蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

たいがいにせえ

2008年09月20日 | 本の感想
たいがいにせえ(岩井三四二 光文社)

「難儀でござる」に続く、歴史上あまり有名でない(あるいは存在自体が疑われる)人物を主人公にした短編集。特に面白かったのは次の三篇。

「信長の逃げ道」は、朝倉攻めから京都への退却路に当たってしまった琵琶湖畔・朽木谷の小領主の物語。臆病で人見知りの激しい領主が、信長にうまく応接できた理由が面白かった。

「あまのかけ橋ふみならし」は、荒木村重が逃げ出した後の、籠城中の有岡城に残された妻の物語。村重は最初から有岡城に帰ってくる気はなく、自分たちはあっさりと見捨てられたことが、終盤のあるエピソードで明らかになる。村重は、その後もある意味のうのうと生き延びて、畳の上で死んだ。ホントにひどい奴だったとしか思えないが、戦国乱世にあっては当たり前の生き方だったのかもしれない。

「迷惑太閤記」は、加賀・前田家の老家臣の物語。戦場経験豊富な彼の趣味は、昔のいくさの自慢話。なぜか最近、ウケが悪くなった。その原因は当時流布しはじめた「太閤記」のある記述にあった・・・。その真相もさることながら(この真相はまさに「たいがいにせい」と言いたくなるようなもの)、老家臣とその娘に求婚に来た青年との剣術の対決場面も静かな迫力があってよかった。
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見えないアメリカ

2008年09月12日 | 本の感想
見えないアメリカ(渡辺将人 講談社現代新書)

サブタイトルは「保守とリベラルのあいだ」。
そのサブタイトル通り、アメリカにおける保守とは何で、リベラルとは何かを著者の考えで解説した本。

例えば、保守は不介入主義で海外への派兵に消極的であり、リベラルは人道介入による派兵に積極的だという。私のように知識がない者には、「それって逆じゃないの?」と思えてしまう。保守の極北みたいに(私が)思っていたネオコンは介入主義派であり、彼らの第一世代はトロッキスト左派からの転向が多かった、などと言われるとますます混乱してしまう。

また、民主党はエリート層が支持し、共和党はその逆といわれると、「まあそうかな」と思う反面、「でも民主党の主要組織って労組じゃなかったっけ?」みたいな疑問もわく。
一方、リベラルはスターバックス好き、保守はクアーズビールが好き、というのは素直にうなずける。

本書の主要テーマは「19世紀末頃には、都市部、西海岸が共和党の主要支持地域であり、民主党のそれは田舎と南部だったのに、なぜ現代においては全く逆転してしまったのか」である。

その原因は二つあり、一つは20世紀初頭の南欧系、東欧系のカトリック教徒である移民の急増であるとする。
二つめは、南部での人種差別の解消に伴い、不満を持った白人層が共和党支持者に変わってしまったことだとする。

一つめの原因はまあ、納得できたけれど、二番目の方はプロセスの解説は長かったけれど説得力を感じられなかった。

いつの時代もアメリカは対立軸が明確で、人々は常に「白か黒か」を求めてきたようだ。
我が国は、そういう割り切りとか思い切りに欠けているとは思うが、それが良かったのか悪かったのか、と言われると「いい時もあったし悪い時もあった。最近は悪かったという人が多いようだが」くらいの答えになってしまう。(ああ、なんて灰色の答え!)
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帝国のシルクロード

2008年09月09日 | 本の感想
帝国のシルクロード(山内昌之 朝日新書)

「帝国」という日本語訳の不適切さを指摘したところが興味深い。(以下引用)
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「もし「ライヒ」に託された意味を尊重するなら、国民国家を想像させがちな「国」でないほうがよかったかもしれない。天下や広がりのある地域を包み込んだ宇宙的な政治統合体の意味で「帝域」や「帝圏」の訳も考えられたはずだ」

「だいたい、多民族国家は歴史的には帝国として現れることが多かったのだ。帝国という名はともすれば暗く歪んだイメージを与えがちで専制や抑圧や強制をすぐに想像させがちだが、これは当て推量や思い込みというものだ。むしろ帝国には、多くの宗教と民族の平和共存を可能にしてきたメカニズムもあったことを忘れてはならない。最盛期のオスマン帝国では、軍人としてトルコ人、宗教者にはアラブ人、行政官として出世したバルカンやカフカースの出身者といった得意分野の分担に加えて、金融業や通商貿易ではギリシア人、アルメニア人、ユダヤ人にも活躍する場所が与えられていた」

「結局、地域や民族を超える国家や、通常の国家を上回る規模なら、すべて「帝国」と呼べる曖昧さがこの言葉につきまとっている。君主制をとらず共和制を採用したアメリカを今でも「帝国」と呼ぶ学者が多いのは、この融通無碍な性格をよく物語っている」
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「帝国主義」とか「第三帝国」なんて言葉がすぐに思い浮かぶせいか、私が「帝国」に対して持っていたイメージはまさに「専制や抑圧や強制」だった。
「帝国」という訳語が正しくなくて、むしろ肯定的な語感もある言葉なのかもしれない。

もう一つ印象深いのが、美男美女ぞろいのチェルケス人のエピソード。(「チェルケス人の美女と泥棒」の項、その他の項にも時々登場する)

この本のタイトルや目次(例えば「ヨハネス二世と帝国病院」「英雄サラディン、二つの欠陥」「バクダードの「かぞえびと」」)はとても魅力的で、それに引かれて読んでみたが、雑誌などに寄稿した短い文章をまとめたものであるせいか、一項目ごとの分量が少なすぎて、今ひとつ食い足りない感じだった。
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寺田寅彦随筆集

2008年09月07日 | 本の感想
寺田寅彦随筆集 第一集(寺田寅彦 岩波文庫)

戦前書かれた文章を見ると、今ではよく意味がわからない外来語がよく使われているのに気が付く。当時はあたりまえのように使われていたのだろうが、今となっては全く見られないようなものだ。本書からいくつか引くと、「コンジェニカル」とか「ダップレナチュール」とか。
そこいくと、日本語は、今では全く使われない語句でも、なんとなく意味がわかるのがおかしい。母国語だからあたりまえなのだろうが。

花や動物をじっくり観察した描写が、ほのかな面白味があって楽しめる。これまた当たり前だが、こうしたものは今でも昔でもその姿や生態に全く変化がないのもおかしい。
逆に、インド洋からスエズ運河経由で中東、ヨーロッパに行った旅日記は、今では失われた風俗として興味をひかれた。
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生きるための経済学

2008年09月02日 | 本の感想
生きるための経済学(安冨歩 NHKブックス)

選択の自由(=選択肢が多いこと)が、むしろ社会の閉塞状況を作りだしている。この状況を打破するには身体から生まれる創発を信じる必要がある。創発とは生命のもつダイナミズムのことで、これを信じないで意識の中の合理的計算に頼ろうとすると、外部からの価値観の押し付けにあい、人は不安に陥り、それを補おうとして限りなき虚栄、欲望にかられることなる。

と、いうのが本書の主張だと思う。一言でいうと「考えるんじゃない、感じるんだ!」(「燃えよドラゴン」の中のブルース・リーのセリフ。本書で引用されている)ということらしい。

ちょっと宗教がかっているが、この主張は少し前に読んだ「バカの壁」の、頭でっかちにならずに身体で受け止めろよ、というテーマとほぼいっしょのような気がする。

こうした主題とは(あまり)関係ないが、次の点が面白かった。
・築地市場や為替相場の例をひいて「シジョウ」と「イチバ」の違いを論じたところ。
・著者の研究へののめりこみぶりがアルコール依存症の症状とそっくりだったというところ。
・著者の結婚生活に対するぼやき。
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