館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

おばぁスナックランブラーズ旗揚げライブIN阿智村(ほんとは、雑花塾大望年会だけど)。

2021-12-07 05:07:52 | 音楽を思う
12月4日のお話である。



なにやら・・線香とか、掃除とか・・・



そうなのだ!新結成「おばぁスナックランブラーズ」の旗揚げ公演の必勝を祈願すべく、笠木さんの墓参りをしたのだ。
あいかわらず、おちゃめな笠木さんらしく・・墓までの道は迷路で、迷いそうだったぜ!



恵那山は、雪降る中でであった。



さて、その会場、雑花塾の望年会は華々しく、乾杯で始まったのだ。





その後胃袋がおさまると、延々と歌がつづくわけさ・・・さすがというか・・・・あきれると言うか・・・

しばし、面々のステージ姿をご覧あれ!(カメラマンは呑むのに忙しく、写ってない方はごめんなさい!)

おれの仕込んだ伏兵のささくれも随所に活躍で有った。





酒の席での、歌・・・・ところがなぁ・・のこ雑花塾のここでは、みんなしっかり、歌になると聞いているから不思議。
俺も昔は、怪しい「旗びらき」なんてので演奏したことがあるが、酔っ払いが聴いていないし、宴会芸の扱いが続いて、メンバーの不評を買い、以降出演は断り続けて、今日に至るのであった。

笠木さんが残した名残・・と、思いきや、どうも違うのだ。

外野の俺であるが、雑花塾は、自分たちで考える脳をそなえ、しっかりした意志と「世間への謀反」をもって、自立しているのがわかった。

笠木さんの歌のスタンス、弱いものへの寄り添い・無名の人々の暮らしの中の、喜び・悲しみを歌う。
政治や権力者たちの、不正・横暴・理不尽に挑む・・・その姿勢が、沢山の歌を生み出しているのも分かった。

さて、、外野は、来年もここにいるのかは、どうあれ、2度目の参加で、そんなことがしっかり輪郭をあわらして、俺の前に立ち現われた今年で有った。



名は知り・大変興味があった「やぎタコ」の参加もちょいと驚き、幸せだった。
オールドタイム・・カーターファミリー・・・まさに、ロストのおよそを作っている音楽をやっている方々で、涙が出るほど素敵だった。

IN館林・・・前座ロスト・・・あるかも?



また・2つの事など思った。

沢山の歌を生んでいるのだろう・・・・フォークシンガー達がフォークだと思って歌を作る。
それは、フォークのようなもので、フォークではない。
フォークソングは、その歌に共鳴・共感し、「これは僕の、私の歌だ」と抱きしめ、歌い継ぐ民衆が生まれ、手渡しのようにその歌が、作りてから離れ、多くの人々に歌い継がれ、時代を超えようとするとき「フォークソングになる」のだと・・・

そして、トピカル!そう、時事を歌うことをフォークは得意とするが、民衆は時事のみに生きているわけではない・・・
生活という何でもないような中に、喜びや悲しみを感じて生きている。
そして、恋も愛することも日常・・・・老いらくの恋もあるやも知れず・・・
そんな歌を作ったら、はてさて「軟弱な!」と一喝されまいかと・・・・そんなことなども、ふと、浮かんだ次第。



もしかしたら・・・この旅館の夕餉に供されるこの「恋のではなく・・鯉の甘露煮」がるので、参加してるのかと思うほどの美味しい鯉を今年も食えた。
川魚は食べない人も多いので、今年もお隣さんのも完食!旨かった!!!



そいうえば、おばぁスナックランブラーズ・・・わずか40分の事前練習にしては、拍手を頂いた気がする・・・



4曲試みたが、練習では3曲は人前に出せる状態で、俺はひそかにボツの1曲はやらないつもりだったが・・・メンバーの酒の勢いでやってしまった。
結果は、撃沈だったな・・・



この日で解散はもったいない気がしていた・・・・

館林に帰って、皆であいさつの折、このまま解散はもったいないので、「おばぁスナックの会合」ごとに、練習しようということになったのは、朗報か無謀か・・・

音楽三昧の1日はこうして暮れていったのだった。


6日の濃厚接触者。

*女房・斎藤・・2名。
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