おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

集団就職

2007-04-18 11:29:13 | Weblog

 「上野は俺らの心の駅」だと歌った井沢八郎が逝って、

この国の高度成長 期を担った団塊世代の時代が、終わっ

たと言われる。  

  もちょっと前、戦後の糸偏景気を支 えた女工さん達も、

やはり集団就職で あった。

 朝食のベルが鳴ると、大勢が一斉に 広い廊下をどど

どっと、不気味な緊張の音を立てて走るのである。

 御飯を掻きこみ、アルミの食器を、か らからと洗う

と人より少しでも早く 工場に入り何台もの機械に湯の

の繭 の糸の先をつけて周る。  個人の成績に一点

価を掛けて能率 給がはじかれる。私は、厚生課で、

400百人程の給料計算をしていた。 

 絹糸がすたれ工場が閉鎖になってか ら、同期会を

五十回も重ね、それも解 散となると今度は出生地に

って結婚 した人達が松本や諏訪で、有志の会を

 開いて、全国発信するようになった。

 宴会の始、諏訪大社の、おんばしら の木遣りを

いはっぴを着た二人が来て、 実に良い喉を聞かせて

くれた。  

 「十二歳や十五でねー募集人さんに 連れられて県

外までも行っただよねー」

 青春時代の話が、往時の雑魚寝の部 屋さながらに

夜明けまでも続く。

 翌朝 シャトルバスから見える諏訪湖は凪 いで、

あひる汽船が浮かんでいる。万 だの桜も静謐だ。

 会社発祥の地ではなかったか、立ち 湯の前を

った。  何故立ち湯なのか詮索しなくて良い福

利 厚生が整い出した時代に働いた平均年齢七 十

歳のお別れは「来年迄死なないでね ー」であった。

 俳句

    * ふるさとは桃源郷よ麦青む

    * アルプスに抱かるる里鯉幟

        *  ああ上野駅聞く掌の中に寒卵

    * この辺り女工哀史や葛の花

コメント
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