歴女散歩。
京都山科、明智光秀ゆかりのあれこれ。
何年も前から、ずーっとなぜ光秀は信長を殺したのかと疑問に思っていました。
信長に辛く当られて、耐えられなかった。
自分も天下が欲しかった。
自分を神という信長の傲慢さが許せなかった。
どれ?やっぱ、どれもしっくりこないよね~。
と言うことで、前々から山科付近に光秀の足跡があると知って、いっぺん行ってみたいと思っていました。
午前中の足揉みを済ませて、お昼の電車で山科へ。
初めての土地だから、インターネットで出せるだけの資料と地図を握り締めて、いざ。
まずは、山科から市営地下鉄で「醍醐」下車。
小栗栖にある「明智藪」。
地下鉄の駅から15分ほど歩くと住宅地のはずれにありました。
ここで、光秀が八幡宮の神主一族に殺されたという碑。
光秀は何百年もここにいたんだろうか。
次。勧修寺町にある「光秀胴塚」。
地図で見ると、小栗栖からまっすぐ歩いた隣町。
明智藪から1キロ程だったはずだけど、遠かった。
日頃、50メートルと歩かないぱくちゃん、つくづく運動不足を思い知りました。
光秀の胴が埋められてたそうなので、胴を連れて、東山の首塚へ。
また、てくてく歩いて、市営地下鉄「小野」から「東山」まで行きました。
ネットで知った、和菓子屋「餅虎」さんの角を曲がったところに「光秀首塚」ありました。
江戸時代から「餅虎」さんが、ここを管理されてるそうです。
それは、それはご苦労様ですと、少々和菓子を求めました。(美味しかった。。。)
「明智藪」で光秀が「首は知恩院で灰にせよ」と遺言したというが、寺までたどり着けず、少し手前のここに首を埋葬したそうな。
胴よ、首がここにあるよ。
この五輪塔の下に埋められたと言われてます。
知恩院へ行きたかったのなら、行ってみようじゃないのと。
でも、灰にはせんで。今度は、生きてや。
途中の白川に、鴨が沢山おりました。
今の季節、水が少なくてすぐに掴まりそうやったな~。
知恩院へは初めて行ったけど、あまりの広大な敷地に絶句。
京都のお寺の権力ってのは、相当なもんなんだね~。
入った門と、出た門が違ってたらしく、「私はどこにいるのだろう?」になってしまった。。。
無事「東山」駅に着いて山科まで戻り、JRで帰路に。
ぱくちゃんの半日歴女の旅、終了。
2年間、ずーっといつかはと思っていた場所へ行ってこられました。
が、道中ずっと考えてた光秀の動機。
信長の家来の中で、一番賢く、常識人。
神や仏を敬い、将軍を助け、信長にも仕えた。
が、光秀はホントは神も仏も信じていなかったように思う。
万事そつなくこなすけど、なぜかうわべだけ。
外側だけで、中身が分らん。。
信長は「光秀は殻をかぶっている。その殻が彼を小物にしている。自分で殻を破らねば」といいつつ、これでもかこれでもかと挑発して、光秀が爆発して殻を破るのを待っていたのか。
そんなことは、光秀は思いもしなかったんだろうな~。
あの世へ行ってから、しまったと思ったかな。
中国攻めに向かう途中で、向きを本能寺に変えたんだから、全く無計画な仕業だもんね。
あのまま出雲地方へ出陣し、信長が生きてたらまた、違う歴史があったのだろうか。
京都山科、明智光秀ゆかりのあれこれ。
何年も前から、ずーっとなぜ光秀は信長を殺したのかと疑問に思っていました。
信長に辛く当られて、耐えられなかった。
自分も天下が欲しかった。
自分を神という信長の傲慢さが許せなかった。
どれ?やっぱ、どれもしっくりこないよね~。
と言うことで、前々から山科付近に光秀の足跡があると知って、いっぺん行ってみたいと思っていました。
午前中の足揉みを済ませて、お昼の電車で山科へ。
初めての土地だから、インターネットで出せるだけの資料と地図を握り締めて、いざ。
まずは、山科から市営地下鉄で「醍醐」下車。
小栗栖にある「明智藪」。
地下鉄の駅から15分ほど歩くと住宅地のはずれにありました。
ここで、光秀が八幡宮の神主一族に殺されたという碑。
光秀は何百年もここにいたんだろうか。
次。勧修寺町にある「光秀胴塚」。
地図で見ると、小栗栖からまっすぐ歩いた隣町。
明智藪から1キロ程だったはずだけど、遠かった。
日頃、50メートルと歩かないぱくちゃん、つくづく運動不足を思い知りました。
光秀の胴が埋められてたそうなので、胴を連れて、東山の首塚へ。
また、てくてく歩いて、市営地下鉄「小野」から「東山」まで行きました。
ネットで知った、和菓子屋「餅虎」さんの角を曲がったところに「光秀首塚」ありました。
江戸時代から「餅虎」さんが、ここを管理されてるそうです。
それは、それはご苦労様ですと、少々和菓子を求めました。(美味しかった。。。)
「明智藪」で光秀が「首は知恩院で灰にせよ」と遺言したというが、寺までたどり着けず、少し手前のここに首を埋葬したそうな。
胴よ、首がここにあるよ。
この五輪塔の下に埋められたと言われてます。
知恩院へ行きたかったのなら、行ってみようじゃないのと。
でも、灰にはせんで。今度は、生きてや。
途中の白川に、鴨が沢山おりました。
今の季節、水が少なくてすぐに掴まりそうやったな~。
知恩院へは初めて行ったけど、あまりの広大な敷地に絶句。
京都のお寺の権力ってのは、相当なもんなんだね~。
入った門と、出た門が違ってたらしく、「私はどこにいるのだろう?」になってしまった。。。
無事「東山」駅に着いて山科まで戻り、JRで帰路に。
ぱくちゃんの半日歴女の旅、終了。
2年間、ずーっといつかはと思っていた場所へ行ってこられました。
が、道中ずっと考えてた光秀の動機。
信長の家来の中で、一番賢く、常識人。
神や仏を敬い、将軍を助け、信長にも仕えた。
が、光秀はホントは神も仏も信じていなかったように思う。
万事そつなくこなすけど、なぜかうわべだけ。
外側だけで、中身が分らん。。
信長は「光秀は殻をかぶっている。その殻が彼を小物にしている。自分で殻を破らねば」といいつつ、これでもかこれでもかと挑発して、光秀が爆発して殻を破るのを待っていたのか。
そんなことは、光秀は思いもしなかったんだろうな~。
あの世へ行ってから、しまったと思ったかな。
中国攻めに向かう途中で、向きを本能寺に変えたんだから、全く無計画な仕業だもんね。
あのまま出雲地方へ出陣し、信長が生きてたらまた、違う歴史があったのだろうか。
歴女の旅ぃ~
今回の信長さんの描き方ええなぁ~
何か本物に近い描き方のような気がするしぃ~。
ドラマではもう出てこんし、残念。
本能寺の変。
わたしゃ、名前を使ったんかなぁと思ってたよ。
秀でた光は智を明るくするとか何とか。。。。
(≧∇≦)ブハハハ妄想爆裂(*^日^*)゛グワッハッハ
2年越し気になってたこと。
今回、光秀役を市村正親さんがやってるのを見て、とどめやったね~。
ぱくちゃんも、名前だと思ったよ。
明智(明るい知恵)の対義語で暗愚。
今、必要なのかなこのお人、と。
わはは、妄想ね~。また、3月に。