問 それだけの利益を人に与えるとは?

 蓬茨 ですから、ほかの人は損を与える。つまり乞食が物をもらいにくると物をやるでしょう。やったら損をしたのですもの、一文をやると一文だけ損をしたことになるでしょう。

 質問 いや、受けとった人は、与えてもらったのではなくて、自分の中にその法をみいだしたということでは・・・・・・。

 蓬茨 それは違います。この場合は仏という意味なんですから。われわれの考えでいうとあなたのおっしゃるようなことになりますけれども、仏という意義をあらわすときには、仏には自利と利他と、一応この二つにわけて考えますけれども、利他が主なんです。応供というもこれは利他の意味なんです。人が供養するというときに、受けとる人は受けとることによって地獄におちるということなんです。つまり乞食に物をやるでしょう。ありがとうございますというて受けとったら、これは三日したら乞食がやめられないですよ。これは地獄に落ちるのですよ。ですから受けとる資格のある人は、相手にそれだけ徳をかえさねばならぬのですよ。同じだけのおかえしをしたんでは同じ人間ですわ。ギブアンドテイクになってしまいますわ。

 ですから、仏陀は供養に応じられれるというのは、供養したものに対しては、その人が願うてもおらん以上の徳が与えられる資格があると。こういう意味なんです。ですから供養した人はそう思うておらんですね。これをあげたいと。これによって幸福を与えて下さいといっても、小さな幸福しか願わんのです。しかし、仏陀の方でそれに対して与えるところの幸福というものは、自分と同じ仏陀にまでなることができるという功徳を与えるということなんです。そうすると、本人は知らんからなかなかそこまでゆくのには骨がおれる。けれども、それだけの徳が仏陀にはあると。こういう意味で応供ということがいわれるわけです。ほかの人はその供養に応ずる徳がないから、うかつにもらわれないということです。比丘が托鉢して食物をうる場合にも、行乞したものを私的にできないというのはそこにあるのです。みな持って帰って、そして全体のものとして、それぞれが平等にわけあって食べると。つまり自分たちにはその功徳がないからですね。一応、仏陀の徳としていただいたのだから、それを自分たちがいただくのだ。これによって自分たちは修行して仏陀になるのだと。こういう意味で食を請うてあるくと。こういう意味なんですね。仏陀の徳によって食を請うのであって、そうでなければ乞食ですね。そういう意味で応供というのは、一つでてきておるわけです。

 それで、仏には如来・応供・等正覚・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏世尊と。そういう意義をもった教えであるということですから、仏という意味をつらねたものから申しまして、われわれの問題としましては、なかなかそう遠く離れたものではありません。それが遠く考えられるということは、いわゆる今までの知識でありまして、知らず知らずに入ってくる知識でありまして、まず第一に二千五百年という年月ですね。そういう意味で遠く考えられる。それからみえるところのものが、過去のものが残っておりますから遠く考えられるのであります。言葉をたどってみると語られている言葉が、また遠く考えられると。それはそのはずでしてわれわれの考え、われわれのもちいる言葉。みなこれ異質の世界からの言葉がわれわれの日常の言葉になり、日常の思考になっております。近代になりましてから、西洋という異質の世界から伝わってきたものによって、われわれの頭が組織せられてきましたから、そういう意味で遠く考えられます。そういう意味で遠く考えられるわけを一つわかっていただきたい。わけはそういうわけがあったのだと。それで遠く考えられるわけがわかったら、問題は近きにあり。仏教そのものは、われわれ自身のもっておる問題に即して離れないところにあるのだと。

 そこからみるとどうとれるかということですね。これが今後の仏教というものの有り方でございますね。今日までの仏教を今後生かしてゆくというようなことでは、これは到底仏教が生きるということはないでしょう。むしろ仏教の本質というものを、われわれ自身の手もとというところにあるということからはっきりしていかねばならんのではないかと思います。仏教自体はそういう意味で二千五百年以前も今日も表現の差こそ違え、意義そのものにとっては、今でも生き生きとわれわれの生活に即した教えであるということは変わりありませんけれども、それをみつけなければならんのです。だからというて生きておるとはいわれない。そういう問題がございます。 (つづく) 『仏陀 釈尊伝』 蓬茨祖運述より(東本願寺発行・真宗カリキュラム資料 1 仏陀 釈尊伝 p260~p266)