6月21日・・・・週末3連荘のコンサートは、日曜のこちらが〆であった。
僕の音楽の師匠、岡田京子さんと、なんとまぁ安達元彦さんのジョイントコンサートであった。
どちらも、笠木さんとは縁深く・亡くなるまで深い関係で、笠木さんと音楽を深め合ったお二人であった。
「岡田京子・安達元彦・・笠木さんを歌う」は贅沢で、この時期無ければならないコンサートだ。
新進気鋭のクラシックの作曲家は、笠木さんに出会いドロップアウトする・・・同じように、方向の違う作曲家であった師匠の岡田さんも、笠木さんに出会い「民族の音」を探し求めることになるのだった。
笠木さん・安達さん・岡田さん・・・その長いキャリアで、互いに刺激し合いながら、多くの名曲を作り上げたのだった。
岡田さんは、彼の死後、笠木さんの奥様から送られてきたという1曲を、参加した皆が歌えるまでにするステージだった。
2014年8月24日の笠木さんの詞のようである。
死を意識した彼が、自分のことを歌ったのだろう・・・「なんという歌だろう!」と、こみ上げるものがあって、困ってしまったのだった。
居なくなることを、このようにきっぱりと書いて、僕は死ねるだろうか?
詞に寄り添う岡田さんのメロも、すさまじかったなぁ・・・名曲だよ。
終演の後、岡田さんにこの曲について感想など話した。その時彼女は「今まで私の作った曲で、最高の出来だと思っている」と言っていたなぁ。
2部は安達さんだ。
僕とロストのアバウト新藤も、打ち合わせなしの伴奏は必至であった・・・
名曲「カタクリの花」「私に人生と言えるのもがあるなら」「川のほとり」「若狭の海」「春と修羅より」・・どの曲も安達さんの流れるようなピアノで素晴らしかった。(彼はピアニストと紹介されると、僕は作曲家ですと言うのだが、でも、すごいピアノ弾きだよな)
「笠木さんはフォークソングになるという表現をよくしました。」
「歌がメディアなどである時期大量に出回ることではなく、人から人へ伝えられて(民謡)フォークソングになってゆくということです」
「ギターをかかえて、歌えばフォークソングではないのです」
などと、合間の話も秀逸・・・
見事に笠木さんのフォークソングを歌ながら、あっという間の時間は過ぎて、アンコールであった。
さて、終演後・・・
打ち上げ前・・・・なにやら岡田さんが別室にこもっていると思いきや、こんなお姿で現れた!
友人の形見の和服らしい・・・
「私は、死んだら、これ着せてもらうの」・・・だそうだ。
いわくのある、大事な品らしい・・・・
今度会ったら、いわれを聴こう!!
打ち上げでの、とりとめない話も楽しいのだ。
「今度、ロストと僕はやりたい・・」との安達さんの話は・・・・聴かなかったことにしておくのだ。
それにしても、お二人、ますますの活躍を期待するなぁ・・・見事に現役の、すばらしい音楽であった。
つたなくも、ご一緒出来てし・あ・わ・せ!
これを糧に、僕らロストも、もっと豊かに!だな。
PS・・・・5年目?6年目?種から育てた「月桃(ケットウ)」に何と!花芽が付いた!!!!!!!!!!!!!!!!!近々に咲くかも?!うれしいったらないなあ!
後日・・アップできたらうれしいなぁ・・・・!
もちろん、自分自身が、人生の晩年にさしかかっているということを意識されていたことは間違いないであろうが・・・。
それより、その新曲発表会では八百津の大澤和代のメロディーが選ばれ、既に様々なコンサートで歌われているのだけど、岡田京子さんが「最高の出来・・・」といわれる曲との聴き比べをしてみたいという気もする。
しかし・・・!?
まあ、彼が尊敬した方だし、ご自分も重ねたかね?
あるいみ、このように、残像を地域の風景に残しながら、静かに去るのもいいかと・・(考えすぎだろうか?)
その前の年創作で笠木さんの手を借りながら詩が一つものになり曲が着いた。その帰り道笠木さんが「大ちゃんも来年は作曲だな」というのに押されて、初めて曲をつけたのが「おらっせん」だ。
自分の住んでいるところの方言だからそのアクセントになるべく忠実につけてみた。岡田さんにはかなうべくもないが、雑花塾のみんなが賛同してくれた。
機会があれば聞き比べてほしい。
笠木さんの詩には最初で最後の作曲者になれたことを誇りに思う。
1度は聴いて見たいねぇ・・・
誇りだぜ!
僕の知ってるおさむさんとはしばらく
顔を合わせていない
会いたいなあ
また、雑花塾が来襲の折、是非北関東に!
おれも、あと2・3年で、やや自由になるだよ・・・