今日も英語の話だけれど、昨日のECCでは、初対面のカナダ人女性講師から「あなたの職業は何ですか?」と聞かれた。
「ホワット・ドゥ・ユー・ドゥ?」というお決まりの文句だ。
ECCで初めての相手には、必ずこれを聞かれるので閉口する。
「仕事はアリマセン。3月に定年退職しました」
そう答えるしかない。
で、昨日もそれを言うと…
リサさんというカナダ人講師(美人!)は、目を丸くして、
「ン…??? ハウ・オールド・アー・ユー?」と僕に尋ねた。
トシ聞くなよ、と思いながらも、仕方なく「60歳だ」と答えた。
「リアリー?(ほんまかいな)」と彼女。
「アナタは60歳には見えない。10歳以上は若く見える」というようなことを、ペラペラと言ったかと思うと、次は、僕の頭の髪の毛を指差し、「そのヘアーはナチュラル(自然のまま)か?」と聞いたのである。
「イエス」と答えると、「オー、ヤー!」と僕をしみじみと眺めた。
白髪が全くないということもないが、僕の頭髪は、ほぼ黒い。
以前から「染めているのか?」とよく聞かれてきた。
もちろん、そんなメンドーなこと、僕がするわけない。
しかし、外国人に「頭髪はナチュラルか?」と聞かれたのは初めてだ。
相手が日本人なら「実はこれは、かつらやねん。アートネィチャーや」
とジョークも飛ばせるが、日本語のわからない外国人にはねぇ…。
「若さのシークレットを教えてよ~」
などと彼女は言っていたが、なにせ全部英語での会話なので、込み入った話のできない僕は、あとは笑ってごまかすだけであった。
すると、「オー、その笑顔が若さのシークレットね」と彼女。
好きなように思いなはれ。
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ところで、今の僕は、ある程度の英語力を、なんとかあと2ヶ月の間に身につけたいと、必死の毎日である。
2ヶ月後の9月下旬に僕は、妻と、妻の姉と共にアルゼンチンへ行く。妻の姉の次男が、首都ブエノスアイレスで10年前からレストランのシェフをしているので、彼に会いに行くのが主な目的である。
その旅行はすべてフリーであり、添乗員は付かない。大阪から東京の成田空港まで行き、そこからアメリカのどこかで乗り換え、南米アルゼンチンへ行くのだが、出発から到着まで、丸1日以上かかる。なにしろ、旅行は8日間だけど、ブエノスアイレスの宿泊するのは4泊である。つまり、移動時間があまりに長いため、4泊8日の旅行になるのだ。
ブエノスアイレスから飛行機に乗り、日帰りで、ブラジルとの国境にある有名なイグアスの滝にも行きたい。これも現地で段取りをしなければならない。甥が住んでいるとはいえ、仕事があるのでずっと案内してもらう、というわけにもいかない。アメリカでの乗り換えも、スムースに行ってほしい。
いろいろ考えていくと、これまでで最もハードな旅行になりそうな感じもする。なにしろ「ブエノスアイレス・フリーツアー」を申し込んだとき、旅行社の人も「珍しいですね」と言ったほど、日本人旅行者は少ないところである。どんな予期せぬトラブルに出くわすかも知れない。
海外旅行で起きるトラブルの多くは、言葉がわからないために生じる。
英語ができると、むろん旅の楽しさも違ってくるだろうが、何より無用のトラブルに巻き込まれないような状況判断ができる。英語圏でなくても、英語は威力を発揮する。英語は、いざというときには、必ずどこの国でも役に立つ。外国旅行では「英語が身を助ける」のである。
僕はうかつな人間だから、苦い体験を何度もしてきた。
すべて「英語さえわかっていれば避けられた」トラブルなのだ。
忘れられないのは5~6年前、フリーツアーで妻とイタリアのフィレンツェに行ったときのことだ。
関西空港からドイツのフランクフルトまで飛び、そこでフィレンツェ行きに乗り換えた。機内の日本人乗客は、僕たち2人だけであった。
外は悪天候のようで、ガタガタ揺れていた。
何度も機内放送があった。
イタリア語、ドイツ語、英語で機内放送が流れてくる。
むろん、何を言っているのか、まったくわからない。
そうこうしているうちに、飛行機はフィレンツェ空港に着陸した。
日はとっぷりと暮れていた。周りには、濃い霧が立ち込めていた。
乗客たちはタラップを降りて、空港のターミナルまでバスに乗った。
バスの中は、なんとなく騒然としていた。
多くの人が携帯電話でなにやら話しているし、目の前の男女のアベックは、ひしと抱き合っている。でもまあ、それがイタリア人というものなのだろう…と思いながら、僕たちはバスから降り、バッゲージ・エリアのベルトコンベアから、スーツケースが出てくるのを待った。
何人かの人たちが、そばのカウンタの空港職員に何かを聞いている。
乗客の様子を見ていると、なんとなく落ち着かない様子である。
でも、中にはゆったりと構えている人もいたので、特に何かあった、ということもないのだろう、と僕は思っていた。
今から思えば、もしもそのとき、自分に英語力があれば、そこで僕も空港の職員に「何かあったのですか?」と質問できたはずである。
返ってきた答えを聞いて、たぶんびっくりしただろうけど、しかし、それについての対応も教えてもらったはずだから、結果的には大事には至らなかったはずである。
でも、英語で話す自信がなかった僕は、、そこのところを怠った。
つまり、誰にも何も聞かず、事情もわからないまま、自分たちの荷物を持って、妻と2人で空港の出口へ行ったのである。僕たちをホテルまで送ってくれる車が来ているはずだったから。
しかし…その車がどこにも見当たらない。
おかしい。
フリーツアーだが、フィレンツェの空港からフィレンツェ駅前ホテルまでの送迎だけは、このツアーについていた。なのに、車が来ていない。
「しゃぁないな。タクシーで行こう」
と、タクシー乗り場へ行って
「フィレンツェの駅前の○○ホテルまで行ってください」
と、旅行前に覚えたカタコトのイタリア語で運転手に伝えた。
運転手の驚いた表情が、いまも脳裏に焼きついている。
「フィレンツェ…???」と運転手はびっくり仰天の表情だ。
「そう。フィレンツェ駅前のこのホテル」と、ガイドブックを見せた。
そのとき、運転手は何と言ったか?
「ここはフィレンツェやおまへんで。ボローニャ空港ですがな」
げぇっ。
「ボローニャ…? どこやねん、それ。 うそやろ!」
あぁ。
思い出す度にぞっとする。
すべて後で知ったことだが、この日、イタリア北部は霧が濃かった。
フィレンツェ空港はそのため着陸禁止となった。
僕らが乗っている飛行機は、着陸先を、そこから200キロ近く離れたボローニャという都市の空港に変更した。しかしこのボローニャも、霧が濃く、最後まで着陸できるかどうかわからなかったという。
それでも着陸を強行し、成功した。
(そういえば着陸した時、となりのおじさんが十字を切っていた)
飛行機からバスに乗り換えたときの乗客の様子がこれで理解できる。
みんな、携帯電話をしていた。
そりゃそうだ。
フィレンツェに着くはずが、200キロ近く離れたボローニャに着いたのだから、いろんなところに連絡しなければならない。
それと、バスの中でひしと抱き合っていた男女。
濃霧の中での危険を犯しての着陸になんとか成功したことで、2人はホッと胸をなでおろし、お互い、ひしと抱き合っていたのだ。
そんなことを何も知らず、のんきに構えていたのが僕たち、というより僕だけである。妻は僕に頼りきっているわけだから…。
荷物を受け取ったあと、他の乗客はみんな、航空会社が用意したバスでフィレンツェに向ったそうである。僕たち2人だけがここがフィレンツェだと思い込み、集団から離れて出口に行き、駐車場に迎えに来てくれているはずの車を探していた…というわけだ。
とほほ…どころの騒ぎでない。アホやがな。
そのあと、タクシーでボローニャの駅まで行き(だいたい、ボローニャというところも、それがどこにあるのか全然知らない)、カタコトのイタリア語で、駅員や列車待ちの客たちに尋ねまわり、ふうふう言いながらフィレンツェへ行く列車を探し回って、何度も違う列車に乗りかけ、
「この電車は違うみたいや!」
と、また別のホームへ走る、というドタバタを演じなければならなかった。今、思い出しただけでも、ぞっとするような、苦い体験であった。
(四苦八苦の末、フィレンツェ行きの列車に乗れたのは幸運だった)
あぁ、せめて、空港で、
「日本語のわかる人はいますか?」とか、
「何があったのですか?」ぐらいは聞くべきであった。
しかし英語は度胸とはよく言ったものだが、度胸や自信がないと、万事消極的になり、つい尋ねる機会を逃してしまい、あとでひどい目に遭うことになる。
今度アルゼンチンへ行くに当たっては…
なにせそこは地球の裏側で、南半球である。
今は真冬で寒い寒い、と甥がメールで書いてきた。
そんな国へ、飛行機をアメリカで乗り換えて、待ち時間を含め、何十時間もかけて行こうとするのだ。
アルゼンチンの公用語はスペイン語だけれども、ホテルや空港、レストランなど、オフィシャルな場では必ず英語が通じる。旅にはトラブルやハプニングはつきものであるが、それを最小限に防ぐためにも、今度こそ旅先で英語を話すことを恐れず、絶対にフィレンツェの二の舞は演じないぞ~ん、と強く思うのである。
退職後ずっと英語に力を注いでいるのは、その一念からである。
英語会話の力はなかなか身につかないが、ECCへ行き、外国人講師や他の受講仲間とのやりとりを通じて、英語に少しずつ「慣れる」ことはできてきたように思う。
髪の毛は黒くても(笑)、もう若くない僕である。
ハイレベルな英語力を身につけることは無理である。
せめて、英語に親しみ、慣れることをめざしたい。
このまま勉強を続けていけば、英語力自体はイマイチでも、それによって多少はつくであろう「英語度胸」をアルゼンチンに持ち込むことは、なんとかできそうである。
そのためにも、出発までのあと2ヶ月。 がんばりたい。