唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

五月度テキスト

2019-05-26 11:40:54 | 第二能変 八段十義
 唯識の学びも回を重ねてきました。かれこれもう七年になりますかね。聞成坊ご住職の尽力でまがりなりにもお話をさせていただいています。一番学ばせていただいているのは僕でしょうね。真宗の教学と重ねながらを憶念しながと思っていても、唯識の言語の難しさもあり、皆さん方には、よくついてきていただいていると感謝しております。今回で一応第二能変末那識の説明は終わらせていただきます。もし興味のおありの方は、29日午後三時より八尾別院で開講しております。会費は1000円です。 
 第八段第十門 起滅分位門、その(2) 分位行相門
 第七識の分位の行相を明らかにする。上来、『三十頌』の第十門に依って、末那識を伏し断ずる位を分別してきた。それはあくまでも未転依有漏の位に約して明らかにしている。
 この一段は、末那識の分位の差別(種類・区別のこと)を明らかにする。末那識には三つの側面がある。三つの面とは三つの段階があるということになります。(『述記』には傍らに、義に乗じて分位の行相を解す」(『述記』)
 「此の意の差別(しゃべつ)なること、略して三種有り。」(『論』第五) 
 (この末那識の種類には、略して三種ある。)
  「一には補特伽羅我見相応。二つには法我見相応。三には平等性智相応なり。」(『論』第五) 
 (分位行相の種類は、一は、補特伽羅我見と相応する末那識である。二は、法我見と相応する末那識である。三は、平等性智と相応する末那識である。)
  「初のは、一切の異生に相続すると、二乗の有学と、七地以前の一類の菩薩との有漏心の位とに通ず。」(『論』第五)
 (最初に説かれる「補特伽羅我見と相応する」末那識は、すべての異生に相続し、二乗の有学と、七地以前の一類の菩薩との有漏心の位とに通じて存在する。=執と相応する末那識の位)
 「彼は阿頼耶識を縁じて、補特伽羅我見を起こすなり。」(『論』第五) 
 (補特伽羅我見と相応する末那識は、阿頼耶識を縁じて、補特伽羅我見をおこす。=所縁の境)
 第二は、法我見と相応する位について
 「次のは一切の異生と声聞と独覚とに相続せると。一切の菩薩の法空智・果との現前せざる位とに通ず。」(『論』第五) 
 (次に説明される法我見と相応する末那識は、一切の異生と声聞と独覚とに相続するのと、一切の菩薩の法空智とその果との現前しない位とに通じて存在する。)
      我愛現行執蔵位
 異熟 { 善悪業果位
      相続執持位 
 (説明)
 阿頼耶識という場合には、第八識が我愛に執蔵される位、即ち我愛執蔵現行位と。 
 異熟という場合には、所知障無き位に至るまでの第八識を善悪業果位と。
 阿陀那識という場合には、第八識は無始よりこのかた、恒に相続して間断なく、一切諸法の種子や諸の色根等を執持つしているので、この位を相続執持位といわれる。仏果の第八識も、本有無漏種子を執持しているので、無始より乃し如来に至るまでの位をいう。
 
 第三に、平等性智が起こる位について。
 「後のは、一切の如来に相続せると、菩薩の見道と及び修道の中の法空智果の現在前する位とに通ず。」(『論』第五) 
 (後の平等性智と相応する末那識は、一切の如来に相続し、また菩薩の見道と修道の中の法空智とその果との現在前する位に通じて存在する。)
 「彼は無垢と異熟との識等を縁じて、平等性智を起こす。」(『論』第五) (平等性智と相応する末那識は、無垢の識と異熟との識等を縁じて、平等性智を起こすのである。)
 第三に、増上縁を例として、異熟生を説明する。
 「増上縁の如し。余の摂めざる者をば皆な此れに入れて摂む。」(『論』第五) 
 (前科段に述べられていた異熟生について、例えば四縁の中の増上縁のようなものである、という。つまり、他の摂めないものをすべてこれに入れて摂めるのである、と。)
 四縁(親因縁・所縁縁・等無間縁・増上縁)
 以上で第二能変の八段十義を論じ終わったのである。
 次に二教六理証によって末那識の存在論証を行う。

第二能変 八段十義について

2011-01-01 15:43:27 | 第二能変 八段十義

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L821017417611151154 除夜の鐘と共に一年がすぎ、

 弥陀成仏のこのかたは
  いまに十劫をへたまえり
  法身の光輪きわもなく
  世の盲冥をてらすなり

                       の音声とともに新年をむかえました。

(新年を迎える大阪・鶴見・真宗大谷派願生寺さんの山門)   

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくおねがい申しあげます。           2011年 元旦

             ―   ・   ―

       第二能変を釈す ・ 八段十義について

 「是の如く已に初の能変の相をば説く。第二の能変の其の相云何。」

           

              (第五頌~第七頌)

   頌曰     次第二能変  是識名末那

           依彼転縁彼  思量為性相  第五頌

           四煩悩常倶  謂我癡我見

           并我慢我愛  及余触等倶

           有覆無記摂  随所生所繋  第六頌

           阿羅漢滅定  出世道無有  第七頌

 

 「 頌に曰く、

    次は第二の能変なり。

    是識をば末那(まな)と名けたり。

    彼(第八識)に依て転じて彼(第八識)を縁ず。

    思量するをもって、性とも相とも為す。

    四の煩悩と常に倶なり。

    謂く我癡と我見と、

    並びに我慢と我愛となり。

    及び余と触等と倶なり。

    有覆無記(うぶくむき)に摂む。

    所生(しょしょう)に随って繋(けい)せらる。

    阿羅漢(あらかん)と滅定と、

    出世道とには有ること無し。

 初能変・五教十理証を結んで、第二能変が述べられます。 初能変の結文は

 「別に此の識有りという教と理顕然(けんぜん)たり、諸の有智の人、応に深く信ずべし。」

 (眼等の六識とは別にこの、第八識が存在するという教と理も明らかである。由って諸々の有智の人は心にしっかりと深く第八識が存在することを信受すべきであろう。)

 第八識の存在証明を受け、第二能変のその相はどうであろうか。 「其の相云何」で始まる。第二能変は『三十頌』では第五頌・第六頌・第七頌の三頌で、『成唯識論』では八段十義(十門)・二教六理証によって論じられている。

 初に相を十門に分け、その視点で第二能変が論じられるわけです。

 「述して曰く、下は問いに依って辨ず。此れは三の頌に依って其の第七識を十の門をもって分別するなり。初に第二能変を挙げて末那の名を出し、二に所依を釈し、三に所縁を解し、四に体を出し義を釈し、五に行相を釈し、六に染と倶ということを顕し、七に触等と相応すといえり、八に三性において分別し、九に界地において分別し、十に隠顕において分別す。即ち是れは伏断する位次なり。」(『述記』)

 『論』の長行釈の論述から「八段を以て十門を釈」されています。八段は、一に能変の体を出し名義を釈し、二に所依を明かし、三に所縁を解し、四に自性・行相門。五に染倶・触等門、六に三性門、七に界繋門、八に起滅分位門の八段を以て第七識を明らかにしている。次に第七識の存在証明として二教六理証が論じられます。二教六理証として、第七識の存在証明が必要なのか、という問いが出てきます。部派仏教から大乗仏教への大きな転換期に、部派仏教で詳細に解明されてきた六識の存在証明は必要とせず、その深層にある第八識(と第七識)の存在を証明する必要があったのですね。部派仏教ではその存在は認められていない為、論証し、部派の教説を論破する必要があったのです。その為、第三能変においては六識の存在証明は必要とされなかったのですね。

 十門が八段になる理由

 十門中の第四の自性門と第五の行相門が一つになって、第四段の自性・行相門に配当されている。自性門においては識の体、即ち自体分(自証分)を述べ、その働きである見分に関する論述であるので、一つにまとめられて、第四段の自性・行相門として述べられている。そして、第六門の染倶門と第七の相応門が一つにまとめられ、第五段・心所相応門として述べられる。第六門と第七門は識と相応する心所について論じられているので、一つにまとめ得られることから、第五段として述べられ、八段十門として分類されているわけです。

  •  第一段・出能変体釈其名義 ー 第二能変 是識名末那 ー (第五頌)1、標名門
  •  第二段・所依門 ー 依彼転 ー (第五頌)2、所依門
  •  第三段・所縁門 ー 縁彼 ー (第五頌)3、所縁門
  •  第四段・自性行相門 ー 思量為 { 性 - (第五頌)4、自性門               相 - (第五頌)5、行相門
  •  第五段・心所相応門 ー 四煩悩常倶 我癡我見 并我慢我愛 ー (第六頌)6、染倶門                及余触等倶 ー (第六頌)7、心所相応門
  •  第六段・三性分別門 ー 有覆無記摂 ー (第七頌)8、三性門
  •  第七段・界繋分別門 ー 随所生所繋 ー (第七頌)9、界繋分別門
  •  第八段・起滅分位門 ー 阿羅漢滅定 出世道無有 ー (第七頌)10、隠顕門(起滅分位門・隠顕分別門)

 以上が八段十門の科文になります。この科文に随って『論』を読んでいこうと思います。数々の間違いをおこしますが、ご指摘よろしくお願いいたします。

            2011年1月1日(土) 16時記す。