午前中は支部のみなさんとG地域で訪問活動、11時半から長野駅頭での募金活動。その場所から栄村へ出発。お昼は移動の車の中でコンビニのサンドイッチとおむすびをほおばりました。
和田県議、中野市議の青木さん、飯山市議の小林さん、渡辺さんら総勢9人で栄村にはいり、栄村議の鈴木さん、山本さんと合流しました。
長野駅前での募金活動
小1時間だけだったのに、次々と募金に応じてくださって8万8千円を寄せていただきました。みなさんの暖かい気持ちが嬉しかったです。若い方がお札を入れてくれたり、中学生がお小遣いを入れてくれたり。「栄村のお年寄りが心配です」との若い方の言葉には、励まされました。本当に優しい。募金はまた続けて行います。
同じく長野駅頭でバスケットのプロチームも募金活動をしていました。全国の被災者への支援と災害復興には、日本国中のみなさんが「何かしなくては」と支え合っていこうとがんばっているんですね。共産党も仲間入りでがんばります。
今日はみかん、バナナ、歯ブラシ、ほっかいろを持って、募金は取り得ず北部地区で集めた分を第1回目として島田村長さんに託してまいりました。
避難所の住民のみなさんを訪ねました。
「遠いところよくきてくれました」とみなさんに歓迎されました。話しているうちに涙ぐむ方もいました。私の方も、お世話になったみなさんとお会いできたり、宮城の母や弟の家族とも重なって、涙ぐんでしまいました。みなさん、被災生活で疲れが出ている様子でした。ドクターの前には住民が並んでおり「血圧は大丈夫だった」と安心した方もいました。
被災されたときの恐ろしかった状況を話してくれながら、思いを語ってくれました。タンスが倒れてきて危うく下敷きになるところだったと言う方もいました。「こんな年になってこんな目にあうなんて」
「うちに帰りたい。でも帰れるかどうかわからない。耐震審査で赤紙貼られたらどうしよう。家を壊さなくてはならない」
「家にはもう住めない。これからのことを考えると絶望的になるけど、全国の被害を考えると命があっただけ良かったと今は思っています」
「片付けを考えると気が遠くなる。手伝ってくれる人が欲しい。年寄りには何も出来ん」
「もう家を建て直す元気なんかない。お金もない。子どもに世話になるのも気遣ってしまう」
「昨日よりずっと(避難者が)減った。子どもたちが迎えにきて連れて行った。家の再建も難しいから、たぶん人口が減るかも・・・でも都会で住むことが出来るかなあ」
「子どもが心配して携帯が鳴りっぱなしだ。でも、こなくていいと言ってるんだ。こんなところへきてどうする。心配かけたくないしな。大丈夫だ」
「飯山線が壊れてしまって、高校生が学校に通えない。足が欲しい」
「顔を洗いたい。ここは気づかれしてなあ。でも我慢しなくては」
「命が助かったんだ。それだけでいい。だから共産党はどうしてもがんばって欲しい。国の政治も何とかして欲しい」と言われる方もいて、「がんばります。家の再建にも保障がちゃんとされるようにもがんばります。個人の力ではどうにもならない」と堅く手を握りあってきました。
元村長の高橋彦芳さんと。真ん中は和田県議。
高橋彦芳元村長さんも、みなさんと一緒に避難生活をしておられました。お元気そうで安心しましたが、きっと疲れていらっしゃると思います。
住民のみなさんは共通して、全国災害の被害と較べて「私たちは命があって良かった」と考え、それを心の支えにしているように思えました。「何もなくなったが命はある」と。亡くなられた方の無念さを思いながら、ここからが出発と、私も心を強くしました。
栄村は、まだ雪の中です。
福島原発の放射能が宮城県女川原発まで流れてきているとのことです。「女川原発の放射能漏れではない」との政府の説明ですが、これは安心なのか、不安なのか。福島原発の放射能だったら、それ自体がまた不安です。女川原発は石巻のすぐ近くです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます