中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

家は生き物、作り手との絆・我が家の場合

2017年02月12日 22時16分00秒 | 活動日誌

東北部新聞の編集で、結局一日かかってしまいました。

もっとも、午前中は孫をお守しながら、午後は孫をママたちに手渡して若干集中しましたが、お客さんが見えました。お客は建設業のSさんと埼玉からきた断熱材の会社の方。

                     

 

増築トイレの断熱材に端を発して、Sさんから、最近の安全な断熱材を紹介されました。石油から作ったグラスファイバーではなく新聞紙とホウ酸から作った・・・・とかいう(忘れた)優れものだそうです。

安全な上に効果が大きいとのこと。

日本ではまだ数パーセントの利用率だそうですが、アメリカなどは60%も普及しているそうです。

 

今日は埼玉から業者が見えて、その説明と家の調査をしていきました。その方たちが「この家は空気がいい」と、また縁の下も調査し「32年経った家とは思えない」とほめてくださいました。

 

この家を建ててくださった大工さんはもう亡くなり、息子さんがその後のメンテナンスを担当していますが、そのSさんも「この家は空気がいんです。それは化学物質を使っていないからだ。親父がこだわって作った家だから長持ちさせたい」と言います。

 

亡くなった大工さんはこだわりの職人さんで、「私は古いタイプの家しか作れないけれど、土壁が一番いい。何年たっても狂いの生じない家をつくります」と自負していました。

 

土壁は私の希望でもありました。ですから、家の中の壁も、壁紙は使わずしっくいをぬりました。

一回塗りなおしましたが、職人さんを探すのが大変だったようです。というのは、家を建てた時にやってくれた左官屋さんが亡くなり、同等の腕の左官屋さんがなかなかいないというのです。

 

ある友人の建築やさんが壁を見て「これほど見事に塗れる人はいないなあ」と言ったことがあります。それを聞かなければ、美しさの自覚ができませんでした。しっくいの白壁に囲まれていると、私は落ち着くのですよ。

 

床はブナとヒノキの無垢材を使いました。無垢材を使った時の「反り返り」を大変心配していましたが、32年経った今でも、少しも反り返りもなければ、戸の建付けの狂いもありません。

床板には何の色も付けませんでした。子どもたちには無垢材の感触をと、我が家ではスリッパはありません。32年経って、家族の足が磨いた床はいい色になりました。

 

ふすまの紙は沖縄の芭蕉布です。高かったけど、まず丈夫、年数がたつほど色合いが風格を出してきます。多分、生涯このままです。費用対効果で言えば安上がりかもしれません。障子紙もそうです。今は飯山の和紙を使っていますが、丈夫です。

 

そんなもんだから、家ができあがるまで1年以上かかりました。

 

32年間ずっと、この家はその大工さんから息子さんへと引き継がれ、同じ建築やさんに管理してもらっています。息子さんもこだわりの方で、研究熱心です。そして、責任をもって家を見守ってくれているのです。

 

今時のもっとかっこいい家もありかなあと思います。我が家はちょっとダサいところはあるけれど、でも、私はこの家が好き。

 

大手の建設会社にも、利用者のとって、希望に沿う設計やメンテナンス、そしてメリットもある事でしょう。でも、日本の職人さんの技を廃れさせたくないですね。宝です。

家も、作り手との絆が作っている生き物なんだなあ、とは私が実感していることなのです。

 

 

 

 

 

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