30日(土曜)36.6度・飽和酸素97。
症状はのどの痛みだけだが、それもやや薬の効果か、収まる。ただ、コロナは急変するなどとも言われているので、そうした漠とした不安はずっと付きまとう。
ひたすら本を読む(それしかないような・・・)・ベッドで横になる・時々コーヒーだ。
あまりに暇なので、使ってないラジオを持ってきてもらう。
女房と相談して、DVDの再生機をネットで買ってもらい(29日に届く)DVDなども時々見る・・・
そんな繰り返しなのだ・
夕方、館林の保健所から連絡がやっとある。
*症状の確認。
*緊急の連絡先のお知らせ。
*県の健康管理センターへスマホから症状を入力してもらう(こうして聞き取りではなく操作など可能な人は一方通行の入力での健康観察になるようだ・・)ための書類など送ると連絡。
*自宅待機には「支援物資」があると聞いたが・と俺が言うと、「あっ?必要ですか?じゃあ送ります」などの話で終了。これは、こちらから話を出さないとまず来なかったね。
女房と2人とも隔離だと、必要なものもあるかもしれず、余れば子ども食堂でもと思い、まぁ納税者の権利と頼んでみた。
以降・保健所からの連絡はない。
31日(日曜)36.2度・飽和酸素97。
県の健康観察センター
*入力作業の確認・その他は保健所とあまり変わらない聞き取り等であった。
みな、対応は親切で、こちらも世話になるな~~ありがたいなという気持ちになる。基本、どうも俺は軽症なので、行政の扱いもゆとりが感じられたが、これが切羽詰まっていたらどうなんだろうな・・などと、思った次第。
1日(月曜)36.2度・飽和酸素97。
支援物資が届く・・・・結構な量とバリエーションで、少し驚く。
DVD・・・「誰がために鐘は鳴る」を超久々に見たが、面白かった。あの長さを飽きさせないのは、内容も相まって、すごい映画だったと思う。
2日(火曜)36.3度・飽和酸素97。
症状は変わらず。食事・本・新聞・ベッド・コーヒーなどの繰り返し。女房は抗原検査キットで検査。陰性。
3日(水曜)36.1度・飽和酸素97。
症状は変わらず・・・・さすがに飽きた。女房は隔離期間が終わって、買い物など外出。
4日(木曜)35.9度・飽和酸素97。
朝起きると、喉が鈍痛・・頭も重苦しい・・・これが、やがて10時ころになると収まってしまう。この繰り返しが毎日続いている。
頭が晴れ晴れと、スキットとしないのは、後遺症でしばらくつづくのかしら・・・などと、悶々とする。
今までは、濡れたタオルで毎日体をふき・シャンプーは外の水道だったが、女房と相談して、風呂に入ることにした。
さすがに気持ちがよい。入るまで、使い捨て手袋・使ったタオルはすぐに洗濯機と、基本ルールを決める。
この日、トイレも家のトイレ(今までは物置に作った仮設トイレで、毎回穴掘って処分していた)となった。
こちらも、マスクはもちろん、使い捨て手袋・タオルは使い捨てペーパーで軟禁中の自室のごみ箱・使う手は利き腕でない左手に・・などのルールを決める。
5日(木曜)36.4度・飽和酸素97。
いよいよ娑婆までのこり1日。あまりに飽きて、メダカ水槽の掃除(入れ物5個)を入念にやる。水槽はお外にあります。
6日(金曜)35.9度・飽和酸素97。
いよいよ、出所。こうしてPC前に座って・・・日常が戻ってきた。
結局あれ以降、行政からの連絡は何なかった・・・・毎日記録をスマホに打ち込んだが・・・読んでるんだんべか?あのソフト・・・せめて担当者が読んで症状をチェックしたら、「既読」のようなお知らせがあると親切で、患者は安心するんじゃないかな?
誰でも、今の状況ではコロナに罹患する可能性は大きい。気を付けるというが・・・何をどう気を付けるか・・・正直答えは見つからない。
人が集まる場所には行かない!!!などと、固い決意もいいが、そんなことして、何年も何年も過ごしたら、心病んで・たくさんの友達を失うだろう。
誠実に、思うままに生きて、コロナなら仕方ないさ~~~
7日の2m圏内接触者。
*濃厚接触・・・女房だけ。
症状はのどの痛みだけだが、それもやや薬の効果か、収まる。ただ、コロナは急変するなどとも言われているので、そうした漠とした不安はずっと付きまとう。
ひたすら本を読む(それしかないような・・・)・ベッドで横になる・時々コーヒーだ。
あまりに暇なので、使ってないラジオを持ってきてもらう。
女房と相談して、DVDの再生機をネットで買ってもらい(29日に届く)DVDなども時々見る・・・
そんな繰り返しなのだ・
夕方、館林の保健所から連絡がやっとある。
*症状の確認。
*緊急の連絡先のお知らせ。
*県の健康管理センターへスマホから症状を入力してもらう(こうして聞き取りではなく操作など可能な人は一方通行の入力での健康観察になるようだ・・)ための書類など送ると連絡。
*自宅待機には「支援物資」があると聞いたが・と俺が言うと、「あっ?必要ですか?じゃあ送ります」などの話で終了。これは、こちらから話を出さないとまず来なかったね。
女房と2人とも隔離だと、必要なものもあるかもしれず、余れば子ども食堂でもと思い、まぁ納税者の権利と頼んでみた。
以降・保健所からの連絡はない。
31日(日曜)36.2度・飽和酸素97。
県の健康観察センター
*入力作業の確認・その他は保健所とあまり変わらない聞き取り等であった。
みな、対応は親切で、こちらも世話になるな~~ありがたいなという気持ちになる。基本、どうも俺は軽症なので、行政の扱いもゆとりが感じられたが、これが切羽詰まっていたらどうなんだろうな・・などと、思った次第。
1日(月曜)36.2度・飽和酸素97。
支援物資が届く・・・・結構な量とバリエーションで、少し驚く。
DVD・・・「誰がために鐘は鳴る」を超久々に見たが、面白かった。あの長さを飽きさせないのは、内容も相まって、すごい映画だったと思う。
2日(火曜)36.3度・飽和酸素97。
症状は変わらず。食事・本・新聞・ベッド・コーヒーなどの繰り返し。女房は抗原検査キットで検査。陰性。
3日(水曜)36.1度・飽和酸素97。
症状は変わらず・・・・さすがに飽きた。女房は隔離期間が終わって、買い物など外出。
4日(木曜)35.9度・飽和酸素97。
朝起きると、喉が鈍痛・・頭も重苦しい・・・これが、やがて10時ころになると収まってしまう。この繰り返しが毎日続いている。
頭が晴れ晴れと、スキットとしないのは、後遺症でしばらくつづくのかしら・・・などと、悶々とする。
今までは、濡れたタオルで毎日体をふき・シャンプーは外の水道だったが、女房と相談して、風呂に入ることにした。
さすがに気持ちがよい。入るまで、使い捨て手袋・使ったタオルはすぐに洗濯機と、基本ルールを決める。
この日、トイレも家のトイレ(今までは物置に作った仮設トイレで、毎回穴掘って処分していた)となった。
こちらも、マスクはもちろん、使い捨て手袋・タオルは使い捨てペーパーで軟禁中の自室のごみ箱・使う手は利き腕でない左手に・・などのルールを決める。
5日(木曜)36.4度・飽和酸素97。
いよいよ娑婆までのこり1日。あまりに飽きて、メダカ水槽の掃除(入れ物5個)を入念にやる。水槽はお外にあります。
6日(金曜)35.9度・飽和酸素97。
いよいよ、出所。こうしてPC前に座って・・・日常が戻ってきた。
結局あれ以降、行政からの連絡は何なかった・・・・毎日記録をスマホに打ち込んだが・・・読んでるんだんべか?あのソフト・・・せめて担当者が読んで症状をチェックしたら、「既読」のようなお知らせがあると親切で、患者は安心するんじゃないかな?
誰でも、今の状況ではコロナに罹患する可能性は大きい。気を付けるというが・・・何をどう気を付けるか・・・正直答えは見つからない。
人が集まる場所には行かない!!!などと、固い決意もいいが、そんなことして、何年も何年も過ごしたら、心病んで・たくさんの友達を失うだろう。
誠実に、思うままに生きて、コロナなら仕方ないさ~~~
7日の2m圏内接触者。
*濃厚接触・・・女房だけ。