おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

しばしの憩い

2007-04-04 19:30:35 | Weblog

   バスの中で、話しかけられたのが始まりである。

名刺の 裏は
、写真家、俳人協会同人、書道塾、碁会所、広報、街 頭ルポライ


ター等と薬の効能書きのように盛り沢山であっ た。

  しばら
くすると写真展の案内ハガキが届き「今朝の、 あいち俳壇の慶応の人

読みました」と、一行書き添えてあ った。
 
   「* 端居せ
し祖母慶応の人なりき」

という私の入 選句のことである。とも
あれお礼でもと重い腰をあげ、そ の人の

写真展の会場である
スタジオへ出掛け彼と間近に 対面した時、亡くなった父が

そこ
にいるようで思わず息を 飲んだ。前回はバスの中でサングラスに帽子と

万博行きの 出で立ちだったため、彼の顔がはっきり
見えなかったので ある。

 それからは、俳句の添削をしてもら
ったり提出用の短冊 の句の手本を墨書し

てフアックスしてくれ
たりした。

 「先生と言うのはやめてよ」と再三いわれても止め
ない ので観念されたようだ

話しているうちに同い歳であること
 が分かった。

 携帯のメールでやりとりした戯れ言の俳句は、

  * 朝顔の紆余曲折の蔓の先     (先生)  

  * 今更に火中の栗は拾はまじ    (私)

  * 雪解けてふぐり現す陶狸      (先生)

  * 椿の実割れて再び華をなす     (私)  

  * 落椿裏を返せば笑ひけり      (先生)

  「何が笑ったんですか」と問うと「落ちた椿の花で.す強いて言えば花の蘂で

す」との答えだった。

  この五月に、時節柄マイ・パソコンを持った。見たい ものがあるという情熱

と集中力は、我ながらあっぱれ、マ ニアルと首
っ引きで、とうとう先生のホーム

ページが開い た。写真、短文、
俳句と夜中の二時まで画面を拡大してみ たり

それを六十句も
ノートに書き写したりした。  感想を求められたので、「八面六

ぴの編集に、おこがましくて、いずれお茶をご一緒した時にね」とメールした。

 月に一度は会っているが、

  「* 人の世を沈思黙考蝸牛」 から音沙汰がない。

 めぐり遭わせてくれた仏に手を合わせ ながら、知りすぎて疎んじられるかもと

思い

      「* 新茶汲み語り合うのも縁かな」

などと、こうした 憩いもあるのかと思っているのである。           

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