いや・・この本も興味は湧いたが、いかんせん、4104円の値段は(きっと分厚いし)高すぎだな、俺には。
書評にうなった。その言葉の深みと、リズム・・・にうなった。
*「与えられるだけでなく、自らも与えることが可能な人間関係の健全さが、人が生きる上での尊厳につながる重みを持つことに気づかされる。」
*「防災が国家に主導される中。それを・地域に根付く解釈で上書きし」・・・・
上書きし・・・・かあ・・・・思いもよらない言葉使いだなぁ・・・
*広告上にあふれた「がんばろう!東北」という言葉の対極において、静かな輝きを秘めている。
この下りも、贅肉の形容詞が削がれ、天晴だった。
腑に落ちるだけでなく、読んで、心に「さざ波」がおき、被災者に少し近づき、寄り添うような感覚に陥る。
何もできない無念さのようなものが、高みに連れてゆかれ、心が洗われたような気がした。
このような言葉を生みたいものだ。
さて、転じて、フォークソングの言葉についてと言えば、笠木透だ。
彼の晩年に、彼から送られた雑誌だ。おそらく、「これでも読んでお前のフォークソングを磨け」という、叱咤であろう。
「歌った以上そのように生きろ」を口から放たれた言葉でなく、文字言語で残されると、まいるよな。俺は、生きられそうな歌しか、歌えなくなった(笑)。
「生活実感のフィルターを通す」・・・・
フォークは、インストルメンタルでない限り、言葉を編み。言葉で伝える音楽である。
その言葉・・・・つまらない独り言であったり、うすっぺらな街頭の演説では、歌い継がれることは無いだろう。
生活の澱のような、どろどろとしたものから、高みに救い上げられ、共感とともに、その心の澱が涙となって落ち、あるいは、共感の中の笑いのように空間に放たれる・・・心が浄化される、そんな言葉を僕らは探さなければならないのだろう。
♪私に人生と言えるものがあるなら あなたと過ごしたあの夏の日々♪
あなたは・・・恋人であろうか、無念ながら去って行った愛する女房や夫であろうか、子離れの時期、確実に離れて行った子どもだろうか、作者のその時の「あなた」は人々の中で、沢山の「あなた」になって、今も歌い継がれ、ふとしたことでささやきのように「声にならない声で」歌われ、そして多くのひとの心を浄化した歌の1つだ。
どうしたら、このような、言葉が、僕から湧くのだろうか?湧くほどの、感性を磨かないとダメなんだろうなぁ・・・・
作りたいものはあるが、言葉が浮かんでこないわたし。