続けることが、大事と言うこともある。
続けることでしか、見えてこないものもある。
25年・・・25回目となる、長崎への原爆投下と、その慰霊のための「鐘つき集会」に今年も行ってきた。
館林大島地区にある「春昌寺」だ。
投下の時間、11時2分に、集まった皆で黙とう。
その後、鐘を思い思いに撞く。今年はコロナ・・・中心となって運営する方たちから、今年は使い捨て手袋が配られる。
その後、小集会となって・・・・
主催者から「館林平和都市宣言」が読み上げられる。
地元で大事にしていただいている館林ロストシティーランブラーズも歌う機会を得た。
ミホは仕事だったが、他は皆参加し、実力なりのパフォーマンスは出来たように思う。
➀ひとつぶの涙 ②までいな村・・をやった。
丁度、この日栃木の足利に用があるので、立ち寄る・・・と、連絡があり、それなら、ここに来ませんか?
と、問うたならば、よし!”行くよ!となって、なんと!!増田康記さんのサプライズもあり、みんな驚くやら、喜ぶやらであった。
最後に茨城出会って以来だったが、あの時の元気なさと比べ、かなり回復していたホッとした。
なんだか、今までになく、ケーブルTVやら、地方紙「上毛新聞」などが取材に来ていて、この取り組み全体が放映され、記事にもなるようだった。
「流してよいか?」とロストにも増田さんにも、挨拶があって、いいですよと答えたので、ローカルで放映されるようである。
中心人物のおばぁ・・・からの挨拶で締めくくられた。
コロナで有ろうとなかろうと、これは外せないと、きっぱりと開催する見事さ。
コンサートを開きたいが、躊躇する軟弱フォークシンガー達・・・・
帰りがけ、おばぁ達に「コンサートやってよ。聞きに行くから!」と、声をかけられた・・・・
25回の黙々と続けた営みに、軟弱者の僕らが、くっきりと浮かび上がるだな・・・・
増田さんと実に久々の再会だった。その夜、ミネさん・アバウトと集まって、旧交を温めた。
ちょっと病気になったはずなので、心配だったが、かなり回復して元気だったぜ。音楽について、フォークソングについてなど、沢山話をした。
気になっていた事など、聞くこともできて、良かったよ。彼自身が、前を向いて、音楽をまた、抱きしめていることがわかって、うれしかった。
コロナ禍・・・彼もまた、人前で歌いたいが、その難しさも感じているようだ。また、どこかで、いや?館林で、一緒のステージで歌いたいものだと思った。
9日の2m圏内接触者。
濃厚接触・女房・増田さん・ロストミホ省く全員・ミネさん・8名。
鐘撞き立ち話・W・篠・山・橋・大・・・・・・・・5名。
鐘撞きすれ違い・3・4名
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