CDなんて、館林でロストを作って歌い始めて、考えたことも無かった。
33年・・・ここで、暮らしながら、仲間と歌い、時にコンサートなど開いて、人を寄せて、その高揚感を抱きしめて、また歌う。それで、僕らアマチュアは満足だったし、それ以上望むものは無かった。
写真・・・必死の体育会系アツコのボーカル録りの場面。
昨年、日本のフォークを根底から覆し・支え続けている笠木透氏から手紙が届く。
「田中正造没後100年をもうすぐ迎える。日本で最初にして甚大な被害をもたらした公害に、立ち向かった正造。そして21世紀の今、福島、そしてこの国は原発の爆発という、驚愕の公害の只中に居る。わたし達は、いま、あらためて、国とはなにか、人びととは何か、を問うべきだろう」
田中正造・・・僕らは、この名前を節々に聞いて、洟をたらした頃から育ってきた。
正造を歌えることは、誇りだ。
写真・・川崎草太君とお父さん。石川からやってきたのだ(美味しい酒つきで・・♪)。
そんなわけで、地元アマチュアの我がロストと、佐野のウッドランドそして、笠木透と雑花塾の怒涛の録音が行われたのだった。何と4日連続・朝9時から夜10時までのハードなスケジュールであった。
昼夜は炊き出し・・・さすが7期の議員生活を支えたAさんのまかないの指揮は完璧だったなぁ・・
空いている時間には、どこかで誰かが練習をしていて、時には、始めてあった人たちと、突然セッションが始まったり、実に楽しい時間も、あったのだった。
連日連夜・・・10時半ごろから我が家で「打ち上げ」が続く・・・
居酒屋「オ サム」とも、パブ「オ サム」とも・・・・
一期一会・・・僕は数日で10年分の音楽との格闘をしたような感じ?
次回があるのか?と問われれば、僕らのスタイルでは無いかもしれない・・・
でも、ここで出会った全ての人たち、その出会いは、鮮烈で・豊かで、素敵だった。
やなやつは誰も居ない・・・ピークは40人・・同じ釜の飯を食った彼を、彼女を僕は忘れることは無いだろう!
♪ 長く続く道を ずっと歩いてきた 振り向くこともしないで
出会った人すべて 悪いわけじゃない 勇気をくれた人も居た
長い道を歩く 歩く ただ1人 歩く ♪
「あてない旅路」・ SONG By オ サム
結果よりそっちのほうが、すんばらしいと思ってしまうけど、プロは結果にも妥協しないだろね~
アニキ、かっこいいよ!
ステージがワンランクアップしたんじゃない?
ある意味、まいってるかも・
なんだか、うれしいぜ!
これからの練習がたのしみだよ。
CDはもとより、人との出会いは大切な財産だわ。
いい人ばっかりだったぜ。
まさに、思い出すだろうね・・・発売されたら。