バスの中で、話しかけられたのが始まりである。
名刺の 裏は、写真家、俳人協会同人、書道塾、碁会所、広報、街 頭ルポライ
ター等と薬の効能書きのように盛り沢山であっ た。
しばらくすると写真展の案内ハガキが届き「今朝の、 あいち俳壇の慶応の人
読みました」と、一行書き添えてあ った。
「* 端居せし祖母慶応の人なりき」
という私の入 選句のことである。ともあれお礼でもと重い腰をあげ、そ の人の
写真展の会場であるスタジオへ出掛け彼と間近に 対面した時、亡くなった父が
そこにいるようで思わず息を 飲んだ。前回はバスの中でサングラスに帽子と
万博行きの 出で立ちだったため、彼の顔がはっきり見えなかったので ある。
それからは、俳句の添削をしてもらったり提出用の短冊 の句の手本を墨書し
てフアックスしてくれたりした。
「先生と言うのはやめてよ」と再三いわれても止めない ので観念されたようだ
話しているうちに同い歳であること が分かった。
携帯のメールでやりとりした戯れ言の俳句は、
* 朝顔の紆余曲折の蔓の先 (先生)
* 今更に火中の栗は拾はまじ (私)
* 雪解けてふぐり現す陶狸 (先生)
* 椿の実割れて再び華をなす (私)
* 落椿裏を返せば笑ひけり (先生)
「何が笑ったんですか」と問うと「落ちた椿の花で.す強いて言えば花の蘂で
す」との答えだった。
この五月に、時節柄マイ・パソコンを持った。見たい ものがあるという情熱
と集中力は、我ながらあっぱれ、マ ニアルと首っ引きで、とうとう先生のホーム
ページが開い た。写真、短文、俳句と夜中の二時まで画面を拡大してみ たり
それを六十句もノートに書き写したりした。 感想を求められたので、「八面六
ぴの編集に、おこがましくて、いずれお茶をご一緒した時にね」とメールした。
月に一度は会っているが、
「* 人の世を沈思黙考蝸牛」 から音沙汰がない。
めぐり遭わせてくれた仏に手を合わせ ながら、知りすぎて疎んじられるかもと
思い
「* 新茶汲み語り合うのも縁かな」
などと、こうした 憩いもあるのかと思っているのである。