Yさんと、ござらっせ(温泉)へ行った。車に乗せて行ってもらいながら
「梅見頃梅見頃と唄っていても誰も誘ってくれない」とぼやくと「私、おととい知多へ梅見に行って来た」とのこと。
「平針の試験場も行ったけど未だ早すぎて、あそこは三月一日からが梅祭り」だそうな。
「良い情報をありがとう三日くらいに行くわ」と言うと
「三日は足助のお雛さんに行かなきゃ、私去年行ってきたよ」とおっしゃる。
お母さんを看る為に再婚相手と別れたのであって、お母さんを見送ってみると、もともと嫌いな仲ではないので、方々へ連れて行って呉れるのだそうで結構なことである。
ござらっせの帰りに
「古戦場は桜だけの記憶だから、近くの長久手農業試験場へ行ってみようか」
と走ってくれたが門が堅く閉ざされている。土曜日のせいらしい。
「家から市民会館まで街になってしまって前のように、梅が見られなくなってしまったのよ」
と言ってわが家から北西を走ってもらうと昔ながらの梅畑が三箇所ばかりあった。
土地の売れるのを待つ間は、梅を植えて農地で申請しておくのが、手間要らずで良いのだと聞いたことがある。
車を止めてもらって鑑賞すると車内まで良い香りがしてきて頭で連想しているのとは大違いで短く刈り込まれているのも風情が良い。
色は白やら紅やらあわいピンクやらで凛としていてまだこれからの旬の美しさである。家に招きいれた彼女と抹茶を飲みながら庭の緋梅を
「今年やっとこれだけに咲いたので毎日カメラにおさめてるの」と言うと
[花が小さいねー肥料が足りなかったのかしら?]
といわれた。
Yさんが帰ってから、ふっと、小倉百人一首の中に梅を詠ったのってあったかしらと気になりだして、カルタを繰ってみた。
桜は八首があるけれど梅はない。あのころ梅は珍重されてなかったのか未だ唐から入ってきて無かったということは無いだろうに。
「東風ふかば匂いおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」と詠んで流されて行った菅原道真と時代背景は違っていたかなあ。又気になることが一つ増えた。
俳句 薄氷の解けて行き来の人しげし
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