めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

近所に笑顔が溢れていた頃

2015-07-18 15:59:14 | 昔良き時代

昭和30年前後の日本の街は、今より木造家屋が多く、
戦後間もなくの事も有って、公共事業もなかなか進まず、
人々は、町々で昔からの伝統を守り、今で言う
良き日本の原風景の様な街並みが多くありました。

道路も、地方ともなると、舗装されている事は、国道以外

非常に少なくて、定期的に陥没した土の道路に、砂利を
撒いたり、砂を入れたりと言うのが現状でした。
そんな訳で、車が通ると、砂埃が激しくて、民家の軒先から
庭まで砂が舞い込む事は普通の状態でした。

しかしながら、当時の日本は、娯楽こそ少なかったものの

隣近所との繋がりは強く、いつも助け合って生活していたのを
覚えています。

ちょうど今の時期は、夕方ともなると、各家の前には縁台が置かれ

夕食前に、近所のお年寄りや子供達が座って、井戸端会議ならぬ
世代を超えたコミュニケーションが日常でした。

縁台に置かれた将棋や囲碁に興じる大人たち、周囲でコマを回したり

縄跳びをしたり、カケッコをしたりする子供達、そして、誰かが
持ってきた井戸で冷やしたスイカが切られると、誰もがそこに釘付けです。

強い日差しを避けるために軒に立てかけられたヨシズが、強い夏の日を

柔らかな日差しに変え、金魚鉢の水を怪しげに揺らせます。

次第に、太陽が傾いて来ると、西の空から茜色に染まり始めます。

各家の煙突から夕飯の煙がゆっくりと上がるのが見える様になると
近所のどこかの夕食の匂いが漂って来ます。

日中の強い光に赤や青の原色の花弁で夏を象徴していた朝顔が、

西日で茜色に染まって行く頃、親に呼ばれた子供達が足早に帰って行きます。

縁台の将棋も片付けられ、年寄りや大人たちも自宅に帰り始めると、

真っ赤に染まった西の空に、黒い物が盛んに飛び交います。
夕方に多く集まる蛾を求めて、コウモリたちが沢山集まって来ます。

次第に、空の色が暗赤色から濃い藍色に成り、次第に真っ黒の帳が降りると、

空一面に、満天の星空と成ります。

こんな毎日が続いていた昭和の時代は、今の日本では考えられない世界です。

その頃を懐かしむ私達の世代だからという訳ではなく、当時の日本は
確実に世代間の繋がりがありました。

まだ生活は豊かでは有りませんでしたが、人々の心はいつも暖かく

街全体がゆったりとした時の流れの中にありました。

様々な物が手に入り、世界の情報を瞬時に知ることが出来るようになった現代

あれだけの幸福感を感じた事は有りません。
機能的で便利な事が幸せであると錯覚してしまうと、大切な物を見失い
いつも心が休まらない毎日を過ごす事になるような気がしてしまいます。