昨日の朝刊に、宮崎県在住の113歳の男性が亡くなったことで、新たに京都府の112歳になる男性が、全国最高齢者になった…という記事が載っていた。
その112歳の男性・木村次郎右衛門さんは、1897(明治30)年生まれで38年間郵便局に勤めたあと定年後は「悠々自適の年金暮らし」をしているという。
この御長老に限らず、昔の公務員は退職金も沢山もらい、年金額も驚くほど高い。まさに退職後は「悠々自適」で、今から思うと隔世の感がある。
僕も38年間公務員をしてきて、この3月に定年を迎えたわけだが、そんな「悠々自適」などと呼べるような生活ではない。退職金は10年ほど前に退職した人に比べると4割近く減っているし、年金額も、そういう人たちに比べると驚くほど低い。
昔へ遡れば遡るほど、公務員というのは結構な身分であった。
(今は厳しい。しかも、これから益々厳しくなっていくだろう)
さて、この木村老人が、6月20日に記者会見を行った。
このときに出る質問は、もう決まりきっている。
「長寿の秘訣はなんですか…?」という質問である。
そして、それに対する答えは、
「腹八分目です」ということであった。
これまた、決まり文句である。
こんなやりとり、面白くもなんともない。
おまけに記事の最後には、最近の政治の感想として、
「麻生首相はすべてにわたって頼りない」とご老人のコメントが載っていた。
こういうのも、お決まりのセリフだが、それを聞くマスコミの側もそう言わせようとしているフシがある(首相が頼りないのは事実だけれど…)。
新聞社も、この手の記事には、もう少し工夫を凝らせないのかと思う。
ところで…
本当に腹八分目が長寿の秘訣なのだろうか?
僕などはその話を聞くと、100歳を過ぎてもまだ腹八分目も食べるのか~?
と、びっくりしてしまうのである。
五木寛之さんがエッセイの中で「腹八分目」について書いている。
これがとても面白い説なので少し紹介してみたい。
健康の秘訣は「腹八分」とは昔から言われている話だが、「腹八分」でも多すぎる気がする、と五木寛之さんは書く。そして次のような説を展開する。
10代の少年少女は食べるだけ食べて基礎体力を養うべきで「腹十分」。
20代は「腹九分」で大いに運動をする。しかし「腹十分」の時代は過ぎた。
働き盛りの30代こそ「腹八分」が原則。そろそろ体力が落ち始めてくるから。
40代は下腹のせり出すのに要注意だから「腹七分」でコントロールする。
50代は「腹六分」。体はもう出来上がっており、燃料補給もその程度でいい。
60代は「腹五分」。執筆当時五木さんは67歳で、1日1食半を通したという。
以下、70代で「腹四分」。80代で「腹三分」。
90代となれば「腹二分」でどうか。百歳になれば「腹一分」。
それを越えれば、もう食べなくてはいいのでは…。
と、まぁ、こんなふうなエッセイである。そんな無茶な…と言う人もいるだろう。しかし、今回の112歳のご老人の「腹八分目」の話を聞くと、「食細くして命永かれ」の精神からはむしろ遠のいているのではないかと思うのである。
爺ちゃん、そのお年で「腹8分目」は食べすぎ違うか…な~んてね。
五木寛之さんのエッセイには教わるところが多く、よく拾い読みをする。
五木さんは1932(昭和7)年9月30日生まれで、76歳である。
意外に知られていないようだけど、東京都知事の石原慎太郎さんも、
1932(昭和7)年9月30日生まれである。
つまり、五木・石原のご両人は、生年月日がまったくいっしょなのだ。
お互い間もなく77歳のお誕生日を迎える人とは思えないほど元気である。
112歳の最高齢者の方のコメントより、このお2人に、
「それだけの健康と活力を保つ秘訣は何ですか…?」
と聞くほうが、はるかに面白いと僕は思うのだ。
少なくとも「腹八分目です」という紋切り型の返事はされないだろうから。