僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

「奥の細道」の終着の地へ

2009年06月25日 | 旅行

先日、大阪駅から新快速に乗って米原乗り換えで、岐阜県大垣市へ行った。
ぶらりと日帰りの一人旅である。

大垣市は、芭蕉の「奥の細道」の旅の終着の地だ。

大垣駅前に立つと、

 芭蕉元禄の街大垣 奥の細道むすびの地

という大きな看板が立っていた。

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大垣市は、このブログにもコメントをいただいているのこたんさんが住んでおられる街でもある。この「奥の細道むすびの地」の詳しいことは、のこたんさんのブログで教えてもらった。


2年半ほど前、僕は東京都江東区の深川にある「芭蕉記念館」を訪ねた。
そこは、芭蕉の「奥の細道」の旅が始まった場所でもあった。

そのことを当時のブログに書いたら、のこたんさんからコメントをいただき、
「奥の細道」の終着地である大垣には記念館もあり、さまざまな史跡もあることを教えていただいたのである。のこたんさん自身が、そのことをブログに書いておられたので、それを見せてもらい、いつかこの場所へ行こう、と思っていたのだが、予定をしていた日に風邪を引いたりしてなかなか行けなかった。そしてこの間「あっ、そうだ…」と思い立ち、リュックを背負って、ふら~っと、その大垣へ、一人で出かけたのである。

「奥の細道」のスタート地点とゴール地点…。

40年以上の「奥の細道」ファンとしては、この2ヵ所に行かなければシャレにもならん…とず~っと気負い込んでいたものの、大垣は家から日帰りでも十分行ける場所なので、いつでも行けるわ…という気持がどこかにあったのだろう。
ともかく、今回、やっとそれが実現したという感じだ。

「奥の細道むすびの地」についてはこれを見ていただくとよくわかります。

http://bekkan.web.infoseek.co.jp/126musubi_chi/basyou_musubi.html


閑静な川沿いの遊歩道に、芭蕉が「奥の細道」の各地で読んだ句碑が、順番に建っている。最後が「むすびの地」の大垣で詠んだ「蛤の ふたみに別れ 行く秋ぞ」の句碑である。

大垣は、街全体が「奥の細道」という素敵な場所である。

大垣の街歩きに当たって地図を手に入れたかったので、僕はまず大垣市役所へ行った(注:その日は平日でした)。窓口に出てきた担当課の職員がまた、ものすごく親切な人で、いろんな資料を探してくれたあと、どこそこへ行けばもっと詳しい資料があります、と丁寧に場所を教えてくれたりした。

市役所の職員さんも、ここまで親切だと気持がいいし、市全体のイメージがさらにアップする。ふ~む、なかなかのモンじゃな~…と、この間までお役所に勤めていた僕は、大いに感心したのである(職員もいろいろだからね~)。

職員さんに教えてもらった場所のそばには総合福祉会館があり、その館内に「むすびの地記念館」もあったので、見学した。


さて、芭蕉は1689年3月27日(陽暦5月16日)に深川芭蕉庵(現芭蕉記念館)を出発した。そしてその年の9月6日(陽暦10月18日)に岐阜の大垣で筆を止めるまでの164日間、実に2400キロに及ぶ歴史的な旅を完遂したのである。

当時は、当然だが道路事情も劣悪で、治安も悪く、情報も少ないし、テレビもないし携帯電話もない(当たり前じゃ)。この過酷な旅に比べると、70日間自転車で大阪から北海道を往復した僕の旅なんて、お遊戯みたいなものである。

その20歳の時の自転車の旅では、特に北陸を走った時に「奥の細道」の道程と重なるところが多かったので、それも旅の楽しみの大きな一つだった。

芭蕉は江戸を出て、日光、白河、仙台、平泉と歩き、そこから西へ進路をとり、山形からは鶴岡・酒田と日本海側を北上し、秋田の象潟でUターンして新潟、富山、金沢、福井、敦賀と歩き、最後の大垣で5ヶ月半の旅を終えた。

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大垣市内をあちらこちらと歩き回ったあと、列車に乗って帰途に着いたとき、僕は「奥の細道」の文庫本を取り出して、改めてその旅程をたどりながら、自分がこれまで行った「奥の細道」ゆかりの地の数々を思い出していた。

出発地点の東京・深川芭蕉庵は前述したとおり、2年半前に行った。
そして、今回は終着の大垣へ。

深川から大垣まで、164日間をかけて芭蕉が弟子の曾良と歩いた場所のうち、自分はこれまで、どれくらい行っているのだろうか。
思い浮かべてみると…

東京都…深川芭蕉庵
栃木県…日光
岩手県…平泉
宮城県…岩沼、仙台、多賀城碑(壺の碑)、石巻、松島、鳴子、尿前
山形県…封人の家、最上川、出羽三山、鶴岡、酒田
秋田県…象潟
新潟県…親不知
富山県…倶利伽羅峠
石川県…金沢、山中温泉
福井県…永平寺、敦賀、福井市内

そして、この日、終着の岐阜県大垣市。

このうち半分ぐらいは20歳の時の自転車旅行で行ったものだが、それ以外で訪れたところ、二度以上訪れたところなど、それぞれに思い出深い場所である。

思い出、思い出、思い出…。
自分の60年を振り返ってみると、実にさまざまな思い出がよみがえるけれど、
「奥の細道」には、沢山の感慨深い思い出が埋もれている。
でも、思い出だけではなく、今、第二の人生へ第一歩を踏み出した僕にとっては、「奥の細道」は、これからの旅の案内人にもなってもらいたいものだ…。

そんなことを考えたりしながら、列車に揺られていた。

 

*大垣の写真と、ついでに「奥の細道」に関する過去の自分の写真の中から、いくつかを選んでみました。
  


 
   大垣駅前。



 
  大垣市内の川沿い遊歩道。芭蕉の碑が随所に見られる。



 
  その句碑のひとつ。「寂しさや 須磨に勝ちたる 浜の秋」

 

 

  
  一方こちらは「奥の細道」出発点。
  東京都江東区深川の芭蕉庵。記念館になっている。



    
    芭蕉庵の近くにある像。隅田川沿いに建っている。
    芭蕉はまず舟に乗って、ここを経ち、旅に出た。



 
  宮城県岩沼市にある二木の松。
 「 桜より 松は二木を 三月越し 」と詠んだ。
  松の後ろに小さな芭蕉の記念公園がある。

 

  
   松島(これは今年4月に撮影)。




  
 
  岩手県・平泉。「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡」の碑。
  これも今年の4月。

  


 

 
  宮城から山形へつながる陸羽東線の列車。「奥の細道」とある。 

 

 


 
 尿前(しとまえ)の関。宮城・山形の県境に近く、峻険なところ。




 
  尿前の関の近くにある封人の家(山形県)。
  この家で泊まった芭蕉は
  「蚤虱(のみしらみ) 馬の尿(ばり)する枕もと」と詠んだ。
  むさくるしい夜の様子がよく出ている有名な句だ。

 

 

 

 この写真は、40年前。20歳の時の自転車旅行で撮ったもの。
 山形県・温海(あつみ)町で、日本海のそばに建つ句碑。
 「あつみ山や 吹浦かけて 夕涼み」


 お し ま い 、です。

 

 

 

コメント (6)
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