蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

菜の花の沖(一~三)

2013年03月26日 | 本の感想
菜の花の沖(一~三)(司馬遼太郎 文春文庫)

全六巻まであるが、三巻まで読んだところでいったん感想を書きたい。

司馬さんは、軍隊(戦車兵)にいた時(新兵は誰でもそうだったのだろうけど)相当いじめられたらしい。
戦後、新聞社に就職した後も、文化部へ左遷されて美術担当にされ、何も前提となる知識がないのでしょうがなく中学校の美術の教科書を読んだという話をどこかで読んだことがある。これも一種のいじめだろう。

主人公の嘉兵衛は、出身地の隣村に出稼ぎ?に行って、いじめぬかれて、しまいには(当時としては極刑に近い)村八分にされてしまう。
航海の場面も多く描かれるが、そこでよく登場するのが「炊(かしき)」と呼ばれる最下級の船員が先輩から殴られたりいびられたりする姿である。
また、四巻以降、嘉兵衛が切り拓いていくはずの蝦夷地原住の人々は、松前藩の使用人に人間扱いと言えないほどの虐待を受けている。
このように、本書では、至るところに「意地悪、いじめ」の場面が登場する。

そして、二巻に次のような記述がある。
「この時代の日本社会の上下をつらぬいている精神は、意地悪というものであった。
上の者が新入りの下の者を陰湿にいじめるという抜きがたい文化は、たとえば人種的に似た民族である中国にはあまりなさそうで、「意地悪・いじめる・いびる」といった漢字・漢語も存在しないようである。
江戸期には、武士の社会では幕臣・藩士を問わず、同役仲間であらたに家督を継いで若い者がその役についた場合、古い者が痛烈にいじめつくすわけで、いじめ方に伝統の型があった。この点、お店の者や職人の世界から、あるいは牢屋の中にいたるまですこしも変わりがない。日本の精神文化のなかでもっとも重要なものの一つかもしれない。」

意地悪やいじめが「日本の精神文化のなかでもっとも重要なものの一つかもしれない」というのは、いくらなんでも言い過ぎではないかと思うのだが、こうした考えは、司馬さん自身がいじめぬかれたという口惜しさみたいなものを持っているせいなのかな、とも思えた。
コメント
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