後半は、有部の主張の問題点を挙げて論破する科段になります。
護法は五つの問題点を挙げて論破しているんですね。
第一は、如想起滅難
「是れ則ち心行のみを滅せりとは説く応からず、識と想等とは、起滅すること同なるが故に。」(『論』第四・四左)
有部の論者よ、心行のみを滅せりと説いてはならない、何故なら識と心行とは起滅を同じくするからである。心行については先に述べていますが、『述記』の説明は受と想のみが心行であるといいます。
つまり、有部は、滅尽定に於いて六識は滅しているというのは、六識で働いている受の心所と想の心所のみが滅せられているのであって、六識は滅せられていないと主張しているのですね。滅尽定においても六識は働いているというのですが、ここに矛盾点があると護法は指摘しているわけです。
その答が、「識と想等とは、起滅すること同なるが故に」なのです。
識が滅したら心行も滅し、心行が滅したら識もまた滅する、起滅を同じくするからである。しかし有部の主張ではそうならないんですね。ここが論破の第一の問題点であるとします。
ここの論点は起滅ですね。生ずることと、滅することは同時であると云っているわけです。」
滅尽定に於いて受の心所・想の心所が滅せられている「ということは、識もまた滅せられて』いるという云いことなんですね。
逆の発想からしますと、受及び想の心所が滅せられているということは、とりもなおさず、識も亦滅せられているというになるんだと。ただね、有部は滅尽定に於いても、六識は滅していないと主張することと、滅尽定では、すべての心行が滅せられていると主張する学派と矛盾する主張になるわけれす。」