蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

生きて帰ってきた男

2015年12月06日 | 本の感想
生きて帰ってきた男(岩波新書 小熊英二)

著者の父親(以下、主人公)からの聞き語りによる、戦中から現在に至るまでの人生記録。

主人公は、主として祖父母に育てられ旧制中学を出て通信機会社へ就職する。
終戦間際に徴兵され満州へ派遣され、ソ連軍の捕虜となってシベリアのチタで3年にわたり収容される。
日本に帰国して、結核にかかり5年近く入院する。退院後は様々な職を転々とした後、学校なでにスポーツ用品を販売する卸売のような商売を始めて成功する。

主人公のきょうだいは結核などで次々に死亡する。やっと育て上げたと思った著者を徴兵された(育ての親である)祖父母が嘆くシーンが印象的だった。
以下引用(P59)
***
近所の人たちは空襲におびえ、すでに日常の風景になった一青年の入営などに、かまう者はいなかった。勇ましい雰囲気などかけらもない。入営を示すタスキもない。カーキ色の国民服を着た謙二は、「立派に奉公してまいります」といった型通りの挨拶のあと、祖父母に「行ってくるね」と告げた。
そのとき祖父の伊七は、大声で泣きくずれた。ともに暮らした三人の孫がつぎつぎと病死し、最後に残った謙二が軍隊に徴兵される。おそらく生還は期しがたい。孫たちの死にも、商店の廃業にも、自身の脳梗塞にも、いちども愚痴をこぼさず、ただ耐え続けていた伊七が、このとき初めて大声で泣いた。
入営の見送りにあたって家族が泣くなど、当時はありえない光景だった。祖母の小千代は、「謙、行け!」と言い、伊七を自宅の中に押し込んだ。
***
(ここだけでなく終始一貫して)淡々とした客観的な描写に徹した文章なのに、なんとも豊かな情感が湧き出ていることに感心した箇所でもあった。

主人公の子供時代からまだ百年は経過していなくて、歴史的視点から見ると、まだついこのあいだ、というところだと思うが、子供たち(それもある程度成長した子供)があっけなく結核などで死んでいくのがあたりまえだった時代が、すぐにそこにあったということが経験のない者としてはなかなか信じられない。

主人公は結核の療養所を出た後、さまざまな地域で転職を繰り返す。
多くの場合、自宅を持たず親戚などのツテをたどって居候させてもらうのだが、居候させる親戚の方も極めて狭い住宅に住んでいるのに、あっさりと主人公を同居させることに同意している(ように思えた)。
こうした家族や血族の結びつきの強さは、そのように協力しあわないと生き延びていけなかった厳しい社会環境のせいでもあるのだろうか。私自身の記憶でも、幼い頃は親戚同士の交流がずっと盛んだったような気がするし、そもそも最近は少子化でおじさんやおばさん、おい、めい、がいない人も多いのだろう。

もう一つ印象に残ったのは、ソ連軍は案外民主的だった?という点。シベリアの収容所に来ても厳しい階級制を維持していた(旧)日本軍では、食糧などを優先して上級者に配給したりして、軍隊経歴の短い人の死亡率が目立って高かったそうだ。しかし、ソ連軍は(時と場合にもよるらしいが)、軍隊内での階級格差はあまりなく、収容所運営も概ね中央の指示通りに行われていたようだという。
日本人による直訴?も場合によっては取り上げられ調査と処分が行われたというし、他国の収容所に比べればシベリアの収容所での捕虜の死亡率は低いという。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 下町ロケット | トップ | 紙の月 »

コメントを投稿

本の感想」カテゴリの最新記事