法人の書類は7年間の保存義務があって、いろいろな書類を破棄していたら、37年前に自分がひとりで法人登記した書類が出て来た。
それまでは個人で仕事をしていて、いわゆるフリーという立場だったが、上場企業とお取り引きを開始するのにあたって法人化が必要だったのだ。
企業に依頼されて個人(フリー)でお仕事はしていたが、仕事全体を企画・撮影・編集・音入れまでとなると、会社対会社のお取引になる。
一大決心して法人化しました。
わからないことがいっぱいあったが、ブルドーザーのように解決して行った。
株式会社の登記は、当時は敷居が高くて発起人7人と1千万円の預金がなければ受付してくれなかった。
書類作成は弁護士の親父に教えてもらい自分で作成した。
ところが、役所に提出したら、会社名をアルファベットで申請したら、、、「ここは日本なので日本語にしてください」と最初の第一歩でつまづいた。
いろいろ関門があったが無事に登記できたのが1985年3月30だった。
だけど、自分の頭の中に3月が31日まであるとは思ってもいなかったので、30日に登記が済むとたった1日で、3月31日で会社の第1期の締めが来てビックリ!
実にパープリンでドジでマヌケだったのだ。
そんな者でも会社は作れます。
会社設立した時の住所は渋谷区代々木5丁目だった。
代々木のワンルームは結局15年いた。
ブルドーザーのように突進して会社を法人化したが、ある夏の日に自分のスタジオ(スペース)があったらいいのになーと、ベットの上で天井を見ながら考えていた。暑い夜だった。寝付かれないと妄想が駆け巡ります。
そこのワンルームは1室が広かったので何かと便利ではあったのだが、、、。
最初は自分用スタジオでいいかと考えていたが、人に貸せるぐらいのものだったらどうなのか、いろいろ考えるとお金を借りるにしても返済が楽かなと思いついた。
すぐに都内全域のスタジオの立地・スペック・稼働日数・売上、採算分岐点などを調査し始めた。
不動産屋さん真っ青なデーターを集めて分析しました。
不動産屋さんやコンサルタントさんには見えない、プラスアルファのことまで実際に使う私には見えますから、有意義なデータだったのでしょう。
そのデーターを持って銀行まわりだった。
思い立って1年間は調査と設計。
その次の1年は建設業者選びと細部のチェック、銀行交渉。
その翌年から建設開始。
スタジオができたのは思い立ってから3年と半年経っていた。人を雇用するのは初めてだった。それまでは頼まれたことを仕上げて納品するだけの個人事業だったんだから。
オープニング・スタッフは募集をかけたら10数名応募があって、まだできていない模型の建物を前に説明した。時々建設現場に連れて行って、あーだこーだと夢を語っていた。よく私を信じてついてきてくれたものです。
一昨年、30周年を迎えられて安堵だった。
無我夢中で計画的などとは程遠い経営だった。
いいところ1年ぐらいのスパンしか考えられなかった。
昨年、今年とコロナウイルスなど誰が予想できたか?
東日本大震災など誰が想像できたか?
リーマンショクや湾岸戦争にしかり。
普通に生きていても山あり谷ありで、良いことばかりじゃないのをどう超えて行くか、、、結果を見ればミスが少なかったというだけだろう。
最初の構想がトンチンカンじゃなかったことと、時代の変化への対処が早め早めだったからかな?
目先のことに早め対応で生き延びてきた、、、やっつけ経営だった。
30年前のスタッフもこの中にいます。
30年といえばひとりの人生の半分になる。
まだまだ、いきまっせ〜〜〜。