めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

災害は、私達が作っている!?

2015-07-16 15:17:00 | 自然災害

私達日本人は、恵まれた大自然の中で、春夏秋冬
様々な恵みに育まれ、命を繋いできました。
特に、今の時期、大量に降る雨は、私達が長年
主食としてきた稲を育てる大切な役目を果たしました。

さらには、時折南方からやって来る台風は、一気に

降水量を増し、生き物たちを育てるに十分な雨を
日本の大地に降り注いでいます。
今でこそ、大型台風の被害や梅雨時の豪雨による
人的物的被害がニュースで取りざたされますが、
もし、この雨が無かったら、日本人はこんなにも豊かな
食料を手に入れる事は出来なかったのです。

では、何故、梅雨も台風も、人々にとって悪い印象でしか
無くなってしまったのでしょう。
確かに、地球温暖化に伴い、異常気象が頻発し、集中豪雨や
大型台風が増えて、災害が頻発するようになったのですが、
この原因は、自然の変化だけでなく、多分に私達の生き方が
原因である、つまり、人災である事も否めません。

昔から、台風や大雨が降ると、少なからず災害が起こって来ました。
しかし、その被害が年々大きくなるのは、一概に、自然の成せる事
ではないのです。

大量の雨は、山から川を流れ海に下ります。
また、内陸を通り最終的に海に流れ出ます。
そもそも、山や陸に降った雨の通り道は、昔から同じ経路を通り
ただ流れるだけでなく、私達に様々な恵みをもたらしながら
海へ下って行ったのです。
ただ、その流れ方が、近年、異常に成ってしまったことも
災害が起きやすくなった要因でもあるのです。

そもそも、陸に降った雨水は、重力に任せて次第に低い所に集まり
最終的に海へと流れ下るのですが、その通り道は、決して川だけでは
有りません。
一番大きな流れは、川の様に思われがちですが、実は、地下水として
流れる量が膨大なのです。

目に見えないだけに、私達はその存在に目を向ける事は殆ど無く、
その無尽蔵な水脈に目を付けたのは、近代工業に伴う多くの
工場でした。
様々な工業製品を生み出す時、大量の水が必要です。
高度成長期には、日本中の工場が地下から大量の水を吸い上げ
各地で地盤沈下の問題も多く起こるほどでした。

この事は、今でも変わらず、大量の地下水は、日本の農業だけでなく
工業も支えているのです。
しかし、この大量に必要な水が、今では足りなくなっているのも事実です。
必要以上に雨の降る最近の気象状況にも関わらず、何故水が足りないか、
この事が、今の日本で起こっている、多すぎる水と足りない水の問題です。

なぜ、こんなにも雨が降っているのに、更には、災害を起こす程の降水量
にも拘らず、水が足りないのか。
そこに、我が国が抱える深刻な水問題があります。

山に降った水や陸に降った水は、一体どこに行くのか。
今の日本の土地利用を知ると、その問題が浮き彫りになります。
近年の、日本の陸地利用は、都市部のコンクリート化、農村部の
田畑の減少、河川のコンクリートによる下水道化と、全てが
水の通り道を塞ぐ構造と成っています。

山に降った雨は、大地に染みわたり、更には川と成って下ります。
川は次第に大きくなり、周囲の水を集め流れ下ります。
しかし、川は、単に、水を流すだけでなく、周辺の耕作地に、大量の
水を供給します。しかし、その耕作地の面積がどんどん少なくなり
大量の水を必要としなくなっています。

さには、住宅地に近くなると、次第に大地の表面は、コンクリートや
アスファルトに覆われ、水がしみこむことなく、そのまま、川や海に
一気に下り始めます。

最大の通り道である地下への道は閉ざされ、流れ下る水の量は
多くの被害を起こします。
大地に吸い込まれることなく流れる鉄砲水は、住宅地を襲い
川を氾濫させ、海には、大量の汚水を放出する事になります。
地下水は雨が降っても増えず、慢性の水不足が工業地帯ですら
起こっているのです。

私達の生活は、確かに便利で機能的になって来たのですが、
これは、自分たちの目先の都合だけを考えた結果であり、
その反動が災害を大きくしているとも言えるのです。

素晴らしい日本の自然は、私達が、大自然とバランスを取りながら
その中で生きて行く事で成り立っている事を忘れては成りません。
今や、自然をねじ伏せる様な政策は、自らの首を絞める様なものです。
数十年、数百年先の事を見据えた国家づくりを考えて欲しいものです。