館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

ばらばらで一緒!・・・・これで僕は彼を信頼した。

2015-01-15 07:33:15 | 笠木透さんのこと。
昨日は誕生日だった・・ちょっと仕事が込み入っていて休めなかった。

それで、今日は「誕生日休暇」!

風呂でもいくかなぁ・・・その前に、どうも風邪らしく、非常にのどが痛い・・まず医者だな。



さて、記事は、笠木さんの話で、長く読みづらい・・・だからして、笠木さんとか、フォークとか、興味の無い方はパスがよろし。






2010年12月26日・・・栃木の佐野市で行われた「北関東憲法フォークジャンボリー」が事の起こり。

尊敬していたが、近寄りがたくもあった、笠木透さんと、新しい出会い(不遜な物言いを許してもらえれば、仲間の末席に加わったような・・かな?)があった。

それまで、彼とは、彼のコンサートを準備する側と、プロとしての彼という、関係であったわけだ。

この26日・・コンサートが終わり、片付けなど手伝った後・・・挨拶にと・・ロストの面々を引き連れ楽屋を訪ねた。

翌年2011年の1月には「あかんべ山コンサート」を僕らは、区切り良く、30年・30回で終止符を打とうと決意していた時だった。

挨拶に伺う・・・すると彼は

「あかんべ山を止めるんだと!」「止めるなら最後に俺を出させてくれ!」「ギャラはいらん!」と、ロストのべーべー達の手を握りながらのたもうた。

だいたい、あかんべ山を認知していたのにも驚いたし、止めることを知っていたのにも驚いたが、そこに出たいと、恐れ多くものたもうとは・・・

と、21世紀最大の驚きで、僕らは、その幻のような言葉を聞いていたのだった・・・


それは、現実のものになって、彼のおかげで、最後を飾れたように今も思う。1つのコンサートが終わっても、「歌う事」を抱きしめられ、今も続く僕らがあるのだからね。


そのコンサートの報告集に文を寄せてくれた。

その最後は「バラバラで一緒に!」と、結ばれている。

フォークソングの真髄をつかんだ彼自身の生き様・アマチュアへの寄り添い方・フォークは元々民衆がつくり、民衆が歌い育てたものだというゆるぎない彼の思想・・・これらが、この言葉にぎゅっとつまっていて、僕は彼への信頼を深めることになったのだった。

見事な言葉だなぁ・・・・(ところどころの僕へのリップサービスは、読み流すほうが真髄が伝わるでよ・・・)

北関東の人口7万あまりの小さな町が、僕のグループのホームだ。ここに、責任を持ち、挑んで、文化で変革の力になれれば・・幸せ。

そうして、日本のあちらこちらで、アマチュアは歌を、フォークを抱きしめている。バラバラに・・・・・・。

そして、そのあちらこちらに・・・・「バラバラで一緒に」の宿題を残し・・・遠くへ行ってしまった。

やはり、成仏できず、時々やってきて「一緒にはどうしたぁ・・・?」とのたまうか?



打ち直せばよいのだが・・・あんちょこに写真・・・・読んでみたい方には許せ!

前半の日本のフォークソング論は、さすが、中津川フォークジャンボリーの仕掛け人の論及です。






コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする