唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変 受倶門 護法正義その理由 ・ 釈尊伝(70)

2010-07-28 22:53:00 | 受倶門

             - 釈尊伝 -

 (70) 現代の問題

 結局、合理主義というものは、そういうふうにいかにも人間を解放するがごときたてまえをもって進んでくるわけですけれども、かえってそのために今までもっていたところの自由までもなくするという結果が、今日における人間の問題となってでてきているということです。こういうことを普通どう考えるか。とにかくそれを解決しようと、その矛盾をなくしようとしての闘いということが各地に起こっているわけでしょう。しかし、その闘いの方法は、依然として合理主義です。合理主義に反対するのは、不合理主義しかない。ところが不合理は主義というわけにはいかんのです。不合理主義などという主義は、これは主義にならないのです。自分は不合理主義だということはデタラメということであって、デタラメなどできるものじゃないのです。それは頭の中で考えるだけで、今までは足で歩いたけれども、これから手で歩くといったところで、そんなことができるわけがありません。手で歩くと思うだけ思いましても、そういうことはできるわけがない。ですから依然として、合理主義に対して行うのは、合理主義をもってするということしかない。しかし、それは名前は合理主義だけれども、やることはデタラメよりほかにやりようがないということです。つまりそこにいろいろの展望というものが成りたたないということが、現実社会の問題であります。

 こういう問題を、そこに問題として取りあげたのが釈尊の問題です。つまり釈尊が問題としたところでありまして、そこからみませんと、仏教でどうにかできるように思い、仏教ではそれに対してどうか、などと考えだすのです。それはもう時代遅れです。もうすでに対象化されてしまっていて、せいぜいキリスト教は不合理だから、また仏教は合理だからと西洋人がいう。科学者も仏教の方がキリスト教よりは合理的なものだということを頼りにして、仏教は科学と矛盾しないのだといっている。そういう仏教というものは、対象的な、客体的な動かない仏教であります。庭に置いてある石灯籠のようなものです。石灯籠は合理的です。動かないのですから・・・・・・・・。

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 第三能変 受倶門 護法正義その理由を述べる

 「偏注(へんじゅ)の境の於には一の受を起すが故に、偏注無きときには、便ち捨を起すが故に。斯に由って六識には、三の受倶にある容し」(『論』)

 偏注 - (六識三性容倶の項で説明されていますので参照してください) 五識の認識の強力なことを偏注という。

 (意訳) 偏注の境に対しては一つの受を起すからである。偏注がないときには、捨を起すからである。以上に由って、六識には、三の受が倶にあることが分かる。但し、注意が必要なのは一識に三受が並存するということではない、ということです。

    果位の受倶(仏位における受倶について)

 「自在を得つる位には、唯楽と喜と捨とのみあり、諸仏は已に憂苦の事を断じたまへるが故に」(『論』)

 「(正しく文を釈す)此れが中に果位をいう、謂く仏に成る時、或いは転じて無漏を得るときに、初地にして即ち得る。唯楽と喜と捨となり。・・・」(『述記』)

 (意訳) 得自在位とは、仏位のことで、この位には、ただ楽受と喜受と捨受のみがある。なぜならば、諸仏は、すでに憂受や苦受の事を断じているからである。

 「前(さき)に略して標する所の六位の心所において、今広く彼の差別の相を顕す応し」(『論』)

 (意訳) 前に略して説明をしてきた六位の心所について、今まさに詳しく個別の相を明らかにする。前所略標は三段九義中・心所相応門の略標六位にあたります。


第三能変 受倶門 護法正義を述べる ・ 釈尊伝(69)

2010-07-26 23:05:09 | 受倶門

 昨日は天神祭のクライマックスである船渡御と大川での花火が打ち上げられました。夏の風物詩ですね。花火を見て屋台のお好み焼きをいただきました。ビールを飲みたかったのですが、売り切れで残念でしたが、冷たいお茶はとてもおいしかったです。花火を撮るのは難しいですね。タイミングが遅れるんです。プロはすごいですね。朝刊の見出しに掲載されていましたがプロの技はすごいの一言です。一瞬の被写体に向かう姿勢は定の世界ですね。私たちの命には定を生きる命が宿っているのでしょう。ただ忘れているだけですね。

          - 『釈尊伝』 -

 (69) その(3)   ー 不合理な魅力 -

 そういう意味で、今日まで仏教というものが、唯一のよりどころとしておりました比較的合理的なところが、必ずしも仏教というもののよりどころにはならないことになった。むしろ一般人といいますのは、そういう合理的なものには、なんの魅力も持たない。かえって不合理なものに魅力を感ずるということです。それが現実であります。それは仏教でないのだといいましても、依然として成田の不動山のお守り、あるいは創価学会の信仰、いずれもこれは合理主義ではないわけです。どこまでも奇蹟信仰ということが魅力をもつのでありまして、創価学会も奇蹟をいえなくなると、それで魅力を失う。したがって今日でいう魅力はギャンブルでありますから、いわゆる政治というギャンブルをつかんで、今日では、信者社会の魅力をつかむということになるわけであります。政治は勝ち負けでありますから、現代の一種のギャンブルと言ってよいでしょう。

      その(4) - 機械化とは -

 さて、必ずしもそれだけで批判されるべきではないのですけれども、問題はそういう不合理なものになぜ魅力を感ずるかです。それは合理主義という立場は、われわれ自身をいかにも解放するが如く解釈されておりながら、かえってわれわれをそこにぬきさしならないものとして縛りつける一面をもっているからであります。つまり、手工業時代から機械化の時代へと移ってゆく、農村だってそうです。肉体労働から機械化へと移ってゆく。機械化へ移ってゆくということは、これは自分の思う通りにやれないということです。怖るべき笑い話がでてきています。ここ二、三年来、農村に稲刈り機というものがはやってきて、みな買い入れるのです。自動車というものをみなが買い入れたように、一軒が稲刈り機を買い入れるとみんなが買い入れる。今まで稲刈りといえば、人がいないので苦労する。人を雇うと相当経費がかかるううというので、それで自分の苦労もいろいろ考えて機械化にふみきる。すると、機械というものは便利なものですから、たちまちにして稲を刈り取ってゆくわけです。それでそれを集めるだけでいいわけです。ところが普通自分が刈った時には労力はいりますけれども、それを束ねて積みあげて、天気になればそれを干す。雨が降りそうだとするとそれをまた積みあげることができたのですけれども、機械の場合は、ある時間に刈ってしまわねばならんわけです。ところが刈り上げた時分に雨が降ってくると、そのまま水づかりになるわけです。それに昔は納屋に稲を運んで脱穀したのですが、今度は納屋に持ってきて脱穀はできない。やはり田の中でせねばならないのです。すると雨が降ってきたらできないのです。刈るのはいいのですが、後が思うようにならないのです。合理主義という意味では、一面、合理主義そのものによって人間が支配せられる、と同時に逆に人間でやれることまでが、今度はやれなくなるという。そういう悩みを夏に帰ったときに檀家の者が訴えていました。それじゃ機械を共同で持てばといっても、人間ですからこれもまたなかなか共同作業ということがうまくいきません。十軒で一台の機械を持ってやるということになると、誰でも早くやってほしいのです。経費も同じようにかかるというようなことですから、一番後になるものが損をするというようなことになるのです。 (つづく) 蓬茨祖運述より

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      第三能変 受倶門 護法正義を述べる

 「有義は六識には三の受倶にある容し。順と違と中との境を倶に受く容きが故に、意は定めて五が受と同にしもあらざるが故に」(『論』)

 「此れも亦前に六十三(定中に声を聞くの文)の文を引いて三性倶なりと証するに同なり。定の中には喜(初・ニ定)・楽(第三定)受に通ず。卒爾の耳識は但捨受のみなるが故に」(『述記』)

 (意訳) 護法正義は、六識には三つの受が、すべて倶に並び立つことがある。なぜなら、順と違と中との境を同時に受けるはずだからである。第六意識の受は必ずしも前五識の受と同じものとなるのではないからである。定中の意識は、喜受や楽受であっても、卒爾の耳識は、但捨受のみであるということがある。聞法会で先生の話に夢中になり楽受を受けている時、正座の状態では膝や足がしびれて苦受を感じます、しかし耳識は先生の声を聞いており、それは捨受であるということがあり、よく経験のすることです。

 ここは、前に三性の倶・不倶におけるのと同様であるので改めて述べる事はない、と『述記』には記されています。

 順境 - 自分の心にかなう対象のこと。

 違境 - 自分の心にかなわない、違する対象のこと。

 中境 - 順でも違でもない対象のことで、倶非の境という。

 

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第三能変 受倶門 三受と倶・不倶を弁ず。 ・ 釈尊伝(68)

2010-07-25 17:08:05 | 受倶門

『釈尊伝』 第二篇 第一章 合理主義

          その一 仏教の歴史

 釈尊につきましては、すでに申し上げたように、歴史上の人物として考えられることが現代の常識になっております。これに反するものは誤謬であるということにわりきられるのであります。そして、その釈尊の思想というものが発展し、いろいろと展開していった。そういう、いわゆる合理的な立場で仏教というものが考えられるということになってきております。

 しかし、ただそこからは仏教を行ずる者は、必ずしも出てこなかったということであります。行ずるということは生活するという意味でありますから、したがって信ずるといっても良いわけであります。そういう意味の仏教は、釈尊の生涯がどういうものであるかということとは、全然関係がないわけでもありませんけれども ー、一応、直接の関係のないまま伝わってきた。つまり仏教の歴史というのは、むしろインドより周辺の地域にあります。周辺といいましても、主として東南地方よりはかになかったわけであります。西方へはどういう影響があったか、アフガニスタンくらいまで影響があったかもしれませんけれども、ともかくも主として南方地域、それから東方へ、中国、日本というふうにひろまってゆきました。

 そうした仏教は、やがて仏教という一つの定型化ということになって、社会化されるわけでありますが、それと同時に仏教が歩みをとめてしまうということになってくるわけです。そうして近代をむかえることによって、逆に今度は仏教という意味が問われることになるわけであります。

            ー 合理主義の問題 ー

 ここは問題がございまして、いわゆる近代というのは、合理主義ということが基盤となっています。その合理主義に対すれば、仏教というものは、そのフルイにかけられるわけです。フルイにかけられて今まで考えられていたところの仏教というものの不合理な面、不合理なものが捨てられてゆくということであります。しかし、それによって仏教というものが正しく立ち直ることができるのかということがあります。不合理な面だけを取ってしまえば、仏教は立ち直れるがということになりますと、仏教というもの自体がなくなって、単に近代的な合理主義というものによって、世の中とともに押し流されてしまうということになるわけであります。しかし、そこに仏教そのものは、そういう合理主義というものに対して、どちらかといえば、キリスト教にくらべてより合理的だということで、ある意味でインテリ層においては支持を受けてきた。しかし、インテリ層の支持を受けるということは、単にそういう評価の支持であって、実際に仏教そのものに生きるということではないのであります。いわゆる外部的な立場からの支持にすぎないので、仏教そのものに自分が生きるということが崩されてゆくということです。それまで仏教に生きておった者が、不合理なものに生きておったということになりますから、不合理なるものを取り去れば、仏教そのものがよりどころのないものだということになります。 (つづく) 蓬茨祖運述より

               ー ・ ー

     第三能変 受倶門 三受と倶・不倶を弁える。

 「此等の聖教に差別(しゃべつ)の多くの門ありて、文の増広(ぞうこう)を恐れて、故(かれ)繁(はん)に述べず」(『論』)

 (意訳) これらの聖教に、三受と五受を明らかにする多くの門があり、これらのすべてを述べると混乱をきたす。文の増広を恐れて詳しくは述べずに略す。

 多門というのは『述記』に依りますと、三受・五受を説明する場合、その種類を分析し区別する多くの視点がある、そのことを「有報と無報と界地繋と何地にか断ずる等、名づけて多門と曰う」と述べられています。有は無に対して、形有る有質碍なもの、迷えるものの存在の世界を指します。界は三界(欲界・色界・無色界)地は九地を指し、これらに繋がれている存在は何地に於いて迷いの生存を断ずることができるのかを説いている門が多くあり、「繁広なること有らむかと恐って、故に略して応に上むべし」。ここは略して、詳しくは述べないということです。

        - 三受が倶であることを述べる 

 難陀等の説と護法の説が述べられます。最初の難陀等の説は三つの部分から述べられ、初めにその説を挙げ、ニにその主張の根拠を証し、三に論書の記述との矛盾を会通する。

 問題は第六意識は三受と倶なのか・不倶なのかということです。

 (1) 「有義は六識に三の受倶あらず。皆外門に転じて、互いに相違えるが故に」。

 (2) 「五と倶なる意識は五が所縁に同なり、五いい三の受と倶ならば、意も亦爾るべし。便ち正理に違しぬ。故に必ず倶にあらず」。

 (3) 「瑜伽等に、蔵識は一時に転識相応の三の受と倶起すと説けるは、彼は多念に依っていう、一心と説けども一の生滅に非ざるが如し。相違の過無し」。(『論』)

 『述記』には初説は三性を弁ずるなかで初めに文を引いて解釈するのと同じ論法であると述べています。

 (意訳) 難陀等の説は六識には三つの受が倶(並存)することはないという。何故に、すべて対象を外界に転じて、その対象はそれぞれ互いに相違するからである。五識と並存し活動する第六意識の所縁は五識の所縁に同じである。もし五識が三受と並存し活動するというのであれば、第六意識も、また同じであり、三受と並存し活動するといわなければならない。そうであるならば、これは正理に相違していることになる。その為、六識には三の受と倶ではない。(例えば、眼識が楽受と倶であり、耳識が苦受と倶であり、鼻識が捨受と倶である場合、それらの識と所縁が同じというならば、意識は同時に苦・楽・捨の三受が倶であることになり、それは正理に違する、という)また、『瑜伽論』等に「蔵識(阿頼耶識)は、一時に転識相応の三の受と倶起する、と説かれるのは、それは多念によってであり、一心と説かれてはいても、一つの生滅ではないようなものである。従って、相違の過失はないのである。(ここは会通です。会通は自説と相違する説が実は相違しないと解消するのです。論にいわれることは、同時にということではなく、多念による、即ち、時間の経過の中での一時という意味で述べられているのであると解釈しています。同時ということであるなら、同一刹那に三の受が並存することになるけれども、多念である場合はその証拠とはならないというのです。) 次回は護法の説(正義)を述べます。


第三能変 受倶門 未至定の根拠

2010-07-23 23:49:12 | 受倶門

 「彼には唯十一の根のみ有りと説けるが故に」という根拠が示されています。この文言は『瑜伽論』五十七に由るわけです。そこには

 「問う、未至地に幾ばくか得可きや。 答う、十一なり。

 問う、若し未至地に喜根ありといはば何が故に初静慮地の如く喜を建立せざるや。 答う、彼の地に於いては喜動すべきに由るが故なり。

 問う、喜彼に於けるは何の教ありて証と為すや。 答う、世尊の言うが如し、「是の如く苾蒭(ひつしゅ)よ、離生喜楽は其の身を滋潤(じにん)し、周遍(しゅうへん)して滋潤し、遍流(へんる)し遍悦(へんえつ)し、少分として充たず満たざるとあること無し、是の如きを名づけて離生喜楽と為す」と。」述べられています。概略しますと、欲望みなぎる世界を離れて、その上界である色界・無色界に生まれる時、その上界の定に身は潤わされ、心は悦び益される、その有様はわずかとして充填されず、満足されないことはないのである。そして、その感受は喜受となるのですが、身を滋潤し、といわれますように、その身ににも利益が及ぶことに成り、仮に楽の名を立てるというのです。色界初禅と第二禅の近分定に起こる感受は、身と心を潤すことから、これは喜受ではあるが、また楽受ともいう、といわれています。

 「此れに由って応に知るべし、意地の慼受(しゃくじゅ)の純受苦処にあるをば、亦苦根のみに摂めらる」(『論』)

 (意訳)以上によって知るべきである。第六意識の慼(うれい)受の純受苦処(地獄)にあるものは、苦根のみであるという。これによって護法正義の論拠が示されています。


第三能変 受倶門 例挙(未至地には、楽受がないことを説く) ・ 釈尊伝(67)

2010-07-22 23:54:36 | 受倶門
 ある人曰く 「念仏すれば地獄に堕ちるぞ」、
 親鸞聖人答えて曰く 「いずれの行もおよびがたき身なれば、地獄は一定すみかぞかし」
              
 釈尊伝(67)    ー 着眼点 ー
 釈尊の成道から、どこに向いて話がはこぶかわかりません。とにかく歴史上の人物を一つのプロフィールとして、従来、仏陀の意味をみてきましたが、今一つわれわれの着眼点をどこにおくか。その置き場所によって、歴史的人物になったり、仏陀になったりする。仏陀という意味になれば人物は問題ではない。どれだけの身の大きさ、どこの人、どれだけ弟子があったか問題ではない。一つだけ仏陀の意味があたえられれば、十分に釈尊の意味がなりたつのではないか。それがないとインド、中国、日本とたくさんの人を潤してきた意味がないわけであります。釈尊という人の伝記が人を救ったのではない。仏陀という意味がたくさんの人を救ったのです。
          
            ― 自ら生きる ー
 一体、仏、救いとはなにか。われわれはいつも客体的にしかちりようがない。決められたとおりにしか生きようがない。それが、自ら生きるという、自ら生きるというだけでなく、自らなしうる。自ら造り、自ら生きるなら、自ら死ねるという - といって自殺するのではない - そういう意義をあたえるのが、仏陀という意味ではなかったのか。
 そうでないと、歎異抄が人々に、なにかエネルギーというよりも、なにか不思議な感動をあたえたということの説明がつかないわけでございます。 (つづくー次回からは第二章・解脱の道を連載します) 『釈尊伝』蓬茨祖運述より
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 第三能変 受倶門 例挙 ・ 未至定には、楽受がないことを説明する。
  
 「然も未至地には定んで楽根無し、彼には唯十一の根のみ有りと説けるが故に」(『論』)
 十一根 = 信・勤・念・定・慧・無貪・無瞋・無癡・意・喜・捨を指す。
 未至地 = 未至定のことで、色界初禅の近分定のこと。
 (意訳) しかも、未至定には楽根(楽受)がない。未至定にはただ十一の根のみがあると説かれているからである。

 典拠は『瑜伽論』巻第五十七(大正30・615a)で証明されている。そこには楽根(楽受)は入っていないことがわかり、喜受があることがわかる。よって、仮に喜受を楽受と名づけているにすぎないというわけです。


第三能変 受倶門 例を示す ・ 釈尊伝(66)

2010-07-22 00:06:04 | 受倶門

  ある人曰く、「仏道において菩提心はいらないとは何事か。」法然曰く、「あなたは菩提心を自ら起したのか。菩提心は、はからずも、起こったのではないのか」・「若し起したと云うのであれば、その菩提心は我執に色付けをされているのではないのか」という。 - 地獄一定すみかぞかし -

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釈尊伝 (66)    - 研究と信仰 -

 問題は、仏教を信ずるということの差です。研究するというのは、自分に対象するもの、存在するもの、存在するものにいろいろメスを入れて、未知なるものを尋ねてゆくということになります。それに対して、信ずるろいうときには、まずわが身をそこへ、そのものへ投げこみます。ある意味において、研究するときにも、選ぶということで、無意識にもそれを信ずるということがあります。いろいろのもののなかからこれにしようと決定するときには、無意識にわが身うぃそこへ打ちこむ決意をするわけでしょう。学校の単位を選ぶときなどそうです。これにしようと決めるときには、わが身をそれに捨てるということがあります。後で後悔してもおよばないということがあります。

              - 自分が選ぶ -

 そういう意味で、近代に入って歎異抄がとりあげられたことには、考えさせられるものがあります。そこには、今日われわれがおかれている社会の問題があるのです。つまり、われわれが決めるとき、決められてあるものを意識する。これは近代に入ってからでしょう。自分が選ぶべきなのに、自分が選ぶことができず、そうせしめられている。そう決められている。そのことがようやく近代に入って自覚せられてきた。それ以前は、そういう意識もなかった。当然、決められたとおり生きるのが正しいのであるという意識がありました。寺に生まれたものは寺を継ぐもので、他の職につくのは大変悪いことだという意識です。親が、社会が決めたとおり生きるのがよいので、そむくのは罪であるという。それが近代に入って、自分が思うまえに、選ぶことができないように決められてしまっていることを自覚するようになりました。そこから主体的意識も出てきました。 (つづく) 『釈尊伝』 蓬茨祖運述より

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 第三能変 受倶門 例を示す(地獄は苦根のみであること)

 「近分(ごんぶん)の喜を、身心を益するが故に是れ喜根なりと雖も、而も亦は楽と名づくるが如し、顕揚論等に、具さに此の義を顕せり」(『論』)  

  (意訳) 初めは初禅・第二禅の近分(ごんぶん)中の喜受は身・心を益することを、例をもって示します。即ち近分定に起こる感受は喜受であるけれども、身・心を益するので、喜根に摂すると雖も身を益することにおいて楽というのである。その証拠に『顕揚論』第二に詳しく説かれている。このことは、地獄の第六意識に憂根があると説かれているのも、この例にあるように、実際は苦根であると、いうのです。

 『顕揚論』第二に、「離生喜楽に滋潤せらる」と説かれていて、(離生喜楽は欲望や悪を離れたことから生ずる喜楽で、これにより初禅を得るといわれる。)この意味は、欲界を離れる時、その上界(色界)の定に人は潤わされ、その感受は喜受となるが、その益は心だけに及ばず、身をも潤すので、仮に楽の名を立てるのである。『顕揚論』第二に「経(雑阿含経第十七巻)に説くが如し、謂はゆる離生喜楽に滋潤せらる、乃至広く説く。是れを初・二静慮の近分と謂う等といえり。」


第三能変 受倶門 会通、第二・三の解釈 ・ 釈尊伝(65) 

2010-07-20 22:50:02 | 受倶門
  たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。もしまたこのたび疑網に覆蔽せられば、かえってまた曠劫を径歴せん。(『教行信証』総序より
 釈尊伝 (65) 蓬茨祖運述より
           - 現代とは -
 今までは人間釈尊伝というプリントしたものから、順々と話して参考にしてもらってきました。今回は趣を変えて仏教はどこを着眼としてみてゆくべきか、その意味で考えてみたいと思います。
 現代は、われわれが考えるようにはうごきません。考える前に現象ができています。われわれが選ぶ前に、先に決められています。学園紛争問題もその意味ででています。先日話を聞くと、一部分にはこういう問題があると考えられます。今自分が学校を出て、この道を選ぼうとする場合、出てゆく道が自分の考えどおりにならない。資本家・支配者に決められたとおりになってゆくより仕方がないということで、それに悩んでいる。しかし、そうかといって現実にうごいている全共闘にはついてゆけないと、そんな悩みを話された方がありました。
 いろいろ考えた結果、そういうことがそのまま、日本人の近代意識なのです。つまり主体的立場に立ちたいということです。主体的立場に立つということがどうしてできるのか。残念ながら日本は形だけは近代化されている。明治維新以来、形式的近代化にいそしんだ結果、身動きのとれないものになっています。その他の南方諸国とか、近代化されていない諸国は、割り切ってやれるかもしれないが、日本は誰かが作ったというより、作りあげられている一面があり、やりにくいのでしょう。
           - 主体的立場 -
 本当の意味の主体的立場をとりたい。その意味で仏教における歎異抄がとりあげられてきたのは、主体的になりたいという願いによるといえるでしょう。
 歎異抄はなにをあらわしているのか。釈尊という言葉がありながら、伝記としてはなにも書かれてはいません。ただ釈尊そもものがなんであるかを語っている。つまり仏陀としての意味はあらわされているわけです。釈尊という人はどんな人物であったかということについては、歴史的にいろいろ論じられます。そうなると、過去の人物で、人によってここまでは考えられる、それ以上考えるのは誤謬であるという。それは学問というものでありましょう。釈尊伝のなかの、とくに仏陀という意味、さとりを開いて仏陀になったというところを一つ考えてみて、われわれがどういうふうに、どういう立場からみてゆけるのか。釈尊をみるときどうしても客体的になるから、釈尊を自分の立場としてみるとき、どのようにしてみることができるか。そのようなところから申しあげてみたいと思います。 (つづく)
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 第三能変 受倶門 会通第二の解釈
 「又彼の苦根の意識と倶なるは、是れ余の憂の類なるをもって、仮って説いて憂と為せり」(『論』)
 (意訳) 地獄において苦根が第六意識と相応する場合は、他の雑受処である餓鬼・畜生界や人天の憂根と似ているので、これを仮に憂受と説いているにすぎなく、実際は憂受ではないのである。
 「地獄等の苦根の意識と倶なる者は、余の雑受処と及び人・天の中の憂根と相似せり。亦意識に在って逼迫受なるが故に、地獄の苦根を説いて憂と為す。実には憂受には非ず」(『述記』)
 地獄において相応するのは、第六意識にあ在っては逼迫受であるといわれていますが、逼迫受の説明のところでは、「第六意識と倶である逼迫受で地獄の中のものをただ苦受という、なぜなら地獄は純受であり、尤重であり、無分別だからである」、と説かれていました。ここの解釈では第六意識と倶である逼迫受は人天の中ではつねに憂受といい、餓鬼界と畜生界では憂受とも苦受ともいうことに似ているので、憂受というにすぎなく、仮に憂受というのあって、実には憂受ではない、といっています。
 第三の解釈
 「或いは彼の苦根は、身心を損するが故に苦根に摂められると雖も、而も亦は憂と名づく」(『論』)
 (意訳)「彼の地獄等の苦根は通じて能く逼迫して身・心を損ずるが故に、苦根に摂すと雖も而も亦憂と名づく」(『述記』)と述べられていますように、地獄の第六意識の苦受は、身心を損悩するので、苦受といわれ、苦根に摂められるのですが、また憂受ともいわれるのであって、実に憂根ではない、ということです。
 

第三能変 受倶門 会通その(2) ・ 釈尊伝(64)

2010-07-19 22:40:14 | 受倶門

 『釈尊伝』 蓬茨祖運述より ー 釈尊の伝記  

 そういう意味で、釈尊の伝記は、昔は釈尊という名だけで、なんという説明もなしにきていました。歎異抄の文章がそれをあらわしています。近代に入ってからは、釈尊という名前は、歴史的人物として考えられてきました。しかし釈尊という歴史的人物の名前においては、仏教は埋没します。また、釈尊の伝記が云々されませんでしたが ー たとえば聖徳太子の義疏においても ー しかし仏教というものが日本の国に伝わってきたということがあります。ところが近代になって釈尊の伝記が明らかになってきましたが、しかし仏教というものは、われわれの生活となんの関係もなくなってきました。このちがいです。釈尊が歴史的人物であるならば、仏教として伝わらなかったでありましょう。仏陀という名のもとに仏法が伝わってきたのであります。それに対して歴史的人物として伝わったのがインド仏教です。しかしそこから仏教がつたわるということはなかったのです。

            ー 研究と信仰 ー

 問題は、仏教を信ずるということと、研究するということの差です。研究するというのは、自分に対象するもの、存在するものにいろいろメスを入れて、未知なるものを尋ねてゆくということになります。それに対して、信ずるというときには、まず我が身をそこへ、そのもとへ投げこみます。ある意味において、研究するときにも、選ぶということで、無意識にもそれを信ずるということがあります。いろいろのもののなかからこれにしようと決定するときには、無意識に我が身をそこへ打ちこむ決意をするわけでしょう。学校の単位を選ぶときなどそうです。これにしようと決めるときには、我が身をそれに捨てるということがあります。後で後悔してもおよばないということがあります。

            ー 自分が選ぶ ー

 そういう意味で、近代に入って歎異抄がとりあげられたことには、考えさせられるものがあります。そこには、今日われわれがおかれている社会の問題があるのです。つまり、われわれが決めるとき、決められてあるものを意識する。これは近代に入ってからでしょう。自分が選ぶべきなのに、自分が選ぶことができず、そうせしめられている。そう決められている。そのことがようやく近代に入って自覚せられてきた。それ以前は、そういう意識もなかった。当然、決められたとおり生きるのが正しいのであるという意識がありました。寺に生まれたものは寺を継ぐもので、他の職につくのは大変悪いことだという意識です。親が、社会が決めたとおり生きるのがよいので、そむくのは罪であるという。それが近代に入って、自分が思うまえに、選ぶことができないように決められてしまっていることを自覚するようになりました。そこから主体的意識もでてきました。 (つづく)

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 第三能変 受倶門 会通その(2) 『瑜伽論』を会通する。

 「瑜伽論に地獄の中に生まれたる諸の有情類には、異熟の無間に異熟生の苦・憂相続すること有りと説き、又地獄の尋・伺は憂と倶なり、一分の鬼趣と傍生とも亦爾なりと説けるは、亦随転門に依っていう」(『論』)

 (第一の解釈)『瑜伽論』に説かれているのは、ただ随転門に依って述べられているのである。

 (意訳) 「地獄の中に生まれた諸の有情類には、異熟の無間に、異熟生の苦受や憂受が相続すること」(『瑜伽論』巻第六十六・大正30・665a)と説かれ、又「地獄の中の尋・伺は、憂と倶である。餓鬼や畜生の一分もまた同様である」(同、巻第五・大正30・302c)と説かれているのは、亦随転門に依って述べられているのである、と。

 『述記』に依りますと、「苦・憂有りという」のは大衆部の所説に従った随転門であり、「諸識並生するを以って苦と憂と相続す」と云う。「異熟果に由って生ずと計するが故に、此れが中に異熟の無間と言う。即ち是れは無性第二に上度の九心なり」これは上座部に従って述べた随転門であり、大論第五に尋・伺は憂と倶なりというは、経量部に依って云う、随転門である。謂く、経部は尋・伺は唯意識に在り、然も地獄の中の意には唯憂受ありというが故に亦随転門なり。」と述べられてありますが、これらはすべて随転理門によって説かれているものであり、真実理門という大乗の立場から説明されているものではないのです。

 随転理門は今でいう小乗仏教の教理を指すのですが、私は時機の問題が隠されていると思うのです。正像末史観がいわれますが、像法の時代には六識に約して頷けるだけの機根があったのでしょう、と思うのです。それが時代の推移とともに深層意識の解明が必要となってきたのではないでしょうか。そのことが大乗仏教を必然としたと思うのです。やはり時機を見つめる眼差しが必要なのではないかと思います。小乗は大乗からみると、劣っているのではなく、大乗の必要がなかったということでしょう。しかし、小乗も時代の推移とともに煩瑣な教理に沈んでいき、必然として大乗仏教を生みだしてきたのではないでしょうか。  


第三能変 受倶門 例徴 ・ 総結 ・ 会通その(1)

2010-07-18 14:28:36 | 受倶門

P1000183 今日は横堤八幡宮の夏祭りで、街中をだんじりが練り歩いています。もともと八幡さんの祭りは五穀豊穣を天地の神々に祈りをささげる厳粛な儀式ですが、地車保存委員会の方々の努力によって毎年夏と秋の祭礼の折、子どもたちの楽しみの一つとしてその風習が今日まで伝えられています。仏教伝来は仏教本来の姿を変えて中国から朝鮮半島を経て我が国に伝えられたのですが、それは朝廷の貢物として、国家安泰・五穀豊穣を祈願する手立てとしての性格をもっていました。神社と仏教が融合した形で祭式を執り行っていたのですね。古代国家にとっては祭式は国の根幹をなす重要な位置を占めていました。それは天地の神々に祈りを奉げる事において国家が安泰し、民が安んじることに通じたからです。国が安泰し、国が豊かになることが国民の幸せにつながると考えられていました。この考えは今の時代にも通じているのかもしれません。「国豊かにして、民安んずる」といいますからね。仏教が時の為政者に性格を異にしながら利用されていた時代が長く続きましたが、仏教本来の「生きとし生きるものをすべて救いたい」という願心が鎌倉時代の祖師達によって民衆の手に取り戻されました。そして日本の土壌で育てられた仏教が今日まで私たちの精神生活に大きな影響を与えているのです。

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 第三能変 受倶門 例を挙げて徴す。

 「極楽地の意の悦するを楽とのみ名づけて、喜根有ること無きが如し、故に極苦処にも意の迫を苦と名づけて、憂根有ること無かるべし」(『論』)

 (意訳) 色界第三静慮の極楽地において、第六意識の(適)悦するのを楽とのみ名づけて、喜根がないのと同じである。それだから、極苦処(地獄)にも、第六意識の(逼)迫を苦と名づけて、憂根がないのと同じである。このことによって第八番目に憂根が有るという説は、論拠のないことがわかるのである。

  • 第三静慮(色界第三禅・第三定)は前に述べましたが、前六識の悦が遍ねく行き渡って極まりが無いといわれるのですが、喜受はなく楽のみであるのです。「若し第三静慮の近分と根本とに在るをば楽とのみ名づく」と。(これと同様に地獄に於いても苦受のみであって、憂受はないことがしられる。護法の説明は、第六意識相応といえども、苦受の場合があるというのですね。これは六趣で説明されます。人天の場合と餓鬼・畜生と地獄に分けて論じられます。人天の場合は第六識はただ憂受とのみ相応するけれども、餓鬼・畜生の場合は軽重の差があるので、憂とも苦とも名づけるという。そして地獄は純苦・尤重・無分別處であるので、第六識相応といえども苦受という。)

 「意の悦するを楽とのみ名づけて、喜根有ること無し、というは、即ち第三定なり。応に極苦の處にも意の迫るを苦と名づけて憂根有ること無かるべし、故に憂は有るに非ず」(『述記』)

 総結(「四に総じて彼の三の法は種は成じて現はぜずということを結す」)

 「故に余の三という言は、定んで憂と喜と楽となり」(『論』)

 (意訳) 総じて結ぶ文です。『瑜伽論』巻五十七に「地獄には諸の根において、余の三は現行定んで成就せず。」余の三は楽受・喜受・憂受を指す、ということが結論になります。

 この結論から、又問いが出されます。(会違ー違いを会通する。違いを会すに三有り。初めは『摂論』を会す。)

 地獄にはただ苦のみ有りというのであれば、世親菩薩の『摂大乗論』巻第二(大正31・327b)に「純苦処に等流の楽有り」と説かれるのであろうか。それに対して、この文は説一切有部の立場に立って説かれたもの(随転理門)である、といい、大乗の立場に立って会通します。

 「余の処に、彼に等流の楽有りと説けるは、応に知るべし。彼は随転理に依って説けり。或いは彼に通じて余の雑受処を説けり、異熟の楽無きをもって、純苦とは名づくるが故に」(『論』)

 (意訳)「余の処」、即ち『摂大乗論』に「彼」(地獄)には、等流の楽受があると説かれているのは、地獄は説一切有部の立場から、随転理門に依って説かれているのである。「有る経の中に六識と説けるは、・・・是れ随転理門なり」と。初期仏教では六識に随って説明され、第七識・第八識は説かれていないのですね。(随転理門は根器に随転して説く方法です。それに対して根器に合わさず、真実を直接に説く方法を真実理門という。)大乗の立場から、『摂大乗論』のこの文は、地獄に通じて、餓鬼・畜生という雑受処を説いているのである。雑受処に等流の楽受があるということを合わせて説いているのであり、純苦処である地獄に等流の楽受が有るということを説いているわけではない。地獄には異熟の楽受は存在しないから、純苦処と名づけられるのである。

 『述記』の記述をみてみますと「若し大乗に依って彼の文(『摂論』)を解して云く、或いは彼は通じて余の二趣(餓鬼・畜生)の雑受処に等流の楽有りということを説く。極苦の地苦の地獄の中に等流の楽有るにも非ず。彼しこは(餓鬼・畜生の雑受処)異熟の楽無きをもって純苦処と名づくるが故に。又彼しこには異熟は無けれども等流の楽有り。此れ(純苦の地獄)をば純苦と名づくるをもって一切皆無し」。

 その二は『対法論』(大乗阿毘達磨雑集論』巻第七・大正31・726a)を会通す。

 「然も諸の聖教に、意地の慼受(しゃくじゅ)を憂根と名けたるは、多分に依って説けり、或いは随転門なり、相違の過無し」(『論』)

 (意訳) 「意識と倶なるは、有義は唯憂という、心を逼迫するが故に、意地の慼受をば憂根と名くと説けるが故に」(安慧の説で第六意識はただ分別する識であるので、これと相応する逼迫受は、憂受にみで、苦受はないという立場ー逼迫受の項参照してください)これは多分によって説かれたものであり、又は随転門で説かれたものであって、『論』の所説と相違する過失はない。多分は天界・人間界のすべて、餓鬼界・畜生界の一部を指す。

 ここも、二つの立場に立っての会通になります。初めは大乗の立場から、後は説一切有部の立場から『論』の内容と矛盾したり、相違がないことを会通します。

 『対法論』第七等に瞋恚は意識に於いて憂受と相応す等と説かれていて、意の慼(うれい)を憂と名づくのは多分によって説かれているのである。即ち人・天界のすべてと、鬼・畜界の一部である。少分である地獄の慼の受を苦受とするのは説かれていないという。或いは説一切有部の立場からは、意識における瞋恚は憂受と倶であると説かれるので、説一切有部の立場である随転理門に随うのであって、『対法論』の内容は『論』の記述と相違するものではない。

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第三能変 受倶門 別徴 結文 その3 ・ 釈尊伝(62)

2010-07-16 23:15:57 | 受倶門

  釈尊伝 (62)   ー 外国語によって -

 しかし仏教界には依然としてそういうことはありませんでした。ただ、外国に劣ってはならぬ、キリスト教に負けてならぬということで欧米留学をするというようなことから、漢訳のみでみていた仏教を、欧米語でみるようになった。英語やフランス語で仏教の原典をみる。仏教の原典は梵語やパーリー語であるから、梵語の研究をする。パーリー語の研究をする。仏教の着眼点を漢訳中心でみていたのを時代遅れのものとして、外国語によって翻訳されたものをみることになってきたわけであります。

 そして国内における仏教それ自体は依然として、そういうものとは関係なく、従来どおりのものを守ってゆくだけでありました。その中で一つの波紋をおこしたものは歎異抄であります。歎異抄が明治・大正・昭和から現代へ、大きな課題をあたえてきた。それが、仏教を主体的にみるという立場といえると思います。

             - 浩々洞 -

 それまでは教理をはじめから存在するものとして客観的にみていました。それに対して疑問が立てられない。疑問があれば客観的に研究して、解く以外ありません。ところが歎異抄が世に招介されます。清沢満之を中心とする浩々洞という集まりが ー いわゆる精神主義をモットーとしてあたらしい運動がおこります。従来の動かないものを研究するというのでなく、むしろわれわれの生存に対して仏教がどういう関係があるのかという疑問をたてて、そしてあらためて疑問を投げかけて新しい運動をはじめたということがありまして、そこに歎異抄がとりあげられて、世に招介されました。それによって歎異抄が一般に知られてきます。それまでは、仏教というものは、単に寺・僧侶・坊さんという意味だけがかんがえられておりましたが、歎異抄によって仏教を主体的にみる糸口となったろいうことで、それから、いかなる立場の人も歎異抄というものは宗派の別なく、身近な文章、少さな冊子ですが、インテリ層のなかに浸透していきました。 (つづく) 『釈尊伝』 蓬茨祖運述より

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 雑感 その3  「執着というのは自他を分断するのですね。いうなれば、恒に他を利用し自の利益のために働いていると思います。人間存在は本来他によって自己が成り立っているのですが、その他を切り離して自己存在を、自己は自己によって存在しているという顛倒の見が、道理に反するという捻じれを起してくるのです。そして自己の中でも生に執着し、死を覆い隠すのです。「生のみが我らにあらず、死もまた我らなり」なのですが、生の謳歌を求め、生死の問題をやはり分断して命の本来性を喪失して生きているわけです。そのメッセージが地獄には苦のみがあり、苦を厭う縁すらない状態に追い込まれてしまっているのが私の現状なのです。その証拠に「慚愧心」がありません。「有慚愧」をもって「人と為す」といわれますが、慚愧心があるのが人間なのでしょう。その慚愧心がないというところに人間性を喪失していると言わざるを得ないのです。教は鏡に譬えられますが、鏡は姿を写しだすものですね。鏡は鏡を写すものではありません。鏡は姿を写しだすことを以って性としています。教法に遇うということは、教を客観的に・対象的に考えるものではありません。それが本質ではないからです。教は私の心を写しですものです。私の心のすべてを暴きだすことを以って本質としているのですね。ですから教法に遇うことに於いて自己が明らかにならないと云う事は、「聴き方が間違っている」といわざるをえないのです。本願の第一番目は無三悪趣の願ですね。本願の大地には悪趣が無い世界を建立しようということですね、。法蔵菩薩の本願の大地に地獄・餓鬼・畜生の住むことが無い世界を建立したい、ということは、私の立っている大地はどのような大地に立っているのでしょうか。これが鏡になるわけでしょう。鏡をつかみにいっても、それは永遠の彼方です。百千満劫を費やしても私は私の背中を見る事はないわけです。しかし合わせ鏡で見る事はできますね。教法に遇うということは私が明らかになること、そのことによって法蔵菩薩が「うん」と頷かれるのではないでしょうか。本願が生きるわけです。本願と私が合わせ鏡になって「大楽」といわれる、「無空過の世界」に身を置くことが出来るのではないでしょうか。こんなことを思いながら『成唯識論』に学んでいます。地獄を語られる別徴から感じるままに綴ってみました。感想をお寄せいただけると有り難いです。

           - 結び -

 「斯に由って第八は定んで是れ捨根なり、第七・八識は、捨とのみ相応するが故に」 (『論』)

 (意訳) これにより、第八番目の根は、安慧の説のように(1)憂根とする。(2)苦根とする。(3)一形とする。ということではなく、必ず捨根であることがわかるのである。第七末那識と第八阿頼耶識は捨とのみ相応するからである。地獄にも第七識・第八識は必ず存在するので、これに相応する捨受も存在するはずである。