絶対悲観主義(楠木建 講談社α新書)
経営学者である著者のエッセイ。自叙伝風かつ自慢話風の内容だが、むやみに面白かった。
絶対悲観主義(上手く行かないだろうな、という予想のもとにことに当たる)の例として挙げられた、カープの前田智徳の例が面白い。前田は天才と言われるほどの打者だったが、第一打席は常に四球狙いだった、という。いわく、
***「ピッチャーの体力がいちばんあるときに打とうなんて考えは甘い。第一打席はフォアボール狙いに決まっている」***
著者は中学生時代からずっと日記をつけているが、15歳のころの日記を読むと・・・
***「今とまるで同じじゃないの・・・」と、驚きを持ってつぶやくと、15歳の自分が「お前、初老になってもほんとに変わってねえな」と投げ返してくる。***
そして、過去の幸せな出来事を振り返ることこそが幸福である、とする。
***他人との比較 より厳密に言えば嫉妬 これこそが幸福の的であり、人間にとっての最大級の不幸のひとつだと僕は思っています***
***自分について根拠のない有能感を持っているほど、無意味な他者との比較に陥りがちです。「俺はデキルのに・・・」という思い込みがあるから、他人と自分を比べて嫉妬にかられる。その点、始めから自分の能力に確信を持たない絶対悲観主義者は、嫉妬とは無縁です。***
組織力よりチーム力が大事、といい、例としてナポレオンの縦隊編成を挙げる。
***世界で初めて小規模縦隊戦を展開したのはナポレオンです。(中略)指揮をするのが難しい横隊に代わって、小規模な縦隊戦が初めて可能になりました。戦争における「チーム」の誕生です。ナポレオンの縦隊戦は圧倒的に強かった。疾風怒濤の進撃で、連戦連勝でした。横に広がって待ち受けていた敵の王様の軍隊は、機動的な縦隊にずたずたに切り裂かれました。戦闘力の規定因が組織力からチーム力へと移っていったわけです。***
ある種の人にはオーラがあるそうだ。大銀行の有名な頭取と対談した際
***元大バンカーは続けました。「偉くなるということがどういうことか、君に教えてあげよう。それは、自分の体から光が出ているような気分になることがだ」 毎朝、本店の車寄せで黒塗りの社用車から出てくると、「あ、頭取だ」とみんなが挨拶する。受付を通れば「あ、頭取だ」と空気が変わる。(中略)本当に自分から光が出ているわけではないけれども、そういう立場に慣れ親しんでいるうちに、確かに自分から光が出ているような気になってしまう。***
オーラに似たもので「まなざしの深さ」を感じた人もいたそうだ。
***カンボジアではポル・ポト政権による大量虐殺がありました。スレイの一族郎党も殺されています。妹と二人で田んぼの中を隠れて逃げて生き延びた。映画「キリング・フィールド」そのままの世界を経験した人です。(中略)彼は当時カンボジアの財務省の官僚で、政府から派遣された留学生でした。とても穏やかな人でしたが、その目には僕がこれあmでに見たことのないなにかがありました。後で生い立ちの話を聞いて、第一印象で強烈に残った彼のまなざいは、極限の経験をした人だけが持つ凄みだったことを知りました。(中略)その時、僕は、彼が国を背負って日本に来ているということに気付かされました。いろいろなものを失って、なおかつ祖国に貢献しようと覚悟を決めた人間の目、そのまなざしの深さ。***
「なりふり構わず目標直撃」といった獣性を嫌い、「品」が大切という。
***品の良さの最上の定義だと僕が思うのは「欲望に対する速度が遅い」です。もともとは立川談志さんが行ったことだそうです。この定義は欲望の存在を否定していません。品が良いということは、お釈迦様のように世俗的な欲望から解脱してしまうことではない。普通に欲はある。ただそれをなりふり構わず取りに行かない。欲望が「ない」のではなく、あくまで欲望に対する速度が「遅い」ということです。期待がすぐに実現するとは思っていない。自然な流れの中でうまくいくことも、いかないこともあるわけで、それをじたばたせずに待っている。慌てず騒がすなりふりを大切にする。これが上品な人だと思います。***
談志さん自身はオカネに対する欲望速度は相当なものだった、という噂を聞いたことがあるが・・・
失敗した時に回復するためのカギは脱力であるとする。
***チャップリンの名言に「人生はクローズアップでは悲劇だが、ロングショットでは喜劇だ」というのがあります。ちょっと引いて自分と自分の状況を俯瞰してみる。この視点転換ことが脱力力の肝だと思います。(中略)「これはツライなあ」というとき、「でも、今まさに空爆を受けている人がいる」とか、「飢餓に苦しんでいる人がいる」と考えると、自分の状況がひどくラクなものに思えます。あるいは時間を飛ばして「これが戦国時代だったらどうなっただろう」と考える。切腹するまでには至っていないわけで、大体のことは平気になる。新渡戸の言う「気分の問題」にだんだん近づいていきます。***
最後から2番目の章「発表」がよかった。著者は発表が大好きで、オーディエンスがいる時はもちろん、聞いたり読んだりしてくれる人がいないセルフ発表もイイという。
最後の章「初老の老後」は週刊現代のマーケティング戦略を語る?内容で、私には爆笑モノだった。
経営学者である著者のエッセイ。自叙伝風かつ自慢話風の内容だが、むやみに面白かった。
絶対悲観主義(上手く行かないだろうな、という予想のもとにことに当たる)の例として挙げられた、カープの前田智徳の例が面白い。前田は天才と言われるほどの打者だったが、第一打席は常に四球狙いだった、という。いわく、
***「ピッチャーの体力がいちばんあるときに打とうなんて考えは甘い。第一打席はフォアボール狙いに決まっている」***
著者は中学生時代からずっと日記をつけているが、15歳のころの日記を読むと・・・
***「今とまるで同じじゃないの・・・」と、驚きを持ってつぶやくと、15歳の自分が「お前、初老になってもほんとに変わってねえな」と投げ返してくる。***
そして、過去の幸せな出来事を振り返ることこそが幸福である、とする。
***他人との比較 より厳密に言えば嫉妬 これこそが幸福の的であり、人間にとっての最大級の不幸のひとつだと僕は思っています***
***自分について根拠のない有能感を持っているほど、無意味な他者との比較に陥りがちです。「俺はデキルのに・・・」という思い込みがあるから、他人と自分を比べて嫉妬にかられる。その点、始めから自分の能力に確信を持たない絶対悲観主義者は、嫉妬とは無縁です。***
組織力よりチーム力が大事、といい、例としてナポレオンの縦隊編成を挙げる。
***世界で初めて小規模縦隊戦を展開したのはナポレオンです。(中略)指揮をするのが難しい横隊に代わって、小規模な縦隊戦が初めて可能になりました。戦争における「チーム」の誕生です。ナポレオンの縦隊戦は圧倒的に強かった。疾風怒濤の進撃で、連戦連勝でした。横に広がって待ち受けていた敵の王様の軍隊は、機動的な縦隊にずたずたに切り裂かれました。戦闘力の規定因が組織力からチーム力へと移っていったわけです。***
ある種の人にはオーラがあるそうだ。大銀行の有名な頭取と対談した際
***元大バンカーは続けました。「偉くなるということがどういうことか、君に教えてあげよう。それは、自分の体から光が出ているような気分になることがだ」 毎朝、本店の車寄せで黒塗りの社用車から出てくると、「あ、頭取だ」とみんなが挨拶する。受付を通れば「あ、頭取だ」と空気が変わる。(中略)本当に自分から光が出ているわけではないけれども、そういう立場に慣れ親しんでいるうちに、確かに自分から光が出ているような気になってしまう。***
オーラに似たもので「まなざしの深さ」を感じた人もいたそうだ。
***カンボジアではポル・ポト政権による大量虐殺がありました。スレイの一族郎党も殺されています。妹と二人で田んぼの中を隠れて逃げて生き延びた。映画「キリング・フィールド」そのままの世界を経験した人です。(中略)彼は当時カンボジアの財務省の官僚で、政府から派遣された留学生でした。とても穏やかな人でしたが、その目には僕がこれあmでに見たことのないなにかがありました。後で生い立ちの話を聞いて、第一印象で強烈に残った彼のまなざいは、極限の経験をした人だけが持つ凄みだったことを知りました。(中略)その時、僕は、彼が国を背負って日本に来ているということに気付かされました。いろいろなものを失って、なおかつ祖国に貢献しようと覚悟を決めた人間の目、そのまなざしの深さ。***
「なりふり構わず目標直撃」といった獣性を嫌い、「品」が大切という。
***品の良さの最上の定義だと僕が思うのは「欲望に対する速度が遅い」です。もともとは立川談志さんが行ったことだそうです。この定義は欲望の存在を否定していません。品が良いということは、お釈迦様のように世俗的な欲望から解脱してしまうことではない。普通に欲はある。ただそれをなりふり構わず取りに行かない。欲望が「ない」のではなく、あくまで欲望に対する速度が「遅い」ということです。期待がすぐに実現するとは思っていない。自然な流れの中でうまくいくことも、いかないこともあるわけで、それをじたばたせずに待っている。慌てず騒がすなりふりを大切にする。これが上品な人だと思います。***
談志さん自身はオカネに対する欲望速度は相当なものだった、という噂を聞いたことがあるが・・・
失敗した時に回復するためのカギは脱力であるとする。
***チャップリンの名言に「人生はクローズアップでは悲劇だが、ロングショットでは喜劇だ」というのがあります。ちょっと引いて自分と自分の状況を俯瞰してみる。この視点転換ことが脱力力の肝だと思います。(中略)「これはツライなあ」というとき、「でも、今まさに空爆を受けている人がいる」とか、「飢餓に苦しんでいる人がいる」と考えると、自分の状況がひどくラクなものに思えます。あるいは時間を飛ばして「これが戦国時代だったらどうなっただろう」と考える。切腹するまでには至っていないわけで、大体のことは平気になる。新渡戸の言う「気分の問題」にだんだん近づいていきます。***
最後から2番目の章「発表」がよかった。著者は発表が大好きで、オーディエンスがいる時はもちろん、聞いたり読んだりしてくれる人がいないセルフ発表もイイという。
最後の章「初老の老後」は週刊現代のマーケティング戦略を語る?内容で、私には爆笑モノだった。