蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

死の淵を見た男

2013年03月31日 | 本の感想
死の淵を見た男(門田隆将 PHP)

福島原発事故において、吉田所長をはじめとして、事故当時の現場担当者の証言を中心に、事故収拾までのあらましを述べたノンフィクション。

3号機が水素爆発を起こして、その影響で2号機の格納容器の圧力が設計値を大きく超えたあたりをクライマックスとして、緊迫した現場の状況が、まるで小説のような迫力をもって描かれる。

現場では、補助電源を津波で喪失した直後から早くも原子炉に注水するにはどうすべきかを考え、おそらく消防車を使うしかないはずと推測して、注水ルートを確保する作業を始めていた。これがおそらく破局に至らなかった要因の一つになったようで、満足な通信も照明も計器もなく放射線の線量も不明の中で、こうした検討と作業を、ほぼ最前線の現場(中央指令室)レベルだけでやりあげたという点には感嘆せざるを得ない。

人体に有害な物質がたちこめる発電所にとどまった人々の動機は、「故郷(の人々)を守るため」という主旨の証言が多かったようだ。しかし、発電所で働く人々は、いったん事故が起きれば原発がいかに危険かというのは、誰よりもよく知っているはずで、平時においても、事故が起きたら命がけで復旧する、というのも仕事のうち、という覚悟がある人が多いのだろうなあ、と思えた。
実際、もう人身への被害なしにはそこに踏みとどまれそうにない事態になっていても、政府からも、(公式にはだが)発電会社からも、現場から(外形的にはサラリーマンにすぎない)従業員を引き上げさせようという声は出なかったようだ。
そこには、原発開発で様々な援助な優遇を施しているのだから、事故があったら身体を犠牲にするのが当然、という誤った黙示の前提が関係者の間に定着していたとしか思えない。(事故がほぼ収束しつつある今にして思えばそう言えるのだけど、「もう危険だから、従業員は引き上げさせます」という正論を発電会社が押し通したら、当時は誰もが真っ青になっていたろうけど)
結果論でしかないが、しかしながら、そういう誤った前提によってこの国は救われたのだろう。

前半の緊迫感や迫力が、後半になるとやや息切れ気味となるのと、吉田所長をやたらと持ち上げすぎるのがちょっとハナにつく感じだが(それでも、所長が自宅へ(事故後初めて)帰るシーンは感動的だった)、久しぶりに良いノンフィクションを読めてよかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする