蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

異国戦記

2016年02月20日 | 本の感想
異国戦記(岩井三四二 講談社)

日本側、元・高麗側の両方の人物が交互に登場して文永の役、弘安の役の戦いを描く。自分の活躍を絵巻物(絵詞)に残した肥後の御家人:竹崎季長が主人公。

元寇においては、戦術的には日本がやられ放題だった、というイメージを持っていたのですが、本書を読む限り、苦戦したのは文永の役の緒戦くらいで、日本側は一騎打ちなどの戦法が無意味であることをすぐに理解し、陸戦でも水戦でも押し気味だったようです。
(船での輸送のため)騎兵を持てず、高麗・旧宋の兵が中心だった元側は士気が低く、決戦のタイミングを逸し続けたように見えました。
というか、そもそも、防護壁など準備万端整えた戦力的にも十分な相手に対して敵前上陸というのはなかなか難しいですよね。

泰平の世を謳歌してきた後の江戸末期と違って、鎌倉幕府が存在してもしょっちゅう内戦が絶えなかったせいか鎌倉時代の武士は、たくましく、かつ、褒賞を目指すモチベーションは非常に高かったようで、季長はとにかく大将首を求めて一刻も早く最前線にたどりつこうとするのですが、様々な事情からなかなか叶わず、戦闘する前に悪戦苦闘する姿が多少滑稽でした。

季長といえば、元寇時も(文永の役の後の訴訟?に勝ったことも含め)かなり運が良かった人のようですが、自分の活躍を描かせた絵詞が何百年もされ続け、しかも発見されたというのは、とてつもない運の強さですね。
元寇期の日本人としては(一介の御家人にすぎないのに)執権:時宗に次いで有名な人といってもよいと思われます。「名をのこす」という当時誰もが望んだ名誉を独占している状態でしょうから、泉下の季長も(敵の船上で大将首をとった時以上に)喜んでいることでしょう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 戦後経済史 | トップ | さようなら、オレンジ »

コメントを投稿

本の感想」カテゴリの最新記事