唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変 善と煩悩の名の由来 ・ 釈尊伝(28)

2010-05-31 22:08:09 | 心の構造について

 釈尊伝 (24) 人生の相  四門出遊

 そこに次の物語が展開してきます。

「ある日、太子は遊山をすすめられて、東門を出たとき、やせおとろえた老人に出あった。人はみなこのように老いるのかと問い、すぐに城に帰った」

 生活には、老衰ということが隠されています。つまり楽しいところの生活が目標であるという場合、その楽しい生活は得られれば過ぎ去るわけであります。そうして、その後は、花がしぼんだような、あるいは、花が散ったような結果をうけとらねばばらない。それをうけとめるまいとしても、それをうけとらんときには、今度は楽しいということもまた、うけとることはできない。楽しいことだけうけとって、後の過ぎ去ったものの悲哀だけをうけとるまいということは、人間の考えではとうていできないことであります。

          ー

 やせ衰えた老人にあったとは、老人の姿を自分の姿として見たという意味であります。つまり充実した生活と思っていた中に、老人の姿があることを見たという意味であります。 (つづく) 蓬茨祖運述より

 善と煩悩の名の由来について

「唯善にして心の中に生ずることを得可きが故に、性是れ根本にして煩悩に摂めらるるが故に」(『論』)

 「十一の善法は唯、善心のみ有り。体性根本にして能く諸惑を生ず、即ち貪等の六」(『述記』) 十一の善の心所はただ善であり、必ず善としてのみ心の中に生じるものである。根本煩悩の六の心所は性が根本であり、諸々の諸惑を生みだす。煩悩に摂められるから、煩悩の心所という。

 善の心所については「善」の項を参照してください。

 善の心所は、前六識と相応して働き、第七識と第八識とは相応しません。

  • 仮実分別 - 不放逸・行捨・不害は仮法、それ以外の七は実法。
  • 三性分別 - 善
  • 界繋分別 - 軽安は色界と無色界。それ以外の十は三界すべて。
  • 三量では - すべて現量・比量
  • 相応の識 ー 前六識 

 不放逸・行捨・不害は仮法という意味は、不放逸・行捨は勤と無貪と無瞋と無癡の四つの心所の分位仮立であり、不害は無瞋の分位仮立であるので、仮法である。

 善の心所は唯善である。三界では、軽安は定の時のみに働くので欲界には存在しないということになります。それ以外は三界にわたって存在します。三量ではすべて現量か比量で、非量はありません。

 善の四義(四種善) 

  • 自性善(じしょうぜん) - それ自身、善であるもの。慚と愧との根をいう。善の十一の心所は自性善である。
  • 相応善(そうおうぜん) - 慚と愧と無貪とに結びついている心・心所をいう。
  • 等起善(とうきぜん) - 善の心作用にもとづいて起こる身体的動作と言語表現で、自性善・相応善と等しく生起する身・語の表業・無表業および不相応行法をいう。
  • 勝義善(しょうぎぜん) - 解脱のこと。すべての煩悩が断ぜられて安楽な境地であるから善と名づけられる。

 煩悩の心所については煩悩の項を参照してください。

 煩悩の心所は随煩悩に対して根本のものであり、諸惑を生みだす根本でもある。

  • 仮実分別 - 悪見のみ仮法であり、その他の五は実法
  • 三性分別 - 瞋のみ不善であり、その他の五は不善・有覆
  • 界繋分別 - 瞋のみ欲界の存在し、他は三界すべてに存在する
  • 三量では - 貪・瞋・癡は三量すべて、慢は比量・非量、疑・悪見は非量
  • 相応の識 - 貪は前七識・瞋は前六識・癡は前七識・慢は第六・七識、疑は第六識、悪見は第六・七識    

      


日曜雑感 仏性について その(1)

2010-05-30 20:44:54 | 仏性について
親鸞聖人は師、法然上人との出遇を「しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す」と自らの廻心を語っておいでになります。そして「悲喜の涙を抑えて由来の縁を註す」といわれた、『選択集』書写の事実を「元久乙の丑の歳、恩恕を蒙りて『選択』を書しき。同じき年の初夏中旬第四日に、「選択本願念仏集」の内題の字、ならびに「南無阿弥陀仏 往生之業 念仏為本」と、「釈の綽空」の字と、空(源空)の真筆をもって、これを書かしめたまいき。」と『教行信証』化身土巻末に述べておられます。(真聖p400)
 法然上人の課題は二つあったと思われます。一つは一切衆生の救済は如何にしたら成立するのか。もう一つは速やかに生死を離れる事は如何にしたら可能かということでしょう。そしてその根拠はどこにあるのか、が必然として問われてきます。親鸞聖人は『選択集』を「真宗の簡要、念仏の奥義、これに摂在せり」と述べられています。いついかなる時であっても、いついかなる機であっても、そこに念仏とはなにかを明らかにし、私の行に先だって、本願として選び取られた、選択本願念仏を明らかにされたのが法然上人ですね。その視座は一切衆生をして平等に往生せしめたい、ということと、選択本願念仏為本ということでしょう。親鸞聖人は「行巻」(真聖p189)に「それ速やかに生死を離れんと欲わば、二種の勝法の中に、しばらく聖道門を閣きて、選びて浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲わば、正雑二行の中に、しばらくもろもろの雑行を抛ちて、選びて正行に帰すべし。正行を修せんと欲わば、正助二業の中に、なお助業をにして、選びて正定を専らすべし。正定の業とは、すなわちこれ仏の名を称するなり。称名は必ず生まるることを得、仏の本願に依るがゆえに、と。已上」と総結三選の文を引き閣・抛・傍を取捨し選択摂取としての本願念仏を選び取られた師の視座を確かめておられます。そしてその道こそが「同一に念仏して別の道なきが故に」と結ばれています。
 また平等の視点は、
「念仏は易きが故に一切に通ず。諸行は難きが故に諸機に通ぜず。しからば則ち一切衆生をして平等に往生せしめんがために、難を捨て易を取りて、本願としたまふか。 もしそれ造像起塔をもって本願とせば、貧窮困乏の類は定んで往生の望みを絶たん。 しかも富貴の者は少なく、貧賤の者は甚だ多し。 もし智慧高才をもって本願とせば、愚鈍下智の者は定んで往生の望み絶たん。 しかも智慧の者は少なく、愚痴の者は甚だ多し。 もし多聞多見をもって本願とせば、少聞少見の輩は定んで往生の望みを絶たむ。 しかも多聞の者は少なく、少聞の者は甚だ多し。 もし持戒持律をもって本願とせば、破戒無戒の人は定んで往生の望みを絶たむ。 しかも持戒の者は少なく、破戒の者は甚だ多し。 自余の諸行、これに準じてまさに知るべし。(『選択集』-P52)
 一切衆生の救済と一切衆生悉有仏性といわれることには深い関わりがあるように思います。『選択集』はまず道綽禅師の『安楽集』引用から始まりますが、ここに一つの問いが投げかけられています。「問うて曰く、一切衆生の皆仏性あり。・・・何によってか、今に至るまでなほ自ら生死に輪廻して、火宅を出でざるや。答えて曰く、大乗の聖教によらば、まことに二種の勝法を得て、もって生死を排はざるによる。ここをもって火宅を出でざるなり。」と。一切衆生悉有仏性は『涅槃経』のテーマの一つです。すべての生きとし生きる者には仏に成る可能性が秘められている、にも拘らず何故に仏に成ることはないのかという問いがあるわけです。それと、何故本願は起されたのか。阿弥陀のお心に何があったのか。その確かめが必要なわけですが、それが「本願章」に述べられているわけです。仏と自己をつなぐもの、それが念仏なわけです。念仏を場として仏と自己の関わりを尋ねていくということ、これが明らかになることが「念仏成仏是真宗」に頷くことになるのです。自己の関心の元に、自己の関心の延長線上に成仏があるわけではありません。
 この『選択集』がセンセーショナルとなり、旧仏教を直撃したのです。当然のごとく波状攻撃がなされました。「興福寺奏上」がその最大のもので、朝廷に「誠惶誠恐謹言」されたものです。「殊に天裁を蒙り、永く沙門源空勧むるところの専修念仏の宗義を糺改せられんことを請ふの状」として九箇条の失を挙げて糾弾しています。また行から批判したのが明恵上人の『催邪輪』です。二つの過失を挙げて批判します。「ここに近代、上人あり、一巻の書を作る。名づけて選択本願念仏集と曰ふ。経論に迷惑して、諸人を欺誑(ぎきょうーあざむく)せり。往生の行を以って宗とすと雖も、反って往生の行を妨礙せり。高弁、年来、聖人において、深く仰信を懐けり。・・・しかるに、近日この選択集を披閲するに、悲嘆甚だ深し。」その内容が「一は。菩提心を撥去(はっきょーのぞきさる)する過失」であり「二は聖道門を以って群賊に譬ふる過失」です。仏道はまず菩提心を以って発心するものですから、初発心を除くというのはもはや仏道ではないと批判しているわけですから、的を得ているわけです。法然上人は何もおっしゃらないのですが、親鸞聖人は菩提心を浄土の大菩提心として押さえておいでになります。「浄土の大菩提心は・願作仏心をすすめしむ・すなわち願作仏心を・度衆生心となづけたり」 「度衆生心ということは・弥陀智願の回向なり・回向の信楽うるひとは・大般涅槃をさとるなり」 「如来の回向に帰入して・願作仏心をうるひとは・自力の回向をすてはてて・利益有情はきわもなし」と『正像末和讃』に菩提心は如来より賜りたるものとして、自力の菩提心を悲歎されています。「如来の回向に帰入して」の帰は還の意味があります。すなわち帰入は還相回向になるのですね。ここには私の関心事の入る余地がないのです。いわば純粋経験になります。如来の往相回向は私には如来からの還相回向になり、還相回向をうけて、私の往相回向が成り立つのでしょう。それが純粋の菩提心といわれるわけです。法然上人は『選択集』三心章に於いて善導のニ河譬の群賊を「群賊等喚び廻すと言ふは、即ち別解・別行・悪見人等の、妄りに見解を説いてたがひに相ひ惑乱し、および自ら罪を造って退失するに喩ふるなり」、また親鸞聖人は『愚禿鈔』に「群賊は、別解・別行・異見・異執・悪見・邪心・定散自力の心なり」といわれますが、そこには別解・別行等では間に合わないという問題と自己を見る眼差しの曖昧さが垣間見えるわけです。法然上人は次に「またこの中に、一切の別解・別行・異学・異見等と言ふは、これ聖道門の解行学見(認識と修行・学びと見解)を指すなり。」と指摘されているわけですが、ここを明恵上人は聖道門を群賊に譬えた過失として批判しているわけです。明恵上人は菩提心を「菩提と言ふは、即ち是れ仏果の一切智智、心と言ふは、この一切智智において希求の心を起こす。これを菩提心と云ふ。一切の仏法、皆この心によって生起することを得。」といわれていますが、もっともなことなのです。正論です。法然上人はこのことを否定されたわけではないのです。 (次週に持ち越します)

第三能変 心所の名の由来について(釈名) ・ 釈尊伝(27)

2010-05-29 23:44:23 | 心の構造について

 釈尊伝(27)  ー欲望生活

 次に「しかし、そのしずみがちな性質をうれえた父王は、夏・冬・雨季の三期にそれぞれふさわしい宮殿をたてて楽しませ、十九才のころ、ヤショーダラ姫を迎えて結婚させた」

 こういうことは、一番人間の青春時代を象徴する物語と見ればよいでしょう。夏、冬、雨季にそれぞれ楽しむような宮殿とは、欲望生活の象徴でありますから、それぞれに楽しく過ごすという意味の、青春時代を象徴したものがこうした記録であります。したがってわれわれが人生というものの目的を、あれこれと考える時期は、こういう時期にあたると常識的に考えられます。

 現代における、生活の目標が経済の繁栄であると、一般にいわれています。それが、はたして人生の目的であるか、かならずしもそうとは決められない。そうでないのだと断定できないが、またそうであると決めるわけにもいかないわけです。

 それからさらに、結婚という問題も、やはり常識的には、人間は結婚すべきだという意味で、世間なみのこととして考えられ、世間に従って結婚することになります。はたしてそうであるのか、ないのか結論のつくものではないのです。 (つづく) 蓬茨祖運述より

 第三能変 心所の名の由来について(釈名)

 「一切の心の中に定めて得(とく)す可きが故に、別々の境を縁じて而も生ずることを得(え)るが故に」(『論』)

 遍行の心所の五は、一切の心の中で必ず得るものであるから遍行という。別境の心所の五は、別々の境を縁じて、生ずることができるものであるから別境という。

 「名を釈すなり。「一切の心の中に得す可し」というのは、即ち遍行の五なり。何の心なるを問わず、但起こる時は必ず有るが故に。

 「別々の境を縁じて而も生ずることを得」というのは、五の別境なり。此の意は、即ち三性と九地との等に遍く、唯、別別の境界を縁じて方ひ生ずということを顕すなり。故に余は例せず。五十五(『瑜伽論』)に説くが如し。四事の中に於いて五の別境を生ずといえり。下の(『述記』巻第六)如く当に知るべし。或いは倶にも不倶にもあり。別の事生ずるが故に」(『述記』)

  •  遍行の心所ー触・作意・受・想・思の五つで五遍行ともいう。「何の心を問わず」八識心王のいずれかを問うことなく、識(心王)が起こる時には三性(善・不善・無記)のいずれであれ、いかなる時も必ず五つが同時に起こり、倶に活動する。その故に「遍く」といわれています。「一には遍行。是に五あり。五ことなりといえども、みな心の起こるごとに普く必ずあるが故に遍行と名づく。」また、一切の心・一切の時・一切の所に普く起こる心所です。

 昨日の心所の数で『瑜伽論』には五十三と巻第三に記述されていましたが、邪欲・邪勝解は巻第一(本地分中意地第二の一・第六・七・八の三識を説く。三識共に意根に摂められるので意といわれる。意識身相応地であるけれども略して意地という)に説かれていました。その内容は下に記載します。

 「彼の意識の助伴とは謂く(遍行)の作意・触・受・想・思と(別境)の欲・勝解・念・三摩地・慧と(善)の信・慙・愧・無貪・無瞋・無癡・精進・軽安・不放逸・捨・不害と(煩悩)の貪・恚・無明・慢・見・疑・忿・恨・覆・悩・嫉・慳・誑・諂憍・害・無慙・無愧・惛沈・掉挙・不信・懈怠・放逸・邪欲・邪勝解・忘念・散乱・不正知と(不定)の悪作・睡眠・尋・伺なり。是の如き等の輩は(心王と同時)倶有にして、相応する心(王)所有の法なり、是れを助伴と名づく。同一の所縁不同一の行相にして一時に倶有にして一々転ず。(是れ等心所有の法は)各自の種子より生ずる所なり。互いに相応し(能縁の)行相を有し、所縁を有し、所依を有す。」(彼助伴者。謂作意觸受想思。欲勝解念三摩地慧。信慚愧無貪無瞋無癡。精進輕安不放逸捨不害。貪恚無明慢見疑。忿恨覆惱嫉慳誑諂憍害。無慚無愧。惛沈掉擧。不信懈怠放逸。邪欲邪勝解忘念散亂不正知。惡作睡眠尋伺。如是等輩。倶有相應心所有法。是名助伴。)大正30・280b13

 「各自の種子より生ずる」といわれますように、五遍行は、個別の種子から生じるものなので、実法です。実法というのは、実体という意味ではなく、種子より生じた存在という意味です。三性はいずれであれ、三界にわたって働き(三界のどこにでも存在する)。三量(現量・比量・非量)のいずれの働きを持ち、相応する識は八識すべてになります。

 実法といいましたのは、それに対して実法ではなく、作用(別用ーべつゆう)を一つの心所として立てた心所があります。「依色等分位仮立」(色等に依って分位に仮立する)といわれる分位仮立です。ただ色・心・心所のうえに仮に立てた仮法で不相応行であるといわれます。『論』では巻第一・選註ではp18~24に詳しく論じられています。

 五位百法では心・心所・色法の後に心不相応行法として二十四数えられています。尚、『倶舎論』では十四です。『法相二巻抄』を見てみますと(『法相大乗宗二巻鈔』上・日本思想体系 鎌倉旧仏教p136)

 「次不相応ニ廿四トハ、又百法論ニ列ネタル廿四ナリ。是皆仮法ナリ。廿四ヲ不相応トナヅクル事ハ、五蘊ト申法門アリ。色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊是也。此五ガ中ノ行蘊ニハ、諸ノ心所並ニ得・命根・衆同分等ノ法ヲ摂メタリ。其中ニ心所と心王ト相応ス。相応スト云ハ、其トシタシク相伴フ義也。此ノ得等の廿四は、心王ト相応セザルガ故ニ不相応トナヅク。サレバ具ニハ心不相応行法トナヅク。此ノ廿四ハ心ニモ非ズ色ニモ非ズ、色法・心法ガ上ニアラザル義分ナリ。又別体ナシ。故ニ廿四ナガラ皆仮法ナリ。」

 心不相応行法とは行のうちでも心と相応しない法という意味です。五蘊説では行蘊の中に心不相応行法は摂められているのです。得・命根・衆同分等の二十四は心王と相応しないことから心不相応行法と名づけられているのです。分位仮立というのは、不相応行は色でも心でもないのですが、無関係というわけではなく、色・法との上に、それから分かれた位の働きを仮に得・命根・衆同分等の二十四の不相応行として立てているのです。

  •  三量について(識はどのような認識のあり方をもつのであるのか)

   (1)現量 - 前五識と阿頼耶識(蔵識)は現量。意識は現・比・非量の三量を認識する。末那識は非量。直接知覚といわれています。思慮分別を離れての認識のあり方を現量という。「分別を離れて境の自相に称う」といわれています。第六意識の中でも未だ分別していない状態(対象が何であるのか、言葉を用いて分別していないとき)と定心の意識も無分別ですから、現量といわれます。

   (2)比量 - 境の共相を認めるという認識のあり方。必ず言葉を用いて認識することです。言葉によって捉えられる事物の相を共相といい、境の自相を捉えることなく、ただ境の共相を把握するに過ぎないのです。言葉を用いた認識は第六意識のみが行いえるのです。従って意識だけが比量の働きをもちます。

   (3)非量(ひいりょう) - 現量と比量のうち、誤って物事を認める認識のあり方です。非執心非量(物事の錯覚)と執心非量(自我であると錯覚し、執着する心)に分かれます。

 別境(「別々の境を縁じて而も生ずることを得」というのは、五の別境なり)

 別境の心所は欲・勝解・念・定・慧の五つです「境を縁ずる」というのは「物を知るを申すなり」といわれますように、物事を知るという意味で、物事を認識するということになります。ですから別々の境を縁ずる、というのは、別々の対象を認識するということになり、各五の心所はそれぞれに固有の認識対象をもち、固有の認識対象に向かって起こることから「別」といわれるのです。相応する識は前六識ですが、「慧」のみは第七識とも相応します。尚、第八識とはいずれも相応しません。

 別境・善・煩悩・随煩悩・不定については前年9月12日前後にばらばらに書き込んでいます。いずれ整理をしていくつもりですが、前に戻って参考にしてください。

 


第三能変 心所の列位・結数 ・ 釈尊伝(26)

2010-05-28 22:56:04 | 心の構造について

 釈尊伝 (26) ー一瞬が勝負

 やはり決断というものは、そういう知識からではなく、一つの決意をもつというときには、人間には一瞬一瞬が勝負どころです。これが人生なのです。武は戦争するためにの武でなく、戦争しないための武であります。武という字は戈(ほこ)を止めるということでしょう。戈はホコという字でしょう。そして止という字を書きます。

           -決断と迷い

 そういう意味で、われわれの人生は、知識によって考えなくてはならない。そして説明が十分よくできるように、よくわかるようにしなくてはならない。そこに一瞬一瞬の決断が要求されるのであります。そこに決断する心をみがくという意味で、太子は文武両面にわたって熟達されたということが、われわれ人間の人生にたいへん意義があります。

 ですから、動物の世界は決断しかないわけです。人間以上に鋭いです。決断力ということになると、人間でもおよびもつかんほど執念深い。腹をきめたら一日でも二日でも三日でも、物を食わんでも頑張ります。本能的というか、それだけで生きています。人間はその上に知識を身につけていくわけです。ただし知識を身につけますから、決断において人間は弱い。いろいろ迷いがおこってきます。その迷いがおこるということが、人間の特徴であります。それで迷いがはれるということがあって、動物、昆虫よりも、人間はさらに広く、さらに深く、生きてゆくことができるという意義をもっています。そうした意義が仏陀の幼年時代として語られています。 (つづく) 『釈尊伝』 蓬茨祖運述より

 第三能変 心所の列位・結数

 「謂く。遍行に五有ると。別境に亦五あると、善に十一有ると、煩悩に六有ると、随煩悩に二十有ると、不定に四有るとなり」(『論』)

 「是くの如き六の位を合すれば五十一なり」(『論』)

 「述して曰く、数を結すなり。此れが中に開帳することは『対法』第一と大倫とは五十三と五十五との不同あり。五見を開合し邪の欲と解とを増せるを以っての故に。これは『顕揚』」と『五蘊』と『百法』と同なり。(『述記』)

 『対法』第一と大倫とは五十三と五十五との不同あり。」ということは『対法論』には五十五が説かれ、大倫(『喩伽論』)巻第三には五十三と説かれるのですが、『喩伽論』巻第三には『論』に説く五十一の心所に邪欲と邪勝解を加えて五十三となります。『対法論』の五十五は煩悩の六の内の悪見を五見に開いたものです。煩悩の六が十になるわけです。「五見を開合し」と悪見を五見に開くと薩迦耶見・辺執見・邪見・見取見・戒禁取見になるのです。ですから『論』は五見を悪見一つにまとめて説かれているわけです。

 『対法論』(『大乗阿毘達磨雑集論』)については5/12の項参照

 『喩伽論』の記述は「復次に心心所品の中に於いて心起こり得可き有り。及び五十三の心所起こり得可き有り。」と。


第三能変 心所相応門 遍行等の義を釈す ・ 釈尊伝 (25)

2010-05-27 23:15:45 | 心の構造について

 釈尊伝 (25) ー今すぐに

 しかし、よく考えてみますと、この子どもの「今すぐに」といって動かないというのにもわけがあるのです。それはやはりその年令になると、知識がある程度発達してきていて、その知識の面からは行動はでないのです。行動となってでるときには、決断がいるのです。今していることをここで止めなくてはならないのです。もう少ししてからでは、もうできないのです。決断ということがいるのです。それがこの武という表現なのです。鉄砲や刀の練習をしているのが武道じゃないのです。自分の決断の心を養う。なにをしていても、それをその瞬間に止めて飛びだして行かねばならない。例えば、今地震が起こった。もうあと半ページ読めばすむんだからと、地震が起こっても半ページを読んでから飛びだす。それではいけないわけです。やはり地震が起こったときには、もう半ページですむものもおいて飛びださなくてはならん。それはそのときになっては間にあわないのです。平生からその練習をしておいてはじめて役に立つ。そうしませんと、いざ地震がきたというときには、かえってびっくりしてしまって行動が今度は自由にならないということがあります。でてゆける方角がわからない。ゆけない方へ飛んで行ってけがをしてしまうということになります。そういう意味で、文武両面の文は知識、武は決断の心を養う一面であると理解しておいてください。まちがいますと、戦争でもするようなことになってしまいます。 (つづく) 『釈尊伝』 蓬茨祖運述より

 心所相応門 遍行等の義を釈す

 「諸々の心所は、名も義も異なること無しと雖も、而も六位の種類差別なること有り。(『論』)

 諸々の心所は、名も義も異なることはないというけれども、六位の種類の区別は有るのである。

 ここからの下の文については六つに分けられる。(1)総じて標す(総標)(2)位を列す(列位)(3)数を結す(結数)(4)名を釈す(釈名)(5)文を会(会文)(6)総じて結す(総結)。 ここは初めの総標になります。

 「心所の名も義も同なりと雖も、而も体は一々に類各別なるが故に。」(『述記』)

 心所については、多数あるけれども、名も心所ということでは同じであり、その意義も心所ということでは、心王に属する心の働きとして同じである。しかし、体は一々別々のものであり、性(格)によって類別される。それは「六位の種類の区別」である。

  •  六位の種類の区別 -遍行(5)・別境(5)・善(11)・煩悩(6)・随煩悩(20)・不定(4) の六位で五十一の心所があります。(六位五十一の心所)

 心王・心所は唯識の主体的側面と作用的側面をあらわすのですが、主体的側面を八識三能変として説きあらわしています。八識は、八つの重層的構造をもつとする捉え方とし、三能変は心が三層をなして、深層から表層に向かって能動的に対象に働きかける捉え方をいいます。護法の論拠は八識別体説で、識体が別個に八つあるという立場になります。造論の主旨のなかで「諸々の識は用は別に・体は同なりと執し、或いは心に離れて別の心所は無しと執す。」という「此の等の種々の異執を遮せんが為なり」といわれていますが、諸識は用は別・体は同という考え方があるのですね。この考え方は異執と破して、八識別体説をとります。これが法相唯識の立場です。『倶舎論』は識体は一つという立場をとります。

 法相唯識は五位百法の分類をしています。これは心王・心所有法から色法へという順に配列をされていますが、「唯識無境」という心を離れては如何なるものも存在しないという立場に立って唯識転変の次第を配列しているのです。倶舎論の立場は色法から心が生起し働くという捉え方をし、五位七十五法の配列をしています。

  •  法相唯識の五位百法 -心王(8)・心所(51)・色法(11)・不相応行法(24)・無為法(6)
  •  倶舎の五位七十五法 -色法(11)・心王(1)・心所(46)・不相応行法(14)・無為(3) 倶舎の心王は一というのは、六根によって六識の相違があるだけで、識の体は一つという立場です。(六窓一猿の譬え)

尚、日曜雑感で私見を述べてみたいと思います。「仏性」の問題です。親鸞聖人が「信心仏性」といわれる所以を考えてみたいのです。「心は所縁に於いて唯、総相をのみを取り、心所は彼に於いて亦、別相をも取る。心の事を助成するを以って心所の名を得たり」という一文に「一切衆生悉有仏性」というヒントが隠されているのではないかと感じています。


第三能変 心所相応門 その(9) まとめ ・ 釈尊伝(24)

2010-05-26 23:42:48 | 心の構造について

  釈尊伝 (24)  ー知識と決断

それを昔の表現では、文武両面というのです。文というのは、いわゆる単なる文学ということではなくて、人間のいろいろな知識の面において成長してゆくことです。武というのは、実行ということです。知識は、実行ということになるとなかなかできないものです。実行ということ、いわゆる決断ということが知識の面ではなかなかできないです。

 例えば、小さな子どもは、よくいうことを聞いて、使いなどをしてくれます。台所へ行って水一杯とってきてちょうだいというと、とってきてくれたり、タバコをのもうとして、マッチがないと、マッチとってきてというと、素直に飛んで行ってとってきてくれたりします。しかし学校へ行くようになり、勉強でもするようになれば、なかなかいうことを聞いてくれません。昔の小学校の教科書に、たしか修身の教科書だったと思いますが、「はい今すぐに」という題目がありました。もう五十年も昔の教科書ですが、どんな内容かと申しますと、お母さんが子どもを呼ぶのです。子どもは人形で遊んでいるのです。絵がそういう絵になっていました。お母さんが二返も三返も呼んでも「はい今すぐに」といって、遊んでいて、いっこうに腰をあげようとしないという話なのです。最後にその子がかわいがっている金魚が縁側に置いてある。それを猫が金魚をとってゆくよと呼ぶと、子どもが、「はい今すぐに」と返事する。その間に猫が金魚をくわえて行ってしまったという一節がありました。そのとき読みまして印象にのこりましたが、さいわい私のところには金魚がいなかったものですから、金魚鉢なんてのは絵しかみたことがなかったですから、それ以上は印象に残りませんでしたけれども、なんでも親のいうことを聞いたら、すぐに「はい」といって、行動しなくてはならんという、それくらいにしかうけとれませんでした。 (つづく) 『釈尊伝』 蓬茨祖運述より

 第三能変 心所相応門 総相・別相のまとめ(2)

 「諸々の心所法は、皆所縁の於に兼ねて別相を取る」(『論』)

 諸々の心所有法は、みな所縁に対して総相と兼ねて別相を認識するのである。ここにおいて「此の心所」の説明をおわります。

 用語解説

 総相ー別相に対する語。総相は青色ならば青色そのものの認識。別相は青色の総相の上における可愛・不可愛の相、苦楽の相、決定の相等の差別の義相。心所法の境相を縁ずるのに、総じて境相を認識するのと、別して認識するのとの二種類がある。随って所縁の境にも総相と別相との二種類がある。例えば眼識(心王)は総じて青色そのものを認識し、未了別の別相を認識するものが心所の作用になる。要するに触の心所は青色の可愛・不可愛の相を認識し、受の心所は苦楽の相を認識し、想の心所は青色の像を認識し、勝解の心所は定んで青色なり。赤等ではないと印認する。このように心所各々の行解に従い境の総相の上に義を以って立てた差別の相を別相という。総相の外に別相があるのでなく、心所が別相を認識するということは、総相の体をも縁じているのである。このようなことで、心王はただ総相を了別し、心所は総相・別相相併せ取るのである。喩えが述べられてありましたが、「畫師は先ず大体の絵がらを作り、弟子はその上に彩色を施すようなもの。あるいは君主は国政の大綱を作り、各大臣はそれぞれの役割を遂行するようなものである。」

 廻転(えてん)-作意の心所。いろいろに働く。境界にはたらく作用のこと、心所の作用に二あり。(1)性用ー心所そのままの本質的な働き(親用)を性とよぶ。 (2)業用ー他の心心所を助ける疎き作用(疎用)を業とよぶ。心を始動せしめて対象に向かわしめる心作用のこと。「心を驚かして起らしむるこころ」といわれます。

 三和合(さんわごう)-根・境・識のとの三和合する所に、触の心所が生じ、触の心所がまた根・境・識を和合する。三和合と触の心所は互いに因果関係となる。一つの認識作用が成立するためには根・境・識の三者が互いに関係し結合しなければならない。この結合を三和合という。

 串習(げんじゅう)-練習すること。 串習の事とは過去にいろいろ知り得たる事実をいう。

 


第三能変 心所相応門 その(8) ・ 釈尊伝(24)

2010-05-25 23:47:47 | 心の構造について

 釈尊伝 (24) -痛む心

 そういう意味でありますから、こういう幼い頃からのあわれみの心をもったということは、やはり生命の尊重する意味です。本当は生命あるものは、どこまでも尊重しなくてはならないのです。それがあってこそ、生きておるということに値うちがでてくるのであります。それがなかなか思うにまかせない。尊重しなくてならんのに魚も食わねばならん。動物も殺して食べなくてはならん。そういうわけです。そこに人間の生命尊重という、尊重という意味はただ尊いんだ、重んぜねばならんのだということ。これは理屈でなしに、その中には悲しみの心があります。悲しみ、痛む心が、の一つの意義になるわけです。それが忘れられているのです。ですから、生命尊重というときには、たいてい自分の生命だけを主張します。人の生命ということはあまりいわないのです。やはりそこに悲しみもあり、痛みもあり、場合によっては怒りもでてくるのです。そういうところに生命というものの意義があるわけであります。

 悲しみ、痛み、怒り、悶え、そういうことにわれわれが悩まされるとき、われわれは生きているという意味を失なう。生きているということがわからなくなる。生きていることに値うちが感ぜられなくなるわけです。

          -健康

 そういう意味があって、やがてそうした心もだんだんと成長するにしたがって、それが単純な問題でなくなって、いろいろと考えねばならない問題なのだということに、成長してゆくのです。それで、いよいよ考え深い性質になっていった。しかし健康に成長した。肉体的に健康というだけでなくして、今申しましたようにいろいろな悲しみがありますけれども、悲しんでだけいることは不健康でありますから、よく考えなくてはならないことがたくさんあるんだ、よく学ばなくてはならんのだ、学んでよくその意味をさとらなくてはならないことが多くあるんだというふうに成長してゆくことが、つまり健康という意味になるわけであります。 (つづく) 『釈尊伝』 蓬茨祖運述より

 心所相応門 総相・別相のまとめ

 「此れに由って、境の於(うえ)に善染等を起こす。」(『論』)

 「第三に之を結すなり。前の十の法(五遍行・五別境)、総・別を取るに由るが故に、境の於に善の十一と染の三十二と不定の四との等も起す。」(『述記』)

 これに由って境にたいして、善・染・不定の心所を起こすのである。「此れに由って」とは五遍行と五別境の計十の心所が総相のみならず、別相をも認識対象として認識し把握することに由る、という意味になります。

 重複しますが、まとめに於いて『瑜伽論』の記述をもう一度見ておきたいと思います。

 『識は唯、能く事の総相のみを了別す。即ち此の識の未だ了別せざる所の所了の境の別相をも亦、能く了別する者を説いて、作意と名づく。即ち此の可意と不可意と倶相違との相は触に由って了別す。即ち此の摂受と損害と倶相違との相は受に由って了別す。即ち此の言説の因の相は想に由って了別す。即ち此邪・正・倶相違の行為の因の相は思に由って了別す。是の故に彼の作意等の思を後辺と為るを説いて、心所有法の一切処・一切地・一切時、一切に遍じて生ずと名づく。

 作意は云何ん。謂く心の廻転するなり。

 触は云何ん。謂く三和合なり。

 受は云何ん。謂く領納するなり。

 想は云何ん。謂く像を了ずるなり。

 思は云何ん。謂く心の造作なり。

 欲は云何ん。謂く可楽(かぎょう)の事に於いて彼彼の行に随って作す所有らんと欲する性なり。

 勝解は云何ん。謂く決定の事に於いて彼彼の行に随って印可し随順する性なり。

 念は云何ん。謂く串習(げんじゅう)の事に於いて彼彼の行に随い、明了に記憶する性なり。

 三摩地(定)は云何ん。謂く所観察の事に於いて彼彼の行に随って審慮(しんりょ)する所依の心一境の性なり。

 慧は云何ん。謂く即ち所観察の事に於いて彼彼の行に随って諸法を簡択(けんちゃく)する性なり。」

 五遍行及び五別境も総相と、各々の別相を認識することの証拠として述べられる一文ですが、これに由って、境に対して善・染等の心所を起すと述べられているのです。


第三能変 心所相応門 その(7) ・ 釈尊伝(23)

2010-05-24 06:47:46 | 心の構造について

 釈尊伝 (23) ー矛盾が多い
 当然現実に矛盾することであって、矛盾しないことならば大事な問題ではないのです。生命尊重ということが矛盾なく行われることならば、叫ばれる必要はないのです。生命を尊重しようということがいわれなくてはならないのは、矛盾があるからです。生命が尊重されているところに尊重しようということは必要がない。物を粗末にしないようにしましょうということは、今日あまりいわれません。物がたくさんあるからです。どこへ行きましても物を大切にとは今日ではさっぱりいわれないのです。一昔まえはよく聞いたもんです。それに、食事のときにとなえるところの食前の言葉、今は短くなっていますが、あれはもとは長かったのです。食物が十分でなかった時分にとなえたものなので、品の多少をえらばず、という言葉で終わっています。品の多い少ないをいうまいというのは、品物が多いときにいったのでなく、少ないときにいったのです。みんなのお皿を見ると自分のお皿の方が少なくて、他のお皿が多く見えた。今日、お昼の食事のとき、自分のご飯が少なくて相手のご飯が多く見えるかどうか。そんなときに無理に品の多少をえらばずといってもピンとこない。たらんときに思いはおこるのです。それで生命尊重ということが叫ばれるときは、本当に矛盾が多いときであります。今日叫ばれています。生命の尊重がなかなかできない時代だからでしょう。人間の生命尊重ということが、以前よりも強く叫ばれながら、尊重されない時代であります。ですから、昔は生命尊重ということを、そう特にいわれなかったのは、わりあいと尊重されていたからだというてもよいかと思います。 (つづく) 『釈尊伝』 蓬茨祖運述より
 心所相応門 -『中辺論』を引用
            『弁中辺論』(べんちゅうべんろん)大正31・465aー21亦了差別名爲受等諸心所法」(亦差別を了するは名づけて受等諸々の心所法と為す)
 「余処に復説く。欲は亦能く可楽(かぎょう)の事相を了す。勝解は亦決定事(けつじょうじ)の相を了す。念は亦能く串習(げんじゅう)の事の相を了す。定と慧とは亦得失の相を了すという。」(『論』)
「欲云何謂於可樂事。隨彼彼行欲有所作性。勝解云何謂於決定事。隨彼彼行可隨順性。念云何謂於串習事。」(『喩伽論』巻第三)
 「中辺の第一には、但、心所は亦別相を縁ずと云えり。喩伽の第三には、但、別境は可楽等を縁ずと説いて亦の字なし。二論合して引くが故に、亦能く可楽等を了すと云う。」と。『論』の引用は「二論合して引く」と『演秘』は述べています。先に五遍行が、総相のみならず、別相を認識すると述べましたが、ここではさらに五別境(欲・勝解・念・定・慧)も、総相のみならず、別相を認識すると述べられているのです。

  • 可楽(かぎょう)-「所楽の境に於いて」、楽わしい対象は善・悪・無記との三性に通ず。納得できず、忍耐すべからざることにおいても、粗暴となったり、悪に走らず、諸悪を止めるようなおだやかさをいう。
  • 決定事(けっじょうじ)-「決定の境に於いて」、何事もひしと思い定めるる心。何事もしっかりと決定的に理解する心。
  • 串習(げんじゅう)-「曾習の境に於いて」、串は慣の意。習慣的にたびたびなすこと。
     

  •  (他の処にまた次のように説かれている。「欲は、またよく可楽の事の相を了する。勝解は、また決定の事の相を了する。念はまたよく串習の事の相を了する。定と慧とは、また得失等の相を了する。」と)

 


第三能変 心所相応門 その(6) ・ 釈尊伝 (22)

2010-05-23 15:55:33 | 心の構造について

 5月21日付け(未完の項)を更新しました。

 釈尊伝 その(22) (3) 成長期 -あわれみの心

 次に「おさないころから、鳥や獣、虫けらにいたるまであわれみの心をもったといわれる。長ずるにしたがって、いよいよ考えぶかい性質になっていったが、健康に成長し、文武両面にわたって熟達した」

 鳥や獣、虫けらというのは、生命をもったもの。人間も生命をもったものであるならば、鳥や獣も生命をもったもの。生命をもったものとは、尊いものなのだと。尊いとするならば、鳥や獣の生命も、虫けらの生命も同じく尊いといわなければならないわけであります。

            ー生命の尊重

 これも先の会合のときの質問でした。仏教は生命を尊重するという教えということですが、しかしわれわれが生きるためには、魚や害虫を殺さなければならない。そうすると矛盾を感ずるが、その場合殺してもいいのか。殺してもいいといえば、生命を尊重するということはどうなるのか。考えるとわからなくなるという質問がありました。

 それで、これも簡単にお答えしておきましたが、生命は尊重せねばならない。一匹の虫の生命も尊重せねばならない。だから肉も、魚も食わずにすむなら食わないほうがよい。もし殺さんですむなら殺さない方がいいのだ。だから釈尊も、その弟子も、そういう意味で虫を殺さないようにつとめた。いわんや、殺したということがわかった肉は食わなかった。しかしなにぶんにも自分で生産するのでないから、食物を人々の食べる中から乞うて、自分たちの身体を養う力にしたので、その中に、施してくれるものの中にまじっている肉がある。それは食べたわけです。けれども自分たちから食うために魚を殺したりすることは、かたくとめられていたわけです。

            -殺生と現実

 もしも害虫だからといって、これを殺してもいいのだということになれば、自分の生命も尊重するという根拠がなくなります。害虫だから殺してもよいならば、自分の生命を尊重せよといえなくなります。ただし、そういう生命あるものを殺さねば自分が生きられないという現実があります。それは当然のことではないのであって、つまり罪という、殺していいんじゃなくて、殺して生きることが罪であります。罪であるといわなければならないのは、生命を尊重するということがもとにあるからであります。罪が深いということは、生命を尊重するということからでてくるのであって、ただ悪いことをしたということではないのです。

 そういう意味で、生命は尊重せねばならない。だからこそ、それを犯すわれわれは罪が深いものであります。こういう意味が仏教における生命尊重ということの意味なのであります。これだけ申しあげておいたのです。 (つづく) 『釈尊伝』 蓬茨祖運述より

 第三能変 心所相応門・その(6) 証拠を引く(2)触・受について

 「触は能く此れと可意等との相を了す。受は能く此れと摂受等との相を了す。」(『論』)

  •  触の心所は、よく総相と心にかなう(可意)と、心にかなわない(不可意)と、そのいずれでもない(倶相違)という三の相を別相として認識判断する。可意・不可意・倶相違の記述は『喩伽論』による。
  •  受の心所は、よく総相と摂受(楽受)と損害(苦受)と倶相違(捨受)という三の相を別相として認識判断する。三受についてー三種の感受のこと。快感(楽受)・不快感(苦受)・そのどちらでもないもの(不苦不楽)のこと。摂受・損害・倶相違の記述は『喩伽論』による。

 「想は能く此れと言説因との相を了す、思は能く此れと正因等との相を了す、故に作意等を心所法と名づくといえり。」(『論』)

  •  想の心所は、よく総相と言説因(了因ともいう。認識を成り立たせる根拠、理由という。)との相を了する。想の別相は言説の因、想を引き起こす心のはたらきで、言説を引き起こす因となる。 「想」は感受したものを表象すること。「殊に物の形を知り、弁えて其の品々の名を説く心」といわれています。
  •  思の心所は、よく総相と認識対象上の正因(善)・邪因(悪)・倶相違(無記)の相を了する。思は判断する心の働き。善悪等を引き起こす因となる心の働きを意味し、この三つの因が思の起こる因であり業の因となることから思の別相といわれます。

 「言説因の相というのは、前の第三巻の八識の中に説いてある。境の分斉の相を取るが故に。謂く此れは是れ青なり。青に非ざるには非ざる等便ち言説を起こす。故に想の別相は言説の因なり。思は正因等を了すというのは、謂く正因と邪因と倶相違との等、即ち是れ境の上の正・邪等の相なり。業が因なり。此れが中の一々は作意の如く亦、別相を取ると説くべし」(『述記』)

 であるから、作意・触・受・想・思の各心所は、認識対象の総相と別相を認識するのであると説かれている『喩伽論』を引用されているわけです。

 何を以ってか、心所は亦、総相を取るということを知るや。

 そして「此れ」に傍線を引いておきましたところの説明に入ります。『喩伽論』にある「此れ」の説明です。

 「此れというは心所は亦、総相をも縁ずということを表す。」(『論』)

 『喩伽』に此の言を説くことは、心所法は亦、総相を縁ずということを表すが故なり。謂く彼の論に言く、又識は能く事の総相を了す。即ち此れと(総相)、未だ了別せざる(別相)所の所了の境の相とを能く了別する者を説いて作意と名づくといへり。・・・此の識の所取の総相を了し、亦、未だ了別せざる所の別相をも取るが故に。彼の論の此れという言は総を取ることを顕すが故なり。」(『述記』)

 「此れ」とは総相を指すと云う事です。心所は別相のみならず、総相をも認識するということが示されています。

  • 総相ーすべてに通ずる特質。別相の対(『倶舎論』第六巻15)・そのものだけの純粋のすがた。(『成唯識論』第五巻)(『弁中辺論』上)

釈尊伝 (21) 偉い方とは

2010-05-22 23:48:43 | 釈尊伝

 釈尊伝 (21) ー偉い方とはー 

 つまり、ここに、子どもと親との間にも小さな子どもだから、この子にいってもわからないから、親が亡くなっても、仏さまになったんだ。仏さまといえば、偉い方なんだと、いうよりほかになかったのだろうと思います。子どもに平生、仏さまとは偉い方なんだということを、いっていたのでしょう。そうして父親が仏になった。父は偉い方になったんだ。こういうふうに思うのは、平生そういうふうにいわれていたからでしょう。しかし、偉い方ならば、偉い方として、生きていなくてはならないわけです。それが父は死んだだけで偉い人になっていないではないか、偉い仏さまになっていないではないかということです。

            ー大人の方が

 話題そのものは、めったにないが、普通の生活の上では、こういうなんでもないことならば、いくらてもあるように思います。そこにやはり子どもだから、わからないのだから、小さいのだから、というのでは、そういう大人の方が子どもよりまだ幼いということではないかと思います。

 子どもと同じく自分も育たなくてはならない。子どもが生まれたときには、自分も子どもになったという面があるわけです。大きいけれども、世間のことをよく知っているのか、ろいわれたら、生まれてきたということの大切さをあまりしっているとはいえないのであります。むしろ、自分が自分というものを大切にするという意味が、いつの間にか、自我の想いに変わってしまっている。子どもよりまだ劣ったものになっているかもしれません。

            -本当の母

 そういう意味で、釈尊が生後七日目に母を亡くすというのは、本当に七日目に母が亡くなったというよりも、やはり一つの経典における、われわれうまれてきたということに対する大切な意味を与えるものがあります。何十年生きていても、七日で死んだのと変わりがない一面が考えられるのであります。百年生きておりましても、生まれて七日間だけ生きていたのと、値うちにおいて変わりがないのであります。

 養母、養い育ててくれた母親。この母によって子どもは育つのでありましょう。本当の母というのは、やはり養い育てるのが母であります。生んだというだけが本当の母とは必ずしもいえないのです。生んだ母親が、生んだという自分が一度死んで養い育ててゆくという母親となって、子どもの母親といえるのではないか。そういう意味も、仏陀の伝記という意味からは考えられるのであります。

 だから七日目というのも、一日、二日と数えて、一週間目と考えるが、それでいいのだろうか。何百日、何万日生きておりましても、なにをいたしましても、七日で死んだのとどこにちがいがあるのかであります。

 これまで人間は、数限りもなく生まれてきて、いろんなことをして亡くなりました。それは生まれたのと、生まれなかったのとの差が、どこにあるのであろうかということです。 (つづく) 『釈尊伝』 蓬茨祖運述より