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昭和十九年二月、五人目に待望の男児を授かった父は、大喜びで餅を搗いて町内中に配った。
母は出征兵士の留守家族の多い近所に、気を遣って居る様子で、宮参りには、羽二重の産着を私の首から、吊るして抱かせ一人で行かせた。
国策で、生めよ増やせよと言っても、若い一家の主は、ほとんど出征していたし、食料は疲弊していた。
節句には、父は藪で青竹のとびきり太いのを伐らせ蔵の裏の越美南線沿いの、空に何匹もの鯉をおよがせた。あゆの風に終日矢車が、からからと音を立てていた。
終戦後、父は銀行に勤めだし、四月になると、夕方鯉幟を下ろすのは、主に私の役目で大きな布染めの、鯉が重くてうらめしく、まるでそれまでの、国旗掲揚の滑車の綱を手繰るようで、どさりと置いたりした。
幼稚園の面接で、「おなまえは?」と聞かれ「ぼっちゃん」と答えた弟は、農地解放を、実質的には知らぬのが、幸いで十三代目を曲がりなりにも継いでいてくれる。
おぐしはなくて、ぴいかりこである。
俳句
*空を呑み河一列に鯉幟
*武具飾る槍は鴨居に収まりて
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