唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変 重ねて六位の心所を明かす ・ 遍行

2010-07-31 17:18:34 | 心の構造について
 「上来は已に六識の六門、一に差別、二には体性、三には行相、四には三性、五には相応、六には三受を解し訖んぬ。・・・」(『述記』)
 以上で六識の六門を説き、次に六位の心所について、個別に説明をする。
         - 心所の広釈 -
 「前に略して標する所の六位の心所において、今広く彼の差別の相を顕す応し」(『論』)
 「自下は重ねて六位の心所を解す。中に於いて二有り。初めに所説を標し、総じて教の興れることを顕し、次に随って解釈す。此れは即ち初めなり」(『述記』)
 (意訳) 前に略して標示してきたところの六位の心所について、これから広説し、その区別の相を明らかにする。この広説について、おおきく二つの部分からなる。初めに所説を標示し、教えの興ることを顕し、後に六位の心所の五十一について、一つ一つ説明する。ここは、その初めである、といわれています。
 私は、この唯識の解釈をするのに、第三能変の善の心所から歩みを進め、人間は善を為し得る存在であること、と同時に煩悩に翻弄され、悪をも為し得る存在であること、というより自己中心性にしか生きられない無明存在であることを深く自覚しつつ、学んでいく姿勢をもつことに努めました。これから六位五十一の心所について、学んでいくわけですが重複するところがたび重なると思います。その折はすこし駆け走しで進めてまいりたいと思いますのでご了解ください。
 「初めに五頌をもって心所を顕す。(五頌別解心所 ー  第十頌~第十四頌) 後に総じて心所と心とは、一とせんや、異とせんやということを料簡す。(総料簡王所一異)」
 初めに五頌をもって心所を個別に説明し、後に心所と心王は一つのものか、異なるのか、ということを論じる。
 問いによって論端を起す。(初めに論端を問起し、後に問に随って答す)
 「且く初めの二の位の其の相云何」(『論』)                                                                                                             (意訳) 初めに二の位、即ち遍行と別境の有り様はどうであろうか。 相 - (内面の本質が外面にあらわれた)すがた・かたち・ありさまをいう。
  • 初・遍行   初遍行触等
  • 二・別境   次別境謂欲勝解念定慧 所縁事不同
  • ・善     善謂信慚愧無貪等三根勤安不放逸行捨及不害
  • 四・煩悩   煩悩謂貪瞋癡慢疑悪 
  • 五・随煩悩  随煩悩謂忿恨覆悩嫉慳誑諂與害憍無慚及無愧掉挙與惛沈並懈怠放逸及失念散乱不正知
  • 六・不定   不定謂悔眠尋伺二各二             

 六位の心所と『唯識三十頌』本文を掲載しました。

 「頌に曰く、初めの遍行というは触等なり。次の別境というは謂く欲と、勝解(しょうげ)と念と定と慧となり、所縁の事不同なり」(『論』)

 「論に曰く、六の位の中に初めの遍行の心所というは、即ち触等の五なり。前に広く説きつるが如し」(『論』)

 遍行を解釈するのに二つに分かれる。初めに頌の初句を解釈し、後に遍行の意義を解説する。そして(「この五の遍行の自性と作業とは、前の第三巻の第八識のうちに、すでに広く解し訖る。・・・」)最初の触等の五はすでに一度前に広く説いた通りである。

 触等の五 - 触・作意・受・想・思の五つの心所

 (解説) 心王と心所の関係について鎌倉の良遍は「ソモソモコノ八識ハ、心ノ中ノ本ナルガ故ニ、是ヲ心王ト名ヅク。此ノ八ノ王ニ多クノ眷属アリ。是ヲ心所ト名ヅク、具ニハ心所有法ト名ヅク、略しシテ心所ト云ウ。是モ同ジク心ナレドモ、サマザマクサグサニ細カナル心ハコノ眷属トス。是ニ六位有リ。一ニハ遍行。是二五アリ。五コトナリトイヘドモ、ミナ心ノ起コルゴトニ普ク必ズアルガ故ニ遍行ト名ヅク。・・・」(『唯識大意』鎌倉旧仏教p129)と説明されていますように、遍行とは、心王が起こる時に必ず遍く起こる心の働き(心所)のことをいいます。それに五つ配当されているのです。いわゆる触・作意・受・想・思の五つの心所です。

 広説は『述記』によりますと、第三巻の記述を指すといわれていますが、『論』では巻第三の心所相応(五遍行)を指します。(『選註 成唯識論』p45~47)第八識は「幾ばくの心所と相応するや」と、問いを立てられ、詳しく説かれています。其の最後に「其の遍行の相をば、後に当に広釈せん」といわれており、この後がここの遍行の説明にあたるのです。したがって第三巻と第五巻に分離して遍行は説明されていることになります。第三巻においては阿頼耶識が如何なる心所と相応するのかにおいて述べられており、そこでは「常に触・作意・受・想・思と相応す。阿頼耶識は無始の時よりこのかた乃し未転に至るるまで。一切の位に於いて恒に此の五の心所と相応す。是れ遍行の心所に攝むるを以っての故に」と阿頼耶識と相応する心所は五遍行のみであることを明らかにしています。そして五遍行についての説明(定義・内容・働き・性格等)がされています。ここ第五巻では遍行に五つの心所があることを述べています。

 

                                     

 
 

第三能変 科門

2010-07-30 23:56:01 | 心の構造について

 今、私の手元に「唯識三十頌科本」という法蔵館から出版された書物があります。三十頌を読むにあたって、そこには何が書かれているのかを知る道知りるべになるのが科文だと思うのです。ここ第三能変には三段九義として科文が施されていますが、元は『述記』によります。私は、最初は科文の意味が全くわかりませんでしたが、『論』を読むにつれ、先達の智慧に驚きを隠せなくなりました。『述記』本文は「此の能変に就て総じて九頌有って九門を以て分別せん。第一に能変の差別を出し、第二に自性、第三に行相、第四に三性、第五に心所相応、第六に三受倶起、第七に所依、第八に倶転、第九に起・滅。唯四頌有つて明かす所なり。知る可し。然るに中間に有る初遍行等の五頌は重ねて前の相応法の体を明かす。別に六識を分別する門には非ず。九頌有りと雖も総束して三段と為す。一に初め四門を明かす、即ち此の一頌是れなり。二に心所相応と及び三受倶とをいう、次の六頌是れなり。三に依止と倶転と起・滅とをいう、後の二頌是れなり」と記述されており、『三十頌』を読み解く上ではっきりとした方向づけがなされています。手元にある「三十頌科本」からより解りやすく説明しますと、次のようになります。

 三・第三能変相九門三(第三能変の相は九門有って、それが三段に分かれる) 初めに四門を明かす。

初めに能変差別を出す  次第三能変差別有六種

二に自性門         了境為性

三に行相門         相

四に三性門         善と不善と倶非

                       以上 ・ 第八頌

 二に二門を明かす二(第二段に二有り)初めに二門の二

五に心所相応門      此心所遍行別境善煩悩随煩悩

                不定

六に受倶門         皆三受相応

                       以上 ・ 第九頌

 二に重ねて六位の心所を明かす

遍行(5) ・ 別境(5) ・ 善(11) ・ 煩悩(6) ・ 随煩悩(20) ・ 不定(4)

                以上 ・ 第十頌~第十四頌

三に三門を明かす(第三段に三門を明らかにする)

七に所依門         依止根本識

八に倶転門         五識随縁現 或倶或不倶

                如濤波依水

                      以上 ・ 第十五頌

九に起滅門         意識常現起 徐生無想天

                及無心二定 睡眠与悶絶

                      以上 ・ 第十六頌

 以上が三段九義の科門になります。

 これから「重ねて六位心所を明かす」に入ります。法相唯識では、心所は五十一を数えます。これが六種(六位)に区分されますので、六位の心所というのです。即ち六位とは遍行・別境・善・煩悩・随煩悩・不定をさし、その心所総数は五十一になります。

第三能変は前六識(表層意識)、前五識と第六識になります。前という言い方は初能変・第二能変が深層意識として働いていることを意味します。簡単にいいますと、初能変(阿頼耶識)は純粋経験・人間の根底に在って、すべての経験を蓄積し記憶していく命の在り方です。しかし個人的な命の在り方で、世界が狭められています。また第二能変は末那識ともいわれ、我執のこころです。我執の心は寝ても覚めても、命ある限り、能動的に働いていますので、さらに世界を狭めているのです。この深層の世界の上に表層の意識が働くわけです。それが前六識といわれる、私たちが覚知できる意識なのです。覚知できるというのは、自覚できる心作用ということができます。自覚できるという働きが有るということが、自分の人生をどう切り開いていくのかを能動的に選択することが出来るということになります。しかし、その選択は深層の意識との関わりの中で決定されていくということになり、深層意識の解明が第三能変に課せられた使命を決定する重要なポイントになることは間違いがない所だと思います。                        


第三能変 受倶門 護法正義その理由 ・ 釈尊伝(70)

2010-07-28 22:53:00 | 受倶門

             - 釈尊伝 -

 (70) 現代の問題

 結局、合理主義というものは、そういうふうにいかにも人間を解放するがごときたてまえをもって進んでくるわけですけれども、かえってそのために今までもっていたところの自由までもなくするという結果が、今日における人間の問題となってでてきているということです。こういうことを普通どう考えるか。とにかくそれを解決しようと、その矛盾をなくしようとしての闘いということが各地に起こっているわけでしょう。しかし、その闘いの方法は、依然として合理主義です。合理主義に反対するのは、不合理主義しかない。ところが不合理は主義というわけにはいかんのです。不合理主義などという主義は、これは主義にならないのです。自分は不合理主義だということはデタラメということであって、デタラメなどできるものじゃないのです。それは頭の中で考えるだけで、今までは足で歩いたけれども、これから手で歩くといったところで、そんなことができるわけがありません。手で歩くと思うだけ思いましても、そういうことはできるわけがない。ですから依然として、合理主義に対して行うのは、合理主義をもってするということしかない。しかし、それは名前は合理主義だけれども、やることはデタラメよりほかにやりようがないということです。つまりそこにいろいろの展望というものが成りたたないということが、現実社会の問題であります。

 こういう問題を、そこに問題として取りあげたのが釈尊の問題です。つまり釈尊が問題としたところでありまして、そこからみませんと、仏教でどうにかできるように思い、仏教ではそれに対してどうか、などと考えだすのです。それはもう時代遅れです。もうすでに対象化されてしまっていて、せいぜいキリスト教は不合理だから、また仏教は合理だからと西洋人がいう。科学者も仏教の方がキリスト教よりは合理的なものだということを頼りにして、仏教は科学と矛盾しないのだといっている。そういう仏教というものは、対象的な、客体的な動かない仏教であります。庭に置いてある石灯籠のようなものです。石灯籠は合理的です。動かないのですから・・・・・・・・。

             - ・ -

 第三能変 受倶門 護法正義その理由を述べる

 「偏注(へんじゅ)の境の於には一の受を起すが故に、偏注無きときには、便ち捨を起すが故に。斯に由って六識には、三の受倶にある容し」(『論』)

 偏注 - (六識三性容倶の項で説明されていますので参照してください) 五識の認識の強力なことを偏注という。

 (意訳) 偏注の境に対しては一つの受を起すからである。偏注がないときには、捨を起すからである。以上に由って、六識には、三の受が倶にあることが分かる。但し、注意が必要なのは一識に三受が並存するということではない、ということです。

    果位の受倶(仏位における受倶について)

 「自在を得つる位には、唯楽と喜と捨とのみあり、諸仏は已に憂苦の事を断じたまへるが故に」(『論』)

 「(正しく文を釈す)此れが中に果位をいう、謂く仏に成る時、或いは転じて無漏を得るときに、初地にして即ち得る。唯楽と喜と捨となり。・・・」(『述記』)

 (意訳) 得自在位とは、仏位のことで、この位には、ただ楽受と喜受と捨受のみがある。なぜならば、諸仏は、すでに憂受や苦受の事を断じているからである。

 「前(さき)に略して標する所の六位の心所において、今広く彼の差別の相を顕す応し」(『論』)

 (意訳) 前に略して説明をしてきた六位の心所について、今まさに詳しく個別の相を明らかにする。前所略標は三段九義中・心所相応門の略標六位にあたります。


第三能変 受倶門 護法正義を述べる ・ 釈尊伝(69)

2010-07-26 23:05:09 | 受倶門

 昨日は天神祭のクライマックスである船渡御と大川での花火が打ち上げられました。夏の風物詩ですね。花火を見て屋台のお好み焼きをいただきました。ビールを飲みたかったのですが、売り切れで残念でしたが、冷たいお茶はとてもおいしかったです。花火を撮るのは難しいですね。タイミングが遅れるんです。プロはすごいですね。朝刊の見出しに掲載されていましたがプロの技はすごいの一言です。一瞬の被写体に向かう姿勢は定の世界ですね。私たちの命には定を生きる命が宿っているのでしょう。ただ忘れているだけですね。

          - 『釈尊伝』 -

 (69) その(3)   ー 不合理な魅力 -

 そういう意味で、今日まで仏教というものが、唯一のよりどころとしておりました比較的合理的なところが、必ずしも仏教というもののよりどころにはならないことになった。むしろ一般人といいますのは、そういう合理的なものには、なんの魅力も持たない。かえって不合理なものに魅力を感ずるということです。それが現実であります。それは仏教でないのだといいましても、依然として成田の不動山のお守り、あるいは創価学会の信仰、いずれもこれは合理主義ではないわけです。どこまでも奇蹟信仰ということが魅力をもつのでありまして、創価学会も奇蹟をいえなくなると、それで魅力を失う。したがって今日でいう魅力はギャンブルでありますから、いわゆる政治というギャンブルをつかんで、今日では、信者社会の魅力をつかむということになるわけであります。政治は勝ち負けでありますから、現代の一種のギャンブルと言ってよいでしょう。

      その(4) - 機械化とは -

 さて、必ずしもそれだけで批判されるべきではないのですけれども、問題はそういう不合理なものになぜ魅力を感ずるかです。それは合理主義という立場は、われわれ自身をいかにも解放するが如く解釈されておりながら、かえってわれわれをそこにぬきさしならないものとして縛りつける一面をもっているからであります。つまり、手工業時代から機械化の時代へと移ってゆく、農村だってそうです。肉体労働から機械化へと移ってゆく。機械化へ移ってゆくということは、これは自分の思う通りにやれないということです。怖るべき笑い話がでてきています。ここ二、三年来、農村に稲刈り機というものがはやってきて、みな買い入れるのです。自動車というものをみなが買い入れたように、一軒が稲刈り機を買い入れるとみんなが買い入れる。今まで稲刈りといえば、人がいないので苦労する。人を雇うと相当経費がかかるううというので、それで自分の苦労もいろいろ考えて機械化にふみきる。すると、機械というものは便利なものですから、たちまちにして稲を刈り取ってゆくわけです。それでそれを集めるだけでいいわけです。ところが普通自分が刈った時には労力はいりますけれども、それを束ねて積みあげて、天気になればそれを干す。雨が降りそうだとするとそれをまた積みあげることができたのですけれども、機械の場合は、ある時間に刈ってしまわねばならんわけです。ところが刈り上げた時分に雨が降ってくると、そのまま水づかりになるわけです。それに昔は納屋に稲を運んで脱穀したのですが、今度は納屋に持ってきて脱穀はできない。やはり田の中でせねばならないのです。すると雨が降ってきたらできないのです。刈るのはいいのですが、後が思うようにならないのです。合理主義という意味では、一面、合理主義そのものによって人間が支配せられる、と同時に逆に人間でやれることまでが、今度はやれなくなるという。そういう悩みを夏に帰ったときに檀家の者が訴えていました。それじゃ機械を共同で持てばといっても、人間ですからこれもまたなかなか共同作業ということがうまくいきません。十軒で一台の機械を持ってやるということになると、誰でも早くやってほしいのです。経費も同じようにかかるというようなことですから、一番後になるものが損をするというようなことになるのです。 (つづく) 蓬茨祖運述より

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      第三能変 受倶門 護法正義を述べる

 「有義は六識には三の受倶にある容し。順と違と中との境を倶に受く容きが故に、意は定めて五が受と同にしもあらざるが故に」(『論』)

 「此れも亦前に六十三(定中に声を聞くの文)の文を引いて三性倶なりと証するに同なり。定の中には喜(初・ニ定)・楽(第三定)受に通ず。卒爾の耳識は但捨受のみなるが故に」(『述記』)

 (意訳) 護法正義は、六識には三つの受が、すべて倶に並び立つことがある。なぜなら、順と違と中との境を同時に受けるはずだからである。第六意識の受は必ずしも前五識の受と同じものとなるのではないからである。定中の意識は、喜受や楽受であっても、卒爾の耳識は、但捨受のみであるということがある。聞法会で先生の話に夢中になり楽受を受けている時、正座の状態では膝や足がしびれて苦受を感じます、しかし耳識は先生の声を聞いており、それは捨受であるということがあり、よく経験のすることです。

 ここは、前に三性の倶・不倶におけるのと同様であるので改めて述べる事はない、と『述記』には記されています。

 順境 - 自分の心にかなう対象のこと。

 違境 - 自分の心にかなわない、違する対象のこと。

 中境 - 順でも違でもない対象のことで、倶非の境という。

 

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第三能変 受倶門 三受と倶・不倶を弁ず。 ・ 釈尊伝(68)

2010-07-25 17:08:05 | 受倶門

『釈尊伝』 第二篇 第一章 合理主義

          その一 仏教の歴史

 釈尊につきましては、すでに申し上げたように、歴史上の人物として考えられることが現代の常識になっております。これに反するものは誤謬であるということにわりきられるのであります。そして、その釈尊の思想というものが発展し、いろいろと展開していった。そういう、いわゆる合理的な立場で仏教というものが考えられるということになってきております。

 しかし、ただそこからは仏教を行ずる者は、必ずしも出てこなかったということであります。行ずるということは生活するという意味でありますから、したがって信ずるといっても良いわけであります。そういう意味の仏教は、釈尊の生涯がどういうものであるかということとは、全然関係がないわけでもありませんけれども ー、一応、直接の関係のないまま伝わってきた。つまり仏教の歴史というのは、むしろインドより周辺の地域にあります。周辺といいましても、主として東南地方よりはかになかったわけであります。西方へはどういう影響があったか、アフガニスタンくらいまで影響があったかもしれませんけれども、ともかくも主として南方地域、それから東方へ、中国、日本というふうにひろまってゆきました。

 そうした仏教は、やがて仏教という一つの定型化ということになって、社会化されるわけでありますが、それと同時に仏教が歩みをとめてしまうということになってくるわけです。そうして近代をむかえることによって、逆に今度は仏教という意味が問われることになるわけであります。

            ー 合理主義の問題 ー

 ここは問題がございまして、いわゆる近代というのは、合理主義ということが基盤となっています。その合理主義に対すれば、仏教というものは、そのフルイにかけられるわけです。フルイにかけられて今まで考えられていたところの仏教というものの不合理な面、不合理なものが捨てられてゆくということであります。しかし、それによって仏教というものが正しく立ち直ることができるのかということがあります。不合理な面だけを取ってしまえば、仏教は立ち直れるがということになりますと、仏教というもの自体がなくなって、単に近代的な合理主義というものによって、世の中とともに押し流されてしまうということになるわけであります。しかし、そこに仏教そのものは、そういう合理主義というものに対して、どちらかといえば、キリスト教にくらべてより合理的だということで、ある意味でインテリ層においては支持を受けてきた。しかし、インテリ層の支持を受けるということは、単にそういう評価の支持であって、実際に仏教そのものに生きるということではないのであります。いわゆる外部的な立場からの支持にすぎないので、仏教そのものに自分が生きるということが崩されてゆくということです。それまで仏教に生きておった者が、不合理なものに生きておったということになりますから、不合理なるものを取り去れば、仏教そのものがよりどころのないものだということになります。 (つづく) 蓬茨祖運述より

               ー ・ ー

     第三能変 受倶門 三受と倶・不倶を弁える。

 「此等の聖教に差別(しゃべつ)の多くの門ありて、文の増広(ぞうこう)を恐れて、故(かれ)繁(はん)に述べず」(『論』)

 (意訳) これらの聖教に、三受と五受を明らかにする多くの門があり、これらのすべてを述べると混乱をきたす。文の増広を恐れて詳しくは述べずに略す。

 多門というのは『述記』に依りますと、三受・五受を説明する場合、その種類を分析し区別する多くの視点がある、そのことを「有報と無報と界地繋と何地にか断ずる等、名づけて多門と曰う」と述べられています。有は無に対して、形有る有質碍なもの、迷えるものの存在の世界を指します。界は三界(欲界・色界・無色界)地は九地を指し、これらに繋がれている存在は何地に於いて迷いの生存を断ずることができるのかを説いている門が多くあり、「繁広なること有らむかと恐って、故に略して応に上むべし」。ここは略して、詳しくは述べないということです。

        - 三受が倶であることを述べる 

 難陀等の説と護法の説が述べられます。最初の難陀等の説は三つの部分から述べられ、初めにその説を挙げ、ニにその主張の根拠を証し、三に論書の記述との矛盾を会通する。

 問題は第六意識は三受と倶なのか・不倶なのかということです。

 (1) 「有義は六識に三の受倶あらず。皆外門に転じて、互いに相違えるが故に」。

 (2) 「五と倶なる意識は五が所縁に同なり、五いい三の受と倶ならば、意も亦爾るべし。便ち正理に違しぬ。故に必ず倶にあらず」。

 (3) 「瑜伽等に、蔵識は一時に転識相応の三の受と倶起すと説けるは、彼は多念に依っていう、一心と説けども一の生滅に非ざるが如し。相違の過無し」。(『論』)

 『述記』には初説は三性を弁ずるなかで初めに文を引いて解釈するのと同じ論法であると述べています。

 (意訳) 難陀等の説は六識には三つの受が倶(並存)することはないという。何故に、すべて対象を外界に転じて、その対象はそれぞれ互いに相違するからである。五識と並存し活動する第六意識の所縁は五識の所縁に同じである。もし五識が三受と並存し活動するというのであれば、第六意識も、また同じであり、三受と並存し活動するといわなければならない。そうであるならば、これは正理に相違していることになる。その為、六識には三の受と倶ではない。(例えば、眼識が楽受と倶であり、耳識が苦受と倶であり、鼻識が捨受と倶である場合、それらの識と所縁が同じというならば、意識は同時に苦・楽・捨の三受が倶であることになり、それは正理に違する、という)また、『瑜伽論』等に「蔵識(阿頼耶識)は、一時に転識相応の三の受と倶起する、と説かれるのは、それは多念によってであり、一心と説かれてはいても、一つの生滅ではないようなものである。従って、相違の過失はないのである。(ここは会通です。会通は自説と相違する説が実は相違しないと解消するのです。論にいわれることは、同時にということではなく、多念による、即ち、時間の経過の中での一時という意味で述べられているのであると解釈しています。同時ということであるなら、同一刹那に三の受が並存することになるけれども、多念である場合はその証拠とはならないというのです。) 次回は護法の説(正義)を述べます。


第三能変 受倶門 未至定の根拠

2010-07-23 23:49:12 | 受倶門

 「彼には唯十一の根のみ有りと説けるが故に」という根拠が示されています。この文言は『瑜伽論』五十七に由るわけです。そこには

 「問う、未至地に幾ばくか得可きや。 答う、十一なり。

 問う、若し未至地に喜根ありといはば何が故に初静慮地の如く喜を建立せざるや。 答う、彼の地に於いては喜動すべきに由るが故なり。

 問う、喜彼に於けるは何の教ありて証と為すや。 答う、世尊の言うが如し、「是の如く苾蒭(ひつしゅ)よ、離生喜楽は其の身を滋潤(じにん)し、周遍(しゅうへん)して滋潤し、遍流(へんる)し遍悦(へんえつ)し、少分として充たず満たざるとあること無し、是の如きを名づけて離生喜楽と為す」と。」述べられています。概略しますと、欲望みなぎる世界を離れて、その上界である色界・無色界に生まれる時、その上界の定に身は潤わされ、心は悦び益される、その有様はわずかとして充填されず、満足されないことはないのである。そして、その感受は喜受となるのですが、身を滋潤し、といわれますように、その身ににも利益が及ぶことに成り、仮に楽の名を立てるというのです。色界初禅と第二禅の近分定に起こる感受は、身と心を潤すことから、これは喜受ではあるが、また楽受ともいう、といわれています。

 「此れに由って応に知るべし、意地の慼受(しゃくじゅ)の純受苦処にあるをば、亦苦根のみに摂めらる」(『論』)

 (意訳)以上によって知るべきである。第六意識の慼(うれい)受の純受苦処(地獄)にあるものは、苦根のみであるという。これによって護法正義の論拠が示されています。


第三能変 受倶門 例挙(未至地には、楽受がないことを説く) ・ 釈尊伝(67)

2010-07-22 23:54:36 | 受倶門
 ある人曰く 「念仏すれば地獄に堕ちるぞ」、
 親鸞聖人答えて曰く 「いずれの行もおよびがたき身なれば、地獄は一定すみかぞかし」
              
 釈尊伝(67)    ー 着眼点 ー
 釈尊の成道から、どこに向いて話がはこぶかわかりません。とにかく歴史上の人物を一つのプロフィールとして、従来、仏陀の意味をみてきましたが、今一つわれわれの着眼点をどこにおくか。その置き場所によって、歴史的人物になったり、仏陀になったりする。仏陀という意味になれば人物は問題ではない。どれだけの身の大きさ、どこの人、どれだけ弟子があったか問題ではない。一つだけ仏陀の意味があたえられれば、十分に釈尊の意味がなりたつのではないか。それがないとインド、中国、日本とたくさんの人を潤してきた意味がないわけであります。釈尊という人の伝記が人を救ったのではない。仏陀という意味がたくさんの人を救ったのです。
          
            ― 自ら生きる ー
 一体、仏、救いとはなにか。われわれはいつも客体的にしかちりようがない。決められたとおりにしか生きようがない。それが、自ら生きるという、自ら生きるというだけでなく、自らなしうる。自ら造り、自ら生きるなら、自ら死ねるという - といって自殺するのではない - そういう意義をあたえるのが、仏陀という意味ではなかったのか。
 そうでないと、歎異抄が人々に、なにかエネルギーというよりも、なにか不思議な感動をあたえたということの説明がつかないわけでございます。 (つづくー次回からは第二章・解脱の道を連載します) 『釈尊伝』蓬茨祖運述より
            ― ・ ー
 第三能変 受倶門 例挙 ・ 未至定には、楽受がないことを説明する。
  
 「然も未至地には定んで楽根無し、彼には唯十一の根のみ有りと説けるが故に」(『論』)
 十一根 = 信・勤・念・定・慧・無貪・無瞋・無癡・意・喜・捨を指す。
 未至地 = 未至定のことで、色界初禅の近分定のこと。
 (意訳) しかも、未至定には楽根(楽受)がない。未至定にはただ十一の根のみがあると説かれているからである。

 典拠は『瑜伽論』巻第五十七(大正30・615a)で証明されている。そこには楽根(楽受)は入っていないことがわかり、喜受があることがわかる。よって、仮に喜受を楽受と名づけているにすぎないというわけです。


第三能変 受倶門 例を示す ・ 釈尊伝(66)

2010-07-22 00:06:04 | 受倶門

  ある人曰く、「仏道において菩提心はいらないとは何事か。」法然曰く、「あなたは菩提心を自ら起したのか。菩提心は、はからずも、起こったのではないのか」・「若し起したと云うのであれば、その菩提心は我執に色付けをされているのではないのか」という。 - 地獄一定すみかぞかし -

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釈尊伝 (66)    - 研究と信仰 -

 問題は、仏教を信ずるということの差です。研究するというのは、自分に対象するもの、存在するもの、存在するものにいろいろメスを入れて、未知なるものを尋ねてゆくということになります。それに対して、信ずるろいうときには、まずわが身をそこへ、そのものへ投げこみます。ある意味において、研究するときにも、選ぶということで、無意識にもそれを信ずるということがあります。いろいろのもののなかからこれにしようと決定するときには、無意識にわが身うぃそこへ打ちこむ決意をするわけでしょう。学校の単位を選ぶときなどそうです。これにしようと決めるときには、わが身をそれに捨てるということがあります。後で後悔してもおよばないということがあります。

              - 自分が選ぶ -

 そういう意味で、近代に入って歎異抄がとりあげられたことには、考えさせられるものがあります。そこには、今日われわれがおかれている社会の問題があるのです。つまり、われわれが決めるとき、決められてあるものを意識する。これは近代に入ってからでしょう。自分が選ぶべきなのに、自分が選ぶことができず、そうせしめられている。そう決められている。そのことがようやく近代に入って自覚せられてきた。それ以前は、そういう意識もなかった。当然、決められたとおり生きるのが正しいのであるという意識がありました。寺に生まれたものは寺を継ぐもので、他の職につくのは大変悪いことだという意識です。親が、社会が決めたとおり生きるのがよいので、そむくのは罪であるという。それが近代に入って、自分が思うまえに、選ぶことができないように決められてしまっていることを自覚するようになりました。そこから主体的意識も出てきました。 (つづく) 『釈尊伝』 蓬茨祖運述より

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 第三能変 受倶門 例を示す(地獄は苦根のみであること)

 「近分(ごんぶん)の喜を、身心を益するが故に是れ喜根なりと雖も、而も亦は楽と名づくるが如し、顕揚論等に、具さに此の義を顕せり」(『論』)  

  (意訳) 初めは初禅・第二禅の近分(ごんぶん)中の喜受は身・心を益することを、例をもって示します。即ち近分定に起こる感受は喜受であるけれども、身・心を益するので、喜根に摂すると雖も身を益することにおいて楽というのである。その証拠に『顕揚論』第二に詳しく説かれている。このことは、地獄の第六意識に憂根があると説かれているのも、この例にあるように、実際は苦根であると、いうのです。

 『顕揚論』第二に、「離生喜楽に滋潤せらる」と説かれていて、(離生喜楽は欲望や悪を離れたことから生ずる喜楽で、これにより初禅を得るといわれる。)この意味は、欲界を離れる時、その上界(色界)の定に人は潤わされ、その感受は喜受となるが、その益は心だけに及ばず、身をも潤すので、仮に楽の名を立てるのである。『顕揚論』第二に「経(雑阿含経第十七巻)に説くが如し、謂はゆる離生喜楽に滋潤せらる、乃至広く説く。是れを初・二静慮の近分と謂う等といえり。」


第三能変 受倶門 会通、第二・三の解釈 ・ 釈尊伝(65) 

2010-07-20 22:50:02 | 受倶門
  たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。もしまたこのたび疑網に覆蔽せられば、かえってまた曠劫を径歴せん。(『教行信証』総序より
 釈尊伝 (65) 蓬茨祖運述より
           - 現代とは -
 今までは人間釈尊伝というプリントしたものから、順々と話して参考にしてもらってきました。今回は趣を変えて仏教はどこを着眼としてみてゆくべきか、その意味で考えてみたいと思います。
 現代は、われわれが考えるようにはうごきません。考える前に現象ができています。われわれが選ぶ前に、先に決められています。学園紛争問題もその意味ででています。先日話を聞くと、一部分にはこういう問題があると考えられます。今自分が学校を出て、この道を選ぼうとする場合、出てゆく道が自分の考えどおりにならない。資本家・支配者に決められたとおりになってゆくより仕方がないということで、それに悩んでいる。しかし、そうかといって現実にうごいている全共闘にはついてゆけないと、そんな悩みを話された方がありました。
 いろいろ考えた結果、そういうことがそのまま、日本人の近代意識なのです。つまり主体的立場に立ちたいということです。主体的立場に立つということがどうしてできるのか。残念ながら日本は形だけは近代化されている。明治維新以来、形式的近代化にいそしんだ結果、身動きのとれないものになっています。その他の南方諸国とか、近代化されていない諸国は、割り切ってやれるかもしれないが、日本は誰かが作ったというより、作りあげられている一面があり、やりにくいのでしょう。
           - 主体的立場 -
 本当の意味の主体的立場をとりたい。その意味で仏教における歎異抄がとりあげられてきたのは、主体的になりたいという願いによるといえるでしょう。
 歎異抄はなにをあらわしているのか。釈尊という言葉がありながら、伝記としてはなにも書かれてはいません。ただ釈尊そもものがなんであるかを語っている。つまり仏陀としての意味はあらわされているわけです。釈尊という人はどんな人物であったかということについては、歴史的にいろいろ論じられます。そうなると、過去の人物で、人によってここまでは考えられる、それ以上考えるのは誤謬であるという。それは学問というものでありましょう。釈尊伝のなかの、とくに仏陀という意味、さとりを開いて仏陀になったというところを一つ考えてみて、われわれがどういうふうに、どういう立場からみてゆけるのか。釈尊をみるときどうしても客体的になるから、釈尊を自分の立場としてみるとき、どのようにしてみることができるか。そのようなところから申しあげてみたいと思います。 (つづく)
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 第三能変 受倶門 会通第二の解釈
 「又彼の苦根の意識と倶なるは、是れ余の憂の類なるをもって、仮って説いて憂と為せり」(『論』)
 (意訳) 地獄において苦根が第六意識と相応する場合は、他の雑受処である餓鬼・畜生界や人天の憂根と似ているので、これを仮に憂受と説いているにすぎなく、実際は憂受ではないのである。
 「地獄等の苦根の意識と倶なる者は、余の雑受処と及び人・天の中の憂根と相似せり。亦意識に在って逼迫受なるが故に、地獄の苦根を説いて憂と為す。実には憂受には非ず」(『述記』)
 地獄において相応するのは、第六意識にあ在っては逼迫受であるといわれていますが、逼迫受の説明のところでは、「第六意識と倶である逼迫受で地獄の中のものをただ苦受という、なぜなら地獄は純受であり、尤重であり、無分別だからである」、と説かれていました。ここの解釈では第六意識と倶である逼迫受は人天の中ではつねに憂受といい、餓鬼界と畜生界では憂受とも苦受ともいうことに似ているので、憂受というにすぎなく、仮に憂受というのあって、実には憂受ではない、といっています。
 第三の解釈
 「或いは彼の苦根は、身心を損するが故に苦根に摂められると雖も、而も亦は憂と名づく」(『論』)
 (意訳)「彼の地獄等の苦根は通じて能く逼迫して身・心を損ずるが故に、苦根に摂すと雖も而も亦憂と名づく」(『述記』)と述べられていますように、地獄の第六意識の苦受は、身心を損悩するので、苦受といわれ、苦根に摂められるのですが、また憂受ともいわれるのであって、実に憂根ではない、ということです。
 

第三能変 受倶門 会通その(2) ・ 釈尊伝(64)

2010-07-19 22:40:14 | 受倶門

 『釈尊伝』 蓬茨祖運述より ー 釈尊の伝記  

 そういう意味で、釈尊の伝記は、昔は釈尊という名だけで、なんという説明もなしにきていました。歎異抄の文章がそれをあらわしています。近代に入ってからは、釈尊という名前は、歴史的人物として考えられてきました。しかし釈尊という歴史的人物の名前においては、仏教は埋没します。また、釈尊の伝記が云々されませんでしたが ー たとえば聖徳太子の義疏においても ー しかし仏教というものが日本の国に伝わってきたということがあります。ところが近代になって釈尊の伝記が明らかになってきましたが、しかし仏教というものは、われわれの生活となんの関係もなくなってきました。このちがいです。釈尊が歴史的人物であるならば、仏教として伝わらなかったでありましょう。仏陀という名のもとに仏法が伝わってきたのであります。それに対して歴史的人物として伝わったのがインド仏教です。しかしそこから仏教がつたわるということはなかったのです。

            ー 研究と信仰 ー

 問題は、仏教を信ずるということと、研究するということの差です。研究するというのは、自分に対象するもの、存在するものにいろいろメスを入れて、未知なるものを尋ねてゆくということになります。それに対して、信ずるというときには、まず我が身をそこへ、そのもとへ投げこみます。ある意味において、研究するときにも、選ぶということで、無意識にもそれを信ずるということがあります。いろいろのもののなかからこれにしようと決定するときには、無意識に我が身をそこへ打ちこむ決意をするわけでしょう。学校の単位を選ぶときなどそうです。これにしようと決めるときには、我が身をそれに捨てるということがあります。後で後悔してもおよばないということがあります。

            ー 自分が選ぶ ー

 そういう意味で、近代に入って歎異抄がとりあげられたことには、考えさせられるものがあります。そこには、今日われわれがおかれている社会の問題があるのです。つまり、われわれが決めるとき、決められてあるものを意識する。これは近代に入ってからでしょう。自分が選ぶべきなのに、自分が選ぶことができず、そうせしめられている。そう決められている。そのことがようやく近代に入って自覚せられてきた。それ以前は、そういう意識もなかった。当然、決められたとおり生きるのが正しいのであるという意識がありました。寺に生まれたものは寺を継ぐもので、他の職につくのは大変悪いことだという意識です。親が、社会が決めたとおり生きるのがよいので、そむくのは罪であるという。それが近代に入って、自分が思うまえに、選ぶことができないように決められてしまっていることを自覚するようになりました。そこから主体的意識もでてきました。 (つづく)

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 第三能変 受倶門 会通その(2) 『瑜伽論』を会通する。

 「瑜伽論に地獄の中に生まれたる諸の有情類には、異熟の無間に異熟生の苦・憂相続すること有りと説き、又地獄の尋・伺は憂と倶なり、一分の鬼趣と傍生とも亦爾なりと説けるは、亦随転門に依っていう」(『論』)

 (第一の解釈)『瑜伽論』に説かれているのは、ただ随転門に依って述べられているのである。

 (意訳) 「地獄の中に生まれた諸の有情類には、異熟の無間に、異熟生の苦受や憂受が相続すること」(『瑜伽論』巻第六十六・大正30・665a)と説かれ、又「地獄の中の尋・伺は、憂と倶である。餓鬼や畜生の一分もまた同様である」(同、巻第五・大正30・302c)と説かれているのは、亦随転門に依って述べられているのである、と。

 『述記』に依りますと、「苦・憂有りという」のは大衆部の所説に従った随転門であり、「諸識並生するを以って苦と憂と相続す」と云う。「異熟果に由って生ずと計するが故に、此れが中に異熟の無間と言う。即ち是れは無性第二に上度の九心なり」これは上座部に従って述べた随転門であり、大論第五に尋・伺は憂と倶なりというは、経量部に依って云う、随転門である。謂く、経部は尋・伺は唯意識に在り、然も地獄の中の意には唯憂受ありというが故に亦随転門なり。」と述べられてありますが、これらはすべて随転理門によって説かれているものであり、真実理門という大乗の立場から説明されているものではないのです。

 随転理門は今でいう小乗仏教の教理を指すのですが、私は時機の問題が隠されていると思うのです。正像末史観がいわれますが、像法の時代には六識に約して頷けるだけの機根があったのでしょう、と思うのです。それが時代の推移とともに深層意識の解明が必要となってきたのではないでしょうか。そのことが大乗仏教を必然としたと思うのです。やはり時機を見つめる眼差しが必要なのではないかと思います。小乗は大乗からみると、劣っているのではなく、大乗の必要がなかったということでしょう。しかし、小乗も時代の推移とともに煩瑣な教理に沈んでいき、必然として大乗仏教を生みだしてきたのではないでしょうか。