僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

日本ウダウダ会

2010年03月30日 | ウォーク・自転車

ある日、わが家に、僕宛のこんな封書が届いた。 

           

   

 

差出人の名前を見ると、長年お世話になっている先輩だ。
しかし、差出人の欄は、個人名がかすんでしまうほどの大きな字で、

「日本ウダウダ会」とあった。

妻が僕に手紙を手渡しながら、クスクス笑っている。

「日本ウダウダ会」とは、いったい何なのか…?

手紙を開封したら、次回の山登り会、というか、秘境を巡る会というか、そういう催しの案内が入っている。つまり、「登山&ウオーキングの会」なのであるが、その名称がどうやら今回正式(?)に、「日本ウダウダ会」となったようなのである。

「先日、貴兄が不参加だった時に、勝手につけました」
そう説明されていた。
…ということは、僕もいつのまにか「ウダウダ会」の会員になった、ということである。人に言うと「何やねん、それ…?」と突っこまれそうだけど。

僕はかつて「仙人をめざす会」という、これも「何やねん…?」と突っこまれそうな会の会員になっていた。

仙人をめざす会員たちは、女人禁制の霊山・大峰山へ何度も登り、修行を積んだ。
数年前には「さぬきうどん食べ歩き大修行」の苦行に挑み、そこでさらに、「恐怖の生ビール一気飲み」の難行にも挑戦した。
これほど数々の荒行を積んできたわりには、まだ誰も仙人になれないので、最近は活動が停滞している。おまけに「仙人をめざす会」の実行委員長である三宮君が、この4月に51歳の若さで市役所を退職することになった。

先週、三宮君の送別会を開いてそこで聞いた話だが、彼は市役所を退職後、大阪からはるか離れた地へ単身移動し、某国立大学に入学して、仙人学を専攻したうえ、本物の仙人になる学問にいそしむのだそうである。
「ほんまに、そんな仙人学科てあるんか…?」
と、僕が色めきたって聞いたら、
「ウソですがな。ははは。あるはずおまへんやろ。…法律を勉強しまんね」
ということであった。な~んじゃいな。

閑話休題。

「仙人になる会」が休眠状態になったとき、そこに新たに登場したのが、
「日本ウダウダ会」であった。
「仙人」から「ウダウダ」へ…。
名称だけ見ると、かなり志が堕落してきたように見える。
しかしまあ、お互いにウダウダ言いながら歩くのだから、誰が考えてもこれ以上ふさわしい名称はないだろうね~。

ということで、「日本ウダウダ会」の誕生である。

会長のウダ様とは、何年か前から、あちらこちらをうろうろ歩いている。
京都の平安神宮を出発して、大阪府の堺の港にある新日鉄工場までの「100キロウオーク」に参加したことも、2度や3度ではない(しかし、これはほんまにしんどい。最近は、誰も参加しよう…とは言わない)。
仲間の数は、せいぜい5、6人である。

ウダ様の趣味は、山登りと温泉と日本酒である。
山登り…とは言っても、山に限らず「限界集落」や「秘境巡り」あるいは「歴史に由縁のあるところ」を歩くことも含まれている。うらさびれ、朽ち果ててゆくものをこよなく愛する古典的な人で、温泉も、人気の高い温泉ではなく、人知れず、山峡にひっそり湯気を立てる温泉でないとダメなのである。そして、そこで伝統的な地酒に舌鼓を打つ…というのが、ウダ会長の至福の時間なのだ。

「さびれゆくもの、崩れゆくものを見ると、哀感が極まって酒を飲まずにいられないのです」と言うウダ様は、同様に滅びゆくものに万感の思いを抱いた俳聖松尾芭蕉が、その中で句を詠まずにはいられなかったと同様の衝動を感じて、この人はお酒を飲むのだろうか…と僕はぼんやり考えるのである。

さて、そういう傾向を持っておられる会長様が、次回に選んだ「ウダウダ歩く会」は、4月12日。奈良県の吉野の奥の奥、僻地の探検であった。

ウダ会長は、手紙で、今回は奈良県東吉野村の限界集落を巡り、天誅組の墓を訪れるのがテーマである、と書かれてきた。地図も入っていた。そして、そのあたりを歩き回った後、「さいごに、最も重要で神聖なウダウダ儀式を行いたいので、その場所をのんさんに探してもらいたいと思う」という重大な使命を、僕に託してこられたのである。

最も重要で神聖なウダウダ儀式…とは、つまり、歩き終えた後の「手たたき会」のことである。要するに、打ち上げの一杯飲み会だ。

会長は僕にその「手たたき会」の場所に3つの条件を付けてきた。

一つは、吉野川を望める場所であること。
一つは、旧伊勢街道沿いにある店であること。
最後の一つは、料亭・料理旅館・レストラン・居酒屋・焼肉・焼鳥・タコ焼屋・お好み焼屋などの類はいっさいダメで、昔ながらの「壊れかけの、うらさびれた食堂」であること。これが最も大事なことであります…と。

営業しているかしていないかわからないようなさびれた食堂で、戸を開けると、おばあさんが一人、奥のほうからよろよろと出てきて、「はい、何に致しましょうか…」としゃがれた声を絞り出すような…そんな昔ながらの食堂を、ぜひ探してほしい。「貴兄はインターネットで探すのが得意だと思いますので、よろしく…」。

手紙には、そう書かれていた。インターネット、と簡単に言うけれど…。

インターネットなんかには、到底出ていそうではない店を、インターネットで探せと言うのは無理だろう。万が一、あったとしても、本当に3つの条件を満たすものかどうか怪しい。インターネットにはガセネタが多いから。

方法は一つしかない。自分で実際に行って、この目で確かめることだ。

そんなことで、僕は3月20日の土曜日に、一人で吉野まで出かけ、近鉄吉野線の大和上市駅付近をぐるりと歩き回り、「吉野川を望めて旧街道沿いにあるうらさびれた食堂」を探し回ったのである。

結論を言えば、吉野川を望める位置にある店は、料理旅館やちょっとした料亭ばかりで、「さびれた食堂」はなかった。街道沿いを歩くと、趣旨に添うような陰気でさびれた食堂が何軒か見つかったので、それを10枚ほど写真に撮り、それらの店の写真とコース地図をウダ会長に手紙で書いて送った。さて、会長はどんな感想を持つことやら…。

僕の手紙と前後して、また「ウダウダ会会員各位へ」と、手紙が来た。
正式に集合時間と場所、そして最終的なコースが書かれていた。

参加人数の詳細は知らないが、たぶん6、7人だろうと思う。しかし驚いたことに、去年まで市長だった人、副市長だった人も「ウダウダ会」に誘われて入ったらしく、当日は共に参加すると言う。げぇ~。前市長なんて、雲の上の人であった。まあ、とても日本酒の好きな人ではあったが、なんともまあ、摩訶不思議なメンバーではないか。

ウダ会長は各会員に当てたその手紙の中で、
「なお、夕刻の『手たたき会』は、吉野川が望める旧伊勢街道のうらさびれた食堂を○○のんさんが見つける予定となっております」

そう書いてあった。

ついこの間まで市長だった人や副市長だった人も来るなどとは…えらいプレッシャーがかかる。

なんだか、また在職中に引き戻された気がするのであるよ。

 

 


 

 

 

     

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4 コメント

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うだうだ・・・ (坂上転駈(さかのうえからころがり))
2010-03-30 13:16:47
あさぼらけ

有り金の尽きをみるまでに

吉野の酒に群れるウダたち

返信する
Unknown (やまぶき)
2010-03-30 13:41:19
封筒を配達した局員は「うん??なんじゃこりゃ??」と思ったのでは
クスッと笑える会の名前ですな~
のんさんは定年後の生活をエンジョイなさっているようで読んでいる私までほんわか~気分です。
知り合いのご主人は定年したとたんテレビの前から離れず、「お~いお茶」「ご飯~」だそうです。
知り合い曰く「イヤになっちゃう」。

のんさん同様オットも市民ランナーであり、多趣味の人なんで心配はしてませんが

先日NHK「ラジオ深夜便」のコーナーでブエノスアイレスからのレポートなるものがありまして。
若い男性が電話でいろいろレポートし始めました。
ワタシ「うん、もしかして電話の主はヒロユキさん??」なんて思いましたよ。

この男性、滞在して3年近くらしいのですが、報告ではアルゼンチンはとても親日家なんですね。
移民でやってきた一世、またはこの国に根をおろして頑張ってくれている日本人の御蔭で私はイヤな思いをした事無い、と言っておりました。
時には「日本人です」というと拍手の歓迎もあったと。
ヒロユキさんのように立派に頑張っている人がいるから後から行く日本人が歓迎されるって感動です

日本とアルゼンチンの友好いつまでも~ですね
返信する
絶句… (坂上転駈(さかのうえからころがり)様へ)
2010-04-01 07:23:27
ブログを始めて4年半になりますが、こんなコメントをもらったのは初めてです

  あさぼらけ 有り金の尽きをみるまでに 吉野の酒に群れるウダたち

…これは、小倉百人一首・坂上是則(さかのうえこれのり)の、

  あさぼらけ 有明の月とみるまでに 吉野の里に降れる白雪

のパロディですよね。いや~、お見事です。
真似できませんわ。

筒井康隆の「裏小倉」も顔負けです。 

ちなみに筒井サンのこの句のパロディは、

  あかだらけ 死にかけのときとみるまでに 年のわからぬふれるしらくも

…というものですが、坂上転駈さまの作は、それ以上ですね。

それにしても、坂上転駈(さかのうえからころがり)という名前も…
どこからどういう発想でそういう名前が浮かぶのか…

あなた様の脳味噌の仕組みを見せてもらいたいです。僕を弟子にしてください。
返信する
貴重なお話、ありがとうございます (やまぶきさんへ)
2010-04-01 07:26:35
本当に、こんな「ウダウダ会」の封筒を作るなんて、思わず噴き出してしまいます。
会員の数も少ないのにね。

今日は4月1日ですね。
去年のこの日から、定年後の生活が始まりました。
ちょうど1年が経ちましたが、やまぶきさんにおっしゃっていただいたように、毎日をエンジョイさせていただいています。
しかしこの1年は、やはり38年間の勤務生活から大きく変化した生活に、戸惑ったことも確かです。
2年目に入り、こういう生活にも慣れてきたようですので、もう少し目標とか計画を明確にしながら、日常を過ごしていきたいな~と思っています。

さて、ラジオでブエノスアイレスからのレポートがあったとのことですが、
それでヒロユキのことを思ってくださり、ありがとうございます。
ヒロユキも、さぞ喜ぶことでしょう。

アルゼンチンはとても親日家なんですか。
やっぱりね~。
ヒロユキのレストランのスタッフの皆さんも、日本から来た僕たちを大歓迎してくれました。その時に、皆さん、日本という国に対して好感を寄せてくれているのかなという雰囲気は感じましたが、あくまでも、感じただけでした。
でも、ラジオでその男性がそういうふうに述べておられるのですから、きっとそうなんでしょうね。次にヒロユキにメールするときには、そのことを伝えます。

そのヒロユキは、先月5日に14年ぶりに帰国し、東京ではディズニーランドや築地を、こちらでは京都、奈良などを、彼女のソルちゃんと見物して、19日に再び地球の裏側へと帰って行きました。

ヒロユキが、日本とアルゼンチンの友好に、ほんのカケラでも役立っているならば、本人は言うに及ばず、ヒロユキの家族や僕らも本当に嬉しいことです。
そしてそれがまた、ヒロユキの幸せな人生につながっていくのでしょうからね。

貴重なお話を教えていただき、ありがとうございました。
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