「いのち」の「い」は生きることで、「ち」は知恵。
だから、「いのち」というのは「生きるための知恵」ということだそうです。
昨日書いた、葉室さんの著書の中にありました。
日本語はアルファベットのABCDと違って、あ、い、う、え、おの一言一言に意味があるという世界でも特殊な言葉なんだそうです。
だから、生き物によって「いのち」が違う。虫は虫のいのち。花は花のいのち。
いのちによって生かされ、それを次の世代に伝えていくということが、生き物のいのちを伝える姿だそうです。
日本人は日本人のいのち、日本人の祖先の知恵で体が働いて生きているのに、戦後アメリカ人のいのちを持ってきて生きようとしたから、体がおかしくなってしまった。そのために、現在のような日本人になってしまったと葉室氏。
抜粋なので脈絡がなくてごめんなさい。
でも、「いのち」の定義は面白いでしょ。
知恵じゃなくて知識で生きようとする人がほとんどで、知識がどんなにあっても知恵がなければ生きられない。大切なのはいかにして、この知恵を伝えるかということだそうです。
今日は、両親の足揉み。
月に2度ほど、揉んでます。
いつも二人とも、揉んでる間中しゃべりっぱなし。
他の人のように眠くもならないけど、ちゃんと反射してるのかちと不安。。。
どこが、どうこう良くなったとか分からないんだけど、まあ娘が足を揉むってことで、なんか効果があるでしょう。
だから、「いのち」というのは「生きるための知恵」ということだそうです。
昨日書いた、葉室さんの著書の中にありました。
日本語はアルファベットのABCDと違って、あ、い、う、え、おの一言一言に意味があるという世界でも特殊な言葉なんだそうです。
だから、生き物によって「いのち」が違う。虫は虫のいのち。花は花のいのち。
いのちによって生かされ、それを次の世代に伝えていくということが、生き物のいのちを伝える姿だそうです。
日本人は日本人のいのち、日本人の祖先の知恵で体が働いて生きているのに、戦後アメリカ人のいのちを持ってきて生きようとしたから、体がおかしくなってしまった。そのために、現在のような日本人になってしまったと葉室氏。
抜粋なので脈絡がなくてごめんなさい。
でも、「いのち」の定義は面白いでしょ。
知恵じゃなくて知識で生きようとする人がほとんどで、知識がどんなにあっても知恵がなければ生きられない。大切なのはいかにして、この知恵を伝えるかということだそうです。
今日は、両親の足揉み。
月に2度ほど、揉んでます。
いつも二人とも、揉んでる間中しゃべりっぱなし。
他の人のように眠くもならないけど、ちゃんと反射してるのかちと不安。。。
どこが、どうこう良くなったとか分からないんだけど、まあ娘が足を揉むってことで、なんか効果があるでしょう。