蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

吸血鬼

2017年05月02日 | 本の感想
吸血鬼(佐藤亜紀 講談社)

19世紀半ばのポーランド・ガリチア地方の田舎村に派遣されたオーストリアの代官・ゲスラーは、その村の元領主?クワルスキの詩作の才能に感動する。
村人の不審死が相次ぎ、住民は吸血鬼の仕業ではないか?と怯え始める。ゲスラーはその対策を思案するとともに、オーストリアへの反乱の気配にも気づく・・・という話。

わざとそうしていると思うのだけれど、時代や舞台背景の説明が全くないし、登場人物のキャラクタや見た目の描写もほとんどないので、はなはだ読みづらい。
しかし、そこが著者の作品の特長でもあって、我慢して読み進むうち、豊かな叙情が明らかな場面が増えてきて感動する、といういつものパターンに本作でも落ち着いた。有体に言うと本作も我慢して最後まで読んでとてもよかったと思えた。

特に、ゲスラーが妻の死に直面する場面が最も気に入った。(以下、引用)
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だがそれさえもう無理だ。足から墓地へと向かった死人には、元の家に帰る道がわからない。首も斬られている。斧が落ちた瞬間、彼女が目を開いたのに誰も気が付かなかった。斧が取り除かれ、再び目が閉ざされるまでの刹那、刃の下からエルザは彼を見ていた
信仰が死滅すると、残るのは迷信だけだ。何も信じられないのに、死者はそこにいる。ゲスラーは溜息を吐く。嗚咽が混じっているのは知っている。お前の為に家を建てよう、エルザ。野と、木陰と、庭の垣根を作ろう。豊かに実る小さな畑とその端を流れる澄んだ小川を作ろう。水車小屋を建てよう。日の光に溶けて消える魚たちを泳がせよう。私の大切な人たちが、そこには住んでいる。私もすぐに行く。お前が気に入ってくれたら嬉しいよ。水車が水を掻いて回る。その音を聞き、光る水飛沫を見ながら、ゲスラーは目を閉じる。
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コメント
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