僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

日本 W杯出場決定!

2009年06月07日 | スポーツの話題

いつもはたいてい午後11時までには寝るのだが、昨晩は夜中まで起きていた。
もちろん、サッカーW杯アジア最終予選のウズベキスタン戦を見ていたから。


そして、日本は1対0で勝ち、4大会連続のW杯出場を決めた。
唯一のゴールは岡崎だった。最近の彼には、圧倒的な勢いがあるみたいだ。
TVアナウンサーは岡崎がゴールに走り込み、先制点を入れたとき、しきりに「大久保! 大久保!」と興奮して叫んでいた。岡崎やろ。ちゃんと見ぃや。


この試合のユニフォームは、ウズベキスタンが青で日本が白だった。見ていて何度も間違えかけた。青=日本とアタマに刷り込まれているので、青いウズベキスタンが攻め上がると、よ~っしゃ、と叫んだりして…。アホやがな。


試合展開は、ヒヤヒヤドキドキの連続で、まさに薄氷をふむ思い。
敵地での試合なので、審判も、日本にむちゃくちゃ不利な判定をする。
けしからんが、まあ、それがサッカーの世界だから、仕方がない。


日本は前半9分という早い時間帯に得点したけれど、その後、審判の「えこひいき」もあってリズムを乱してしまったのか、ず~っとず~っと、攻められっぱなしだった。ほとんど相手にボールを支配され、最後の最後まで防戦一方だった。


おまけにラストのロスタイムでは、日本選手1人が退場になるわ、岡田監督まで退場を宣告されるわで、どうなることかとハラハラしたが、なんとか逃げ切って試合終了のホイッスル。やれやれ…と胸をなでおろす。
相手のシュートミスに何度も助けられた形である。


むろん、GK楢崎の好プレーも見逃してはならない。


どんな悪い条件や展開でも勝つ、というのが何よりの成果だった。


しかし、こういうのって、とても心臓に悪い試合なのだ。ほんと。


ともかく勝ってW杯出場を決めてよかった。ホッとした。
こういうことは、早く決めるに越したことはない。


だけど、いつの間に、日本はこんなに早々とW杯への出場を決めることができるようになったのだろうか…。あれだけ長い歳月、W杯出場という大きな壁に何度も跳ね返され、苦しみもがいていた日本のサッカーが、前大会に続き世界で最初にW杯への出場を決めるなんて…。これまで、どう転んでも考えられなかったことである。アジアの出場枠が増えたのが大きいが、日本が国際試合での勝負強さに長じてきたことも確かだろう。


思えば…
12年前に、ジョホールバールで日本がイランを延長戦の末に破り、史上初のW杯出場を決めたときは、狂喜乱舞した。98年フランスW杯への切符だった。


しかし、その4年前、アメリカW杯行きの出場をかけた最終のイラク戦では、後半のロスタイムまでリードしながら、どたん場で同点に追いつかれ、ほぼ掌中に収めかけていた初出場の夢を無残にも砕かれたことが、つい最近のことのように思い出される。いわゆる「ドーハの悲劇」だが、その時、家族全員でTVの生中継を見ていた僕たちは、あまりの衝撃的な幕切れに、しばらくは口がきけなかった。僕の人生のあらゆるスポーツ観戦の中でも、あれほどくやしくて残念で悲しい思いをしたことはない。


その時、日本のTVスタジオで解説をしていたのが今の岡田武史監督だった。日本が痛恨の引き分けに終わったあと、スタジオにカメラが切り替わった。ブラウン管にアップで映った岡田武史は、無言のまま、ポロポロと涙を流していた。見ていた僕も、思わず泣いてしまった 。


かなりの独断だが、あの時日本は、ロスタイムに入ってからきちんと守れず、FWの武田修宏 (当時ヴェルディ川崎)が中途半端にチョロチョロ動いたことが、イラクの同点ゴールへの遠因となったのだ。その武田といえば、今では、しょうむないTVのバラエティ番組に出て、タレントに混じってチャラチャラ騒いだりしている。相変わらず軽い。見ていてムカつく。
お前のせいで94年のアメリカW杯に出られへんかったんやろ~ 。


あぁ…、また個人攻撃になった。Sorry 。
(さんざん書くだけ書いて、反省の弁…)


さて、これで日本は来年の南アフリカW杯に出場することが決定した。


やっとの思いで初出場を果たした1998年の仏大会では、1勝も出来なかった。
次の2002年は、日本が開催国だったので予選なしで出場し、ホームの利を生かして決勝トーナメントに進出したが、トルコに敗れてベスト8入りを逃した。
その次の2006年ドイツ大会は、これまた1勝も出来ずに予選敗退した。
自国以外では、まだW杯の勝ち星がない日本である。
岡田監督はベスト4をめざすと言うが、まず1勝を挙げてもらいたい。


思い起こせば…3年前の6月22日。
ドイツW杯の開催期間中に、僕は軽い脳梗塞になり、右半身が麻痺した。
ちょうど、日本対ブラジル戦の前日のことであった。
それから半月ほど、仕事を休んだ。
「ワールドカップにカンカンになりすぎたんと違うか?」
と、後日、友達にからかわれた。
真夜中や未明に、試合のTV中継があって、生活が不規則になっていたことは事実であった。


来年の南ア大会では、熱中し過ぎないようにしなければ…。

 


 

コメント (6)
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