第二段・第五門・心所相応門と、第六門・受倶門を述べる。
「六識は幾ばくの心所と相応するや。」(『論』第五十九左)
(六識は、いくつの心所と相応するのであろうか。)
「第二の頌は第五の相応と第六の受倶との門を解す。」(相応門と受倶門)
「述曰。此問起起也」(『述記』第五末・七十一右。大正43・421b)
(「述して曰く、此れは問起なり。」)
初めは問い、後に答えです。「六識与幾心所相応」は初めになります。三段九義の中の第二段にあたり第五が心所相応門・第六が受倶門にあたり、あわせて説明がされています。第九頌の「此心所遍行 別境善煩悩 随煩悩不定」が心所相応門にあたり、「皆三受相応」が受倶門になります。
心所は正式には心所有法という名称です。心に属するもの、心の働きをいいます。心王に対して心に所有されたものという意味で、対象の種々なすがたを見るのですね。『弁中辺論』(大正31巻465上)に「差別を了することをもって名づけて受等の諸の心所法と為す」といわれ、『二巻鈔』では「此の八の王に多くの眷属あり、之を心所有法と名く。略して心所と名く。是も同じく心なれどもさまざま種々にこまかくなる心をば心の眷属とす。」と説かれています。
この科段は心王である六識はいくつの心所と相応するのか、六識と相応して働く心所には、どのようなものがあるのかかが問われています。心所には五十一ありますが、第六意識のみが五十一の心所と相応し、前五識は三十四・末那識は十八・阿頼耶識は五の心所と相応するといわれているのです。
問いに対する答え (その一・本頌を挙げる)
「頌に曰く、 此の心所は遍行と、別境と善と煩悩と、随煩悩と不定となり。皆三の受と相応す」(『論』第五・十九左)
(頌にいう。この心所は、遍行と別境と善と煩悩と、随煩悩と不定である。皆、三つの受と相応する。)
『唯識三十頌』第九頌本文を挙げています。六位五十一の心所が述べられるのですが、ここでは六位の名が挙げられています。「皆三受相応」は受倶門にあたり、受の心所について述べられます。三受は苦受・楽受・捨受です。六転識は、皆、この三と相応すると述べられています。
「論。頌曰至皆三受相應 述曰。上三句列六位心所總名。下一句正解受倶」(『述記』第五末・七十一右)
(「述して曰く。上の三句は六位の心所の総名を列ね、下の一句は正しく受倶を解す」
「論に日く、此の六転識は、総じて六位の心所と相応す、謂く遍行等なり。」(『論』第五・二十右)
(論に述べられている。この六転識は、総じて六位の心所と相応する、それは遍行等である。)
前半は頌の上三句を六位の名を挙げて説明し、後の一句を受倶門として説明する。前半がまた二つに分かれる。初めは上三句の意を説明し、後に心所とは何かについて説明する。今は此の初めについて説明する。
後半は心所とは何かを説明しているのですが、心所の解釈を二つの視点より説明しています。初めは心所の二字を説明し、後は遍行等の意義を個別に説明します。
「論。曰此六轉識至謂遍行等 述曰。下文有二。初解心所等頌上三句。後解受倶。初中復二。初總解此心所等上三句意。後別解。此即總也。正解此字。指頌可知 何名心所。心所何義。」(『述記』第五末・七十一右)』
(「述して曰く。下の文に二有り。初に心所等の頌の上の三句を解し、後は受倶を解す。初の中に復、二有り。初に総じて此の心所等の上の三句の意を解し、後は別に解す。此れ即ち総なり。正しく此の字を解す。頌を指すことは知る可し。何ぞ心所と名づける、心所とは何の義ぞ。」)
心所とは何かについての説明
「恒に心に依って起こって、心と相応し、心に繋属せり、故に心所と名づく。」(『論』第五・二十右)
(心所とは恒に心に依って起こって、心と相応し、心に繋属する、その理由から心所と名づくのである。)
心は心王のことで、八識です。この八識に属し八識に繋属する心の働きを個別に数えて心所というのです。正式には心所有法といいます。『述記』の説明を簡略しますと、(1)恒に心王に依って起こる。(2)心王と相応する。(3)心王に繋属する。ということになります。又『述記』には所顕と所簡とを四の見解を以って示しています。 初めに心所についは三つの部分より説明されますが、初めは心所の意味を説明し、次に行相を説明し、後は総括です。初めの心所の意味を三義を以って尋ねています。
- 一に恒に(他の)心に依って起こる。心若し無きときは心所生ぜず。要ず心を依として方に生ずることを得るが故に。若し爾らば心を(他の)遍行に望めて心所と名づくべきや。」
- 「二には心と相応す。彼の五(遍行)をば心と相応すと説くが故に、心は心と相応せざるが故に。又時と依と縁と事との四の義を具せるが故に。説いて相応と名づく。此れに由って色等は亦心所に非ず。既に爾らば心は五義を具す。五と相応するを以って心所と名づくべきや。」
- 「三には心に繋属す。心を以って主と為し、所は之に繋属す。心は自在なること有るをもって所に非ず。是の義を以っての故に心に繋属す。」
此の三の義有るが故に心所と名づく。(『述記』)
『述記』本文は、明日記載します。