先年、12月1日より更新が滞っていました『倶舎論』について久々に更新します。『倶舎論』は仏滅後900年に世親菩薩が著された仏教の原理を説く論書であることは、皆さまもよく御存じのことかと思います。部派仏教の代表格である説一切有部の根本聖典である『阿毘達磨大毘婆沙論』の教理を組織して、此れに批評を加えたものが『倶舎論』になります。
世親菩薩は『倶舎論』編纂の後、兄無著菩薩の勧めにより大乗に帰入し、唯識を大成、『唯識三十頌』は今も仏教を学ぶものにとっては大変重要な論書の一つになっています。しかし、世親菩薩最晩年には『浄土論』(『無量寿経優婆提舎願生偈』)を著されて、自身の信仰の表白をされました。部派仏教から大乗仏教へ、大乗唯識から、その帰結としての『浄土論』への世親菩薩の求道の歩みは、今を生きる私たちに大きな示唆を与えています。
法然上人は『選択集』において「往生浄土ヲ明す教トイウハ三経一論是ナリ。・・・一論トイフハ、天親ノ『往生論』是ナリ」(『真聖全』Ⅰp3)と、真実の浄土を明らかにする論であると明らかにされました。
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今日は、「分別根品第二」二十二根を明かす中の第六頌を読んでみます。異説になります。
「或流転所依 此生住受用 建立前十四 還滅後亦然」
(或は流転(ルテン)の所依(ショエ)と、及び生(ショウ)と住(ジュウ)と受用(ジュユウ)とに、前の十四を建立(コンリュウ)す、還滅(ゲンメツ)の後も亦然(シカ)り。)
- 流転 - 還滅の対。迷いの生存が続くこと。
- 生 - 生起すること。
- 住 - 維持され継続されること。
- 受用 - 受け入れること。
- 還滅 ー 流転の対。迷いの生存が滅び尽きてさとりの境地に至ること。
- 後 - 後の八根。二十二根の中、流転に約して十四根を立て、還滅に約して八根を立てています。
- 亦然 - 還滅にも生と住と受用の四の義があることを示しています。
- 二十二根 - 眼・耳・鼻・舌・身・意の六内根、男女二根、命根、憂・喜・苦・楽・捨の五受根、信・勤・念・定・慧の五作根、未知当知・已知・具知の三無漏根。
六内根は有情の心の依り所であり、また流転の依り所となる。
次に、誕生の基と為る男女二根をたてる。
次に、住の元として命根を立て、
次に、受用は五受根に依る。
ここまでが、前の十四根になります。(「前の十四を建立す」)
後の八根は、
還滅の所依は信等の五作根に依る。
無漏の生は未知当知根に依る。
無漏の住は已知根に依る。
無漏の受用は具知根に依る。
以上が異説になります。
これは、「伝説すらく、五は四に於てし、四根は二種に於てし、五と八とは染と浄との中に、各々に増上を為す」を受けての異説になります。
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五受根と三無漏根について説明される。
第七頌・第八頌
「身不悦名苦 即此悦名楽 及三定心悦 余処此名喜」
「心不悦名憂 中捨二無別 見修無学道 依九立三根」
(身(シン)の不悦(フエツ)を苦と名づく、即ち此の悦を楽と名づく、及び三定(サンジョウ)の心(シン)の悦なり、余処には此を喜(キ)と名づく、心の不悦を楽と名づく、中は捨なり、二別なし。見と修と無学道とに、九に依って三根を立つ。)
苦・楽・捨の三受から、苦受から憂受を開き、楽受から喜受を開いて五受根と為す。
五識相応の受は、身根から生起する受で、苦受・楽受は身受であり、第六識相応の受は心受で、憂受・喜受がこれにあたる。尚、第三句の第三静慮では五識がないから身受はない。但し、第三静慮の心悦を楽受と名づけ、第二静慮までの心悦を喜受と名づく。第六句の捨は身受・心受に通じ、非悦非不悦である。
次に三無漏根ですが、意・喜・楽・捨及び信等の五根の九根に依って立てられ、見道に於いては未知当知根を、修道に於いては已知根を、無学道に於いては具知根を立てる。
四諦の理を知る無漏の根をまとめて三無漏根というが、それぞれを未知当知根・已知根・具知根とに分けられ、その領分を明らかにしている。
- 未知当知根 - 未だかって知らなかった四諦の理をすべて知ろうと欲する見道における力。
- 已知根 - 修道においてさらに事に迷う修惑を断じるために四諦の理を知る力。
- 具知根 - すべての惑を断じ尽くして、もはや修学すべきことのなくなった無学道において、すでに四諦の理を知り尽くしたとする智慧を具えていること。