福山雅治の若かった頃の主演ドラマ「ガリレオ」が、今またテレビで再放送されています。
「ガリレオ」といえば、学校でガリレオ・ガリレイのことを習いましたね。
ピサの斜塔の上から、重い球と軽い球を同時に落とし、両方とも同時に地面に落下する、つまり、
「物体の落下速度はその物体の重さによらず一定である」
というようなことを証明して見せた舞台がこのピサの斜塔だったそうですね。そして、ガリレオご本人もピザの出身だったそうです。
先日、テレビの旅行番組でこのピサの斜塔が放映されていたのが懐かしかったので、過去のブログにも書いたのですが、もう一度、取り上げたいと思います。
今からもう20年近く前の2005年、妻とイタリア・フィレンツェに旅行した際、そこから列車で約1時間半で行けるピザの斜塔へ行ってみたわけです。
ピザの駅に到着。
列車を降りて、ピサの斜塔のあるドゥオモ広場へ行くには、路線バスに乗るのが普通だったようですが、2、3キロ程度だったので地図を見ながら歩いて行くことにしました。
ピサの駅前。右手の方向にバス乗り場があります。
列車を降りたほとんどの人はバスに乗りました。
薄曇りの空。ウオーキングには最適です。
さて歩き始めようとしたら…
白髪で小柄な爺さんが「英語は話せるか?」と近づいてきました。
「少しだけなら…」とえらそうに答えた僕でしたが、
「あんたはフィリピーナかい?」と言われてしまった。
「フィリピン人? 違うで。ジャポーネや」と答えたら、
「そうかい」と頷いた爺さん。
「ピサへ行くんなら、〇番のバスに乗ればいいよ」と教えてくれました。
「ありがとう。でも歩いて行くから…」と言えば、爺さんはまた頷き、「歩くんなら、この通りをまっすぐ行って県庁のロータリーを左へ行って…」と、ナントカ通りをああ行ってこう行って…と、身ぶり手ぶりを交えながら親切に道を教えてくれたので、「グラッツェ(ありがと)」と言って離れようとしたら、グイと腕をつかまれた。
爺さんは、
「自分の家には病気の子どもがいて、金に困っている。いくらか恵んでくれないか」
と哀れな声を出したのです。な~んだ、それが目的だったのか。
「ごめん、僕もお金は持っていません」
…と断り、妻の手を引いて斜塔へ向かい始めました。
外国旅行はこういうのが多いので、油断なりませんで。
街の中は、日曜日だったせいか(知らんけど)、車も人もほとんど見えず。
見渡しても、誰もいないひっそりした道路の端を、地図を見ながら、テクテク歩きます。途中、また別の老人が1人ポツンと立っていて、じい~っとこちらを見ていました。
むむっ、またヘンなことを言ってくるのでは…と警戒。
するとその人は笑顔で「ボンジョールノ」と声をかけ、小さく手を振り、大きなあくびを一つした。
「あっ。ボ、ボ、ボンジョールノ」とあわてて僕は手を振り返した。
しばらく歩くと、アルノ川に出ました。橋から見る風景は、まるで絵画を見ているようで、しばらく立ち止まり、思わず見とれてしまった次第です。
もし、これまでの海外旅行の中で最も美しいと感じた風景は?
…という、どうにも答えようのない質問をされたとしたら、
あえて言うとすれば、たぶんこの風景だと答えるでしょうね。
アルノ川。まるで絵画のようですが、僕が撮った写真です。
このアルノ川を渡ると、ピサの斜塔のあるドゥオモ広場への標識がありました。
…にもかかわらず、この後、道を間違えて遠回りをしてしまった。
道を間違ったということもこの時はわからず、テクテクひらすら歩き、
2、3キロのはずだったのになぁ、と思いながら1時間ほど歩きました。
あとから思えばずいぶん遠回りしていたようだけど、やがて車の走る広い通りに出て、さらに歩き続けると、やっとこの場所に出ました。ドゥオモ広場の入り口でした。
右端に、壁をくり抜くような形で入り口があります。
その向うに、ピサの斜塔があります。
思ったほど観光客で混雑していることはありませんでした。
入口から、チラリとピサの斜塔が見えていますね。
斜めに傾いているから、すぐにわかりますわ(笑)。
ピサの斜塔は1173年に着工されて、1350年に完成したとのこと。
建設中に、すでに片側の地盤が緩んで、傾き始めていたらしい。
それなら中止すればいいのに、傾いたままで建設は続けられた。
で、世界に稀な塔が出来上がったというわけです。
斜塔を背景に。
ピサの斜塔は、中へ入って上まで行けるようになっています。
でも、大勢の人たちが並んでいたこともあって、僕らは中へは入っていません。
だいたい、僕は「並ぶ」というのが大の苦手なんですよね。
こんな感じで行列が。
斜塔の裏側にまわって、「根元」を撮影しました。
かなり、傾いているのがよくわかります。
ピサの斜塔は、20世紀に入ってますます地盤沈下が進み、
傾斜はさらに進行したということです。
そしてこの当時(2005年)から約25年前、世界各国の建設業者の智恵を結集して、堅固な側の地盤を掘削するという工法を中心に、大規模改修が行われた。
その間、公開は休止。10年にわたる作業が終わって、2001年から再び公開されたということです。
斜塔の見学を終え、再び歩いて駅に引き返した僕たちですが、「違う道を歩いて帰ろうよ」などと言いながら、またその道も道を間違えて遠回りをしてしまいました。
生きも帰りも道を間違えるってねぇ。
僕の方向音痴は、どうやら死ぬまで直りそうにありません(笑)。
実は僕も、「ピサの斜塔」と打つときに、つい「ビザの斜塔」と打ったりしていたので、昨日、広告の話を読ませていただいた時は本当に大笑いしました。
そんな広告が出ていたのですね、
せっかくですので、今日はそれに関するブログを書こうと思います。
ホント、楽しいコメント、ありがとうございました。