マッチボックス+さんという方々。
最近は、オープニングアクトなどという表現がはやりだが、わしゃ、前座のほうがしっくりくる。
ロストなんぞも、前座を務めさせていただくことは結構多い。
前座・・・・改めて、難しいものだと思った。「私」ばっかり歌われても、自己満足の域をでないままだったりする。
期待値が低い分、やりがいはあるか?本編を食いたいものだぜ。
続いて、「ペンギンと白クマ」さんという前座。よしださんと、時々あちこち回っているらしい。
存在感はあった。少し「私」を抜け出した歌などあった。
よしだよしこ登場!
思い出すだけでも、かなり歌ったなぁ・・・
砂の唄・虹の王国・崩れ落ちるものを感じるかい・She said NO!・フォーチュン・Sally Ann・高野君の焼き鳥屋・・・・などなど。
前日よしださんからメールが入って「ちえちゃんのところで明日歌います」などと書いてあり、野暮用を調整しつつ、雨の中赤城山まで向かったのだった。
彼女を聴くのは2年ぶりだろうか?さて、彼女の唄は、僕をドキドキさせてくれるだろうか?など、とっても期待して聴いた。
何ということだろう、不覚にも、いくつかの、何度も聴いていた歌なのに、涙があふれるのだった。
トランプになってから、メキシコ国境に壁をなどと、大騒ぎ・・・・白人至上主義を、厚顔無恥な姿で大声でがなり立てている・・・
スタインベックの「怒りの葡萄」の時代・劣悪な条件で、メキシコの移民たちを、桃摘みなどの忙しい季節に使い、必要なくなると犬を追いたてるようにした白人の国の歴史がある。
かのウディ・ガスリーはこんな国に、資本家に、怒りの声をあげ、移民たちに寄り添い「ディポーティ」という歌を作る。
その歌は、世界中に広まった。
まさかなぁ・・・よしださん・・「ディポーティ」を歌うとはなぁ・・・
しっかり、今の険しい日本・時代を生きながら、歌うべき立ち位置で、歌うべき歌を歌うのか・・・
よしだよしこ・・・やはり只者ではないフォークシンガーだったぜ。
笠木透・・・彼の晩年に、よしださんは、彼と出会い、一緒のステージも経験した。笠木さんも、彼女の唄・歌に対する姿勢など評価していた。
独断的かもしれないが、彼女は、彼の晩年での出会いが、彼女の唄に、「フォークソング」の価値や、フォークはどんな歌なのかと、問い、そこから刺激や学びがあったように僕は思うのだ。
ずっと聴いて・・・・
「これは、我が故郷に、彼女を呼んで歌ってもらいたい」と、思ったのだった。
思えば・・いつかは、実現するだろう。
最高のライブだったな。
やがて、館林で、よしだよしこコンサート・・・・
前座は、(無理やり)ロストか?
自己満足にならないようにしないとな・・・・