蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

国家の罠

2005年06月09日 | 本の感想
「インタビューを終えてから、渋谷図書館に本を返しに行く荒木浩に同行する。返却が遅れたことを理由に逮捕された信者が実際にいるとのこと。これが法治国家日本の現実だ。戦後半世紀の繁栄を経て辿り着いた民主国家日本の実相だ。しかし今の社会にこの自覚は微塵もない。子供が虫や小動物を無邪気に殺せるように、自覚を失った社会はとめどなく加虐的になる」(「A」森達也)

佐藤優さんの書いた「国家の罠」(新潮社)を読み終わりました。
内容を絶賛している書評が多く、特に米原万理さんが褒めちぎっていたので、手にとりました。
鈴木宗男さん絡みで背任などの罪に問われている(公判中)著者の回想記です。

著者は外務省の役人で、主にソ連・ロシアを担当していたそうですが、非常に優秀だったそうで、本書の前半はその自慢話が中心です。
この自慢話は相当におもしろくて、この部分をもっと膨らませればよかったと思います。
編集した人もそう思ったのでしょうか、時間軸ではかなり後のエピソードである鈴木さんと田中真紀子さんの対立を、無理矢理前半部分に持ってきている印象がありました。(このため各章で時間が前後するため、少々読みにくかったです)

逮捕後の検事とのやりとりを中心とした後半は、ちょっともたつき気味で、検事との会話も私には不自然な感じがしました。
タイトル通り、国家権力にはめられた!というのがこの本の主題なのでしょう。しかし、自分をはめたのは現在の国家権力であって、普遍的な国益とか正しい歴史認識を残すために昔も今も自分はがんばっているというのが、著者のいいたいことのようです。

冒頭の引用はオウム教団を描いたノンフィクションの一節で、当時は本当にささいなことでオウム教団の信者は逮捕・拘束されていました。
国家権力がその気になれば、私たちはいつでも簡単に投獄されてしまうことが、まざまざと明らかになったのですが、当時は世間もそれをある程度しかたないこと、と考えていたように思います。
多分、そうした権力を牽制できるのはジャーナリズムだと思うのですが、むしろ、しばしば権力が目指す方向へ世論を誘導していることが多いようにも思います。
例えば、民営とはいえ、国交省に認められなければ運賃すら決められないほどにガチガチに監督されている鉄道会社が大事故を起こした時、国民の生命・財産を守る義務がある監督官庁を責めるのではなく、業務時間外に宴会をしていた鉄道会社の社員を攻撃する新聞・テレビのように。
コメント
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