館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

ご近所紹介・「県立館林美術館」とその周辺。

2006-05-22 06:50:12 | 生活雑感
僕の通った「小学校・中学校」の裏庭のような場所である。
実際・裏庭だった!
写生大会などは、皆野外で、ここらあたりだ!
田んぼとヨシの茂る湿地、そこを「護岸工事なんかしてない」水路が、血管のように流れていた。
小川・・・である。水は澄み、小鮒・はや・どじょう・ざりがにが沢山居た。
写生大会でこの小川を描いた、僕の同級生は「しこたま」先生に怒られた。

彼は「画用紙を水色に塗って・白で同心円を描いた」「水と波紋」である。

それをやっつけて、その後遊びまくっていたのである。

その場所に「県立館林美術館」は建っている。

ヨシ生い茂る「大湿地帯」の上である。








美術館周辺は「田んぼ」を残して、運動場・「彫刻の小径」・多々良沼などが近接広大な、自然公園と考えれば、考えられなくは無い。

人間の「原風景」が開発されて行くのを、見るのはつらい。

が、ここは、「自然」は残そうと「意図」を感じるので、多少許せる。

美術館への堀には「鯉」が群れている。パンの耳など持って行き、餌やりなどさせると「子供」のお守りにはもってこいである。
駐車場に入る、南北を繋ぐ道は昔「土手」であった。ここは北の日向地区と学校を繋ぐ動脈だった。みんなこの「土手」を通って、学校に通ってきた。
力芝が生え、土手斜面は「草ボケ」が繁っていたな。





この芝生の広場が「広大に広がって」前庭を形成している。
野球やサッカーはしないで、と書いてあるが、「入ってはいけません!」ではない。
いいね!

フリスビーをやったり・木の下で寝ていたり・バトミントンやったり、結構様々。
連休に遊びにきた「妻の友人」が太極拳をしているのだ。

この場所・昔は湿地である。
僕は2年まで(中学の)野球部だった、が、畑で偶然拾った「やじり」から、太古(太鼓ではない!)への想いが募る。
途中・仲間と「歴史クラブ」を作る。顧問を探したり・学校に認知させたりの末、野球をリタイアしこれに、のめり込む(その後・大学まで続くことになる)。

文化祭・出し物の目玉は「竪穴住居」であった。
この湿地のヨシを刈って、屋根をふいた。
なつかしい「湿地」である。






美術館の裏は、多々良沼(万葉集・東歌にすでに詠まれている)から流れる川である。
西から東へゆったり流れる。関番を通って「谷田川」に流れ込み、やがて「渡良瀬川」に流れ込む。
名称、多々良川である。

このポイントは「鯉」が釣れたのだ!(この開発前・10年くらい前の話である)




「ヘラ師」がヘラ鮒釣りをしていた。見渡すと、沢山の釣り人である。

20分くらい見ていたが、だれも釣れなかった。
魚影が薄いか?




美術館裏・多々良川を渡る橋から、南方を写す。

連綿と続く「松林」がある。

1500年代後半の「大谷休泊」の植林や「河川整備」の跡であるから、驚く!

「休泊掘り」は今も現役の農業用水である。
そして、この松林(植林跡)は太田市の「金山」・果てはその続きは、武蔵野丘陵に望むと言うから、驚きである。

僕の中学時代・この松林は「ささ」に覆われ、3メートル先は見えなかった。

現在は、下草が刈られ、40を越える「彫刻」が迎える、散歩道(彫刻の小径)「遊歩道」になっている。

暫らくぶりに、中学校時代にかえった。

子供達は鯉の餌くれ・芝生でバトミントン・大人も太極拳でまったりと、過ごした。

帰り・松林の茂みで「あけび」のツルを摘んだ。

旨かった!

(オ サム)
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3 コメント

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とてもいいところですね (NOB)
2006-05-22 22:16:00
綺麗なところでうらやましいです。

子供の頃から住んでいるところに大人になっても住めるのはとてもうらやましいことです。友達も地元ですしね。私のかみさんもまさにそうです。私は殆どをごみごみしたところですごしていますし、子供の頃の友達は今どこで何をしているのかすらわかりませんので、本当にうらやましいです。

私、この記事読んで館林に近々行こうと考えています。館林といえば「狸」ばかりが浮かんでしまうのですが、この記事でだいぶイメージが変わりました。

かみさんはオ寒さんに茸や山菜採りに連れて行ってもらいたいとのたまっております。
返信する
追伸 (NOB)
2006-05-22 22:22:01
記事を読ませていただいて大変驚いたのですが、私も小学校のときに考古学に興味をもっていました。きっかけは土器のかけらを拾ったことでした。その後、矢じりも発見しました。小学校のときは本気で考古学者になろうとまで思ってました。更に笑ってしまったのは、実は私も竪穴式住居を作ったことがあるからです。この偶然に驚きつつ、笑いました。二人して竪穴式住居を作ってたなんて・・・
返信する
そうなんだ? (オ サム)
2006-05-23 21:24:06
地元に暮らす。或いは「地元に戻る」はある意味、決断でした。

で、そこで僕はグループ作って「フォーク」やってるわけです。



館林・人口8万の中途半端なとこかも?住むというのは、そのすべて、包容して、暮らしやすく「アクティブ」に対峙することかなあ・・・



是非、お越し下さい。違った目で見てもらうの、新しい発見ありかも?



土器・やじり・・そうでしたか?

すごい。共通項でしたね。



まだ、その当時の「ブツ」あります。

妻が「授業で」使ったりしています。



山菜・きのこの実体験、やりますか?

うれしいね!
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