蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

絶対悲観主義

2022年10月10日 | 本の感想
絶対悲観主義(楠木建 講談社α新書)

経営学者である著者のエッセイ。自叙伝風かつ自慢話風の内容だが、むやみに面白かった。
絶対悲観主義(上手く行かないだろうな、という予想のもとにことに当たる)の例として挙げられた、カープの前田智徳の例が面白い。前田は天才と言われるほどの打者だったが、第一打席は常に四球狙いだった、という。いわく、
***「ピッチャーの体力がいちばんあるときに打とうなんて考えは甘い。第一打席はフォアボール狙いに決まっている」***

著者は中学生時代からずっと日記をつけているが、15歳のころの日記を読むと・・・
***「今とまるで同じじゃないの・・・」と、驚きを持ってつぶやくと、15歳の自分が「お前、初老になってもほんとに変わってねえな」と投げ返してくる。***
そして、過去の幸せな出来事を振り返ることこそが幸福である、とする。

***他人との比較 より厳密に言えば嫉妬 これこそが幸福の的であり、人間にとっての最大級の不幸のひとつだと僕は思っています***
***自分について根拠のない有能感を持っているほど、無意味な他者との比較に陥りがちです。「俺はデキルのに・・・」という思い込みがあるから、他人と自分を比べて嫉妬にかられる。その点、始めから自分の能力に確信を持たない絶対悲観主義者は、嫉妬とは無縁です。***

組織力よりチーム力が大事、といい、例としてナポレオンの縦隊編成を挙げる。
***世界で初めて小規模縦隊戦を展開したのはナポレオンです。(中略)指揮をするのが難しい横隊に代わって、小規模な縦隊戦が初めて可能になりました。戦争における「チーム」の誕生です。ナポレオンの縦隊戦は圧倒的に強かった。疾風怒濤の進撃で、連戦連勝でした。横に広がって待ち受けていた敵の王様の軍隊は、機動的な縦隊にずたずたに切り裂かれました。戦闘力の規定因が組織力からチーム力へと移っていったわけです。***

ある種の人にはオーラがあるそうだ。大銀行の有名な頭取と対談した際
***元大バンカーは続けました。「偉くなるということがどういうことか、君に教えてあげよう。それは、自分の体から光が出ているような気分になることがだ」 毎朝、本店の車寄せで黒塗りの社用車から出てくると、「あ、頭取だ」とみんなが挨拶する。受付を通れば「あ、頭取だ」と空気が変わる。(中略)本当に自分から光が出ているわけではないけれども、そういう立場に慣れ親しんでいるうちに、確かに自分から光が出ているような気になってしまう。***

オーラに似たもので「まなざしの深さ」を感じた人もいたそうだ。
***カンボジアではポル・ポト政権による大量虐殺がありました。スレイの一族郎党も殺されています。妹と二人で田んぼの中を隠れて逃げて生き延びた。映画「キリング・フィールド」そのままの世界を経験した人です。(中略)彼は当時カンボジアの財務省の官僚で、政府から派遣された留学生でした。とても穏やかな人でしたが、その目には僕がこれあmでに見たことのないなにかがありました。後で生い立ちの話を聞いて、第一印象で強烈に残った彼のまなざいは、極限の経験をした人だけが持つ凄みだったことを知りました。(中略)その時、僕は、彼が国を背負って日本に来ているということに気付かされました。いろいろなものを失って、なおかつ祖国に貢献しようと覚悟を決めた人間の目、そのまなざしの深さ。***

「なりふり構わず目標直撃」といった獣性を嫌い、「品」が大切という。
***品の良さの最上の定義だと僕が思うのは「欲望に対する速度が遅い」です。もともとは立川談志さんが行ったことだそうです。この定義は欲望の存在を否定していません。品が良いということは、お釈迦様のように世俗的な欲望から解脱してしまうことではない。普通に欲はある。ただそれをなりふり構わず取りに行かない。欲望が「ない」のではなく、あくまで欲望に対する速度が「遅い」ということです。期待がすぐに実現するとは思っていない。自然な流れの中でうまくいくことも、いかないこともあるわけで、それをじたばたせずに待っている。慌てず騒がすなりふりを大切にする。これが上品な人だと思います。***
談志さん自身はオカネに対する欲望速度は相当なものだった、という噂を聞いたことがあるが・・・

失敗した時に回復するためのカギは脱力であるとする。
***チャップリンの名言に「人生はクローズアップでは悲劇だが、ロングショットでは喜劇だ」というのがあります。ちょっと引いて自分と自分の状況を俯瞰してみる。この視点転換ことが脱力力の肝だと思います。(中略)「これはツライなあ」というとき、「でも、今まさに空爆を受けている人がいる」とか、「飢餓に苦しんでいる人がいる」と考えると、自分の状況がひどくラクなものに思えます。あるいは時間を飛ばして「これが戦国時代だったらどうなっただろう」と考える。切腹するまでには至っていないわけで、大体のことは平気になる。新渡戸の言う「気分の問題」にだんだん近づいていきます。***

最後から2番目の章「発表」がよかった。著者は発表が大好きで、オーディエンスがいる時はもちろん、聞いたり読んだりしてくれる人がいないセルフ発表もイイという。

最後の章「初老の老後」は週刊現代のマーケティング戦略を語る?内容で、私には爆笑モノだった。

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漁港の肉子ちゃん(アニメ映画)

2022年10月10日 | 映画の感想
漁港の肉子ちゃん(アニメ映画)

喜久子は、シングルマザーの菊子とひなびた漁港に係留された船(改造して住宅風の内装になっている)で暮らしている。菊子はほうぼうで男に騙されたあげく、この漁港に流れ着いて今は焼肉屋で働いている・・・という話。

原作の小説を読んだときは、たいそう感動した。今振り返っても私の読書人生?でも指折りのお気に入りだ。
なので、大変に期待して見た。うーん、原作と筋立てはほぼ同じなのだが、物語の持つ雰囲気がことなるかなあ、という感じだった。

原作の喜久子は、超能力者?で難しい文学作品を読みこなしている、という浮世離れした小学生、という設定で、この設定が本筋のド演歌&浪花節的展開とうまく絡み合って独特の味わいがあった。

映画では、喜久子がただのスレンダー美人の小学生で、シングルマザーのちょっとイイ話程度に落ち着いてしまっていたように思えた。
肉子だけをデフォルメして描いたのも、あまり効果的とは思えなかった。

美術(背景画)は繊細で素晴らしかった。
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人、イヌと暮らす

2022年10月10日 | 本の感想
人、イヌと暮らす(長谷川眞理子 世界思想社)

生物学者の著者が、知り合いから譲り受けたスタンダードプードル3匹との生活を描いたエッセイ。学者らしい考察もあるが、大半は親バカ風の気楽な内容。

スタンダードプードルは、足が長くて実際よりも大きく感じるが、本書に掲載された(表紙写真がもっともわかりやすい)写真を見ると、やはり本当に大きな犬なんだなあ、とあらためて思った。

体重10キロにも満たない私の飼い犬でも、具合が悪くなったりすると面倒見るのにけっこう往生する。ちょっとした子供よりもデカい犬3頭を部屋飼いというのはとても大変そう。
著者の場合、夫が著者以上に犬好きのようで、それがうまくいっている秘訣のような気がする。夫君も学者で、東大の学部長をやっている時には学部長室に毎日キクマル(最初に飼ったスタンダードプードル)を連れて行っていたくらいの犬好き。

なぜ、犬は可愛いのか?という考察が面白かった。
犬は社会的な動物で人の指示に従うことができる(祖先のオオカミはそういことはないので、家畜化される過程で得た能力と思われる)、
犬と人が見つめ合うことでオキシトシンという親密さにかかわるホルモンが分泌される、
犬と触れ合ううちに自分の子供に感じるような母性行動が誘発される、
などの説が挙げられている。
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小生物語

2022年10月10日 | 本の感想
小生物語(乙一 幻冬舎文庫)

2002年~2003年?頃に著者のホームページに掲載された日記を収録したもの。日記といっても所々に作り話というか嘘を交えて幻想的な雰囲気も感じさせる内容。
私は、岸本佐知子さんのエッセイが大好きで、数少ない作品を再読、再再読くらいしているくらい。その岸本さんが、本作を日記作品で最もお気に入りで何度も読み返していると、あるところに書いているのを見て読んでみた。

確かに岸本さんが好きそうな内容だった。
日常のふとした瞬間に、別世界の扉が開いて、アリスのようにそのもう一つの不思議な世界に迷い込んでしまった、みたいなムードだろうか。

また、今世紀はじめ頃の生活様式なので、ちょっとした懐かしさもある。昔と今、いろいろ異なることはあるけれど、一番の違いはスマホの存在だろうな、と思った。
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