世間で熟年という言葉が、言われ出した十二三年程前のことである。
会社の旅行で、恵那峡ランドへ行った。
乗り物に乗って遊ぶことになり、観覧車,海賊船、遠芯車、ジェットコースター。 私と気が合ってジェットコースターに、乗ったOさんは、
「私は未だ死ねない。未だ死ねない」
と握り棒を固く握り締めて、キャーキャー悲鳴をあげている
[何よ、乗ろう乗ろうって誘ったくせに目をつむったままで。私ちゃんと明けてるよ。いつ死んでもいいもの、特攻隊員はかくありしかってね」
かぶっているスカーフを顎の下で結び直した。
「守るも攻めるも、くろがねの!」
「いやだあ、そんなの!私三十年生まれだもん」
「私の娘と、あんまり変わらないのね.あの子の小さい時、動物園で乗ったけど怖かったわあ、デズニーランドの時も、息子が大学生だったからまだ怖かった。今何も怖くない の、壮絶!爽快!」
大声で早口に言ってるのだけど声が風で後ろにとんで行く。
巣作り症候群は、私達の年代までくらいで、今は熟年離婚、離婚予備軍などといわれるようになった。
風の便りに、Oさんの息子さんが結婚されたと聞いた。
肩の荷を下ろされたことであろう。
俳句
* たんぽぽや白きラシャ靴歩みそむ
* たんぽぽを繋ぐながさや母待つ子