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答
「学と無学とには非ず、彼は唯善のみなるが故に。」(『論』第六・二十一左)
有学と無学とではない。有学と無学はただ善のみであるからである。從って、十の煩悩は非学非無学のものである。つまり、有学と無学は唯善だから、煩悩のような染のものではないちうことなのです。染とは有覆無記や不善(悪)のものであるから、十の煩悩は非学非無学のものである。注意が必要なのは、有学・無学は唯善であって、非学非無学は唯善のみではなく不善も併せ持っているということです。一切衆生と云う存在にも、善の心所は有るということです。
非学非無学 ― 学に非ず、無学に非ず。断じ尽くすべき煩悩は断じておらず、なお学び修することのある学でもなく、もはや学ぶべきことは学びつくし、もはや学ぶべきことがなくなった無学でもない人、真理を覚っていない凡夫・異生の人をいう。
次科段は、第九の三類分別門に入ります。