おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

カ メ ラ

2009-09-13 16:51:33 | Weblog

 人は誰も一つや二つのトラウマを抱えて生きている。
 私のそれは三、四歳の頃、父よりも良く遊んでくれた大好きな叔父が町の中央に、写真館を建てて、お嫁さんをもらって独立したことであった。
 建築中に家に居た男衆の捨さんが何かの用足しに行くのに一緒に行くと言って聞かずに着いて行って、よく歩いたと皆が感心したことがあった。
 幼稚園へ行くようになると叔父も私が可愛かったと見えて、終りの時間になると、よく義母を迎えにこさせた。自分の家が良い私は嫌々ながら写真館から通ったり、さっさと家に帰ってしまったりして心配をさせたりした。
 かんじんの叔父は暗室にばかり入っていて、出てきたと思うと玉突きに行って居て、よく食事時に呼びに行かされたりした。
 やがて、叔父夫婦に子供が出来て私への鉾先は変わって行った
小学校の運動会や卒業式、村のあちこちの結婚式などに三脚を、自転車につけて行って仕事をしての帰りに通学途中の私に出くわすと、座布団もない自転車の前にひょいと跨がせて乗せてくれるので、痛いとも言えずに目を白黒させて帰ったものである。
 終戦後、
進行癌にかかった叔父は再開して間もない写真館と三人の幼い子供を残こして若くして亡くなった。
 私は大好きな叔父を写真に盗られたような気がして、世間でステータス化されて流行しだした、写真を写すと言う事を好きになれなかった。いわゆるトラウマである。
 そんな私が今、一眼レフのカメラを人から譲り受けて挑戦する気になっている。
 携帯電話機で写した俳画をブログに入れているのを色が暗い、不鮮明、とプロの方に言われ続けて三年越しになるので、一念発起したのである。
 娘に「私が薄型を五、六万円で見てあげるところだったのに」とか、男の孫に「あ、そのカメラ僕欲しい」などと言われると使いこなせずにくれてやったのでは気が済まなくなり、重いプロ級のカメラを肩に掛けて、「おげんきパソコンデジカメ講座」に通い出したのである。一通りの事を覚えたら軽い小型にしても良いと思っている。

  俳句 愁思かなあの世の旅に立ちし人

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3 コメント

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Unknown (???)
2009-09-22 20:58:27
こんばんは!久しぶりに読みました。
トラウマの意味が違いませんかねえ???
8行目から3行。叔父さん叔母さん側からの状況と自身からの状況が混在化してませんか?叔母さんを迎えに来させ(叔父さん目線)以後(自分目線)なんだか分からない文章になっているようですが。どうかしら・・・
辛口診断ありがとう (ユーリー)
2009-09-23 07:32:04
心理学のことは解りません。心の傷くらいのつもりです。自分目線に変えました。
デジカメの功罪 (やまね)
2009-09-23 21:17:46
 若い頃からカメラには興味を持ち続けています。最近はデジカメ流行りの上に携帯電話でも写真が撮れるので、写真がぐっと身近なものになりました。今時“女子供でも撮れるようになった”などと言ったらきついお叱りを被るのでしょうが、貴女のような年配の方には特に抵抗もなく受け入れられることでしょう。
先日もラジオで「人間は何か一つ便利さを手に入れれば、必ず何か大切な物を失う」と言っていました。写真が簡単に撮れるようになって露出の方程式などという七面倒くさいものは無縁になりました。だから写真が写る原理も理屈も知らなくて済むことになりました。これでよいのだろうかと私は大変疑問に思います。
 フィルムは今でも決して安くはありません。だから一齣一齣を慎重に撮ります。デジカメは気に入らない駒は消して何度でも取り直せますから慎重さに欠けることになります。
 貴女の叔父様が撮っておられたような気持ちで勉強され、素晴らしい俳画の写真が掲載されるようになることを期待しています。

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