めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

知る喜び、知らない幸せ

2015-07-13 16:54:48 | 人生

若い頃は、何事にも好奇心を持ち、沢山の知識を
得る事が、学業に於いても、日常に於いても大切でした。
知らない事を知る事により、増々勉学の楽しさを感じたのも
青春の頃でした。

そして、学際時代に得た多くの知識が、大人となって

様々な仕事に役立ち、社会の中で生きて行く大きな力となり
今の自分を作りあげてきました。
同じような志を持つ者同士が集まり、同じ目的に向かって進めば
得られた喜びは一入となりました。
学問は、一生を通じて必要であり、死ぬまで勉強であると
自覚するようになって、いまだ、沢山の事を知ることが
大きな喜びと成っています。

しかしながら、その反面、これらの知識が本当に役に立っているのか

疑わしくなっているのも、最近の気持ちの中に沸いてきたのも事実です。
と言いますのも、自分の得た多くの知識が、自分にとって非常に大切で
苦労して身に付けただけに、無二のものと感じていたのですが、
今では、その知識をはるかに上回る内容のものが、ネットの世界を覗けば
いとも容易く見る事も手に入れる事も出来る様になっているからです。

例えば私の蔵書のほとんどは、もっと解り易く正確にまとめられて

ネット内から見つけられますし、日常生活のハウツウや健康やスポーツ
と言った分野も、膨大な知識が簡単に手に入ります。
要するに、一番最新の情報が簡単に手に入り、かつての情報も
今では、もっと詳しく正確に知ることが出来るのです。

つまり、様々な知識は、本棚にしまっておくことも、頭の中に

忘れずしまっておく必要も無く、必要と成ればいつでも最新最適の
情報として手に入れる事が出来るのです。
私が持っている多くの書籍も、今では、古い情報と言える事も多く
私の頭の中も、過去の考えで凝り固まっているとも考えられるのです。

沢山の知識を身に付けても、その知識が本当に役に立つか

もっと有効な知識が有るのではと言う疑念が沸いているのです。
こんな事なら、必要でない知識を詰め込まないで、必要な時に
ネットから取り出せば、それで十分ではないだろうかと思ってしまうのです。
なまじ、余計な知識が判断を鈍らせたり、間違った行動を起こさせたり
仕事を難しくしているのではと思ってしまうのです。

特に年を重ねると、判断力が鈍りがちで、脳の力が衰えたと言うより

判断材料を多く持って居る為に、かえってスピードを落としてしるのではと
老化による能力の低下を、医学的見地よりも感じているのです。
若い頃は、軽薄な判断や行動をしがちですが、その反面、
様々な分野で活躍する事が出来、正に、知識がない事による
新たなる喜び勝ち得る事が出来る様にも思えるのです。

年を重ねると、世の中の事や自分の事が解ってくるもので、

自分がこれからどうしたら良いのかも良く解かっているのです。
しかし、考えた末、何もしない、出来ないというのが有ります。
もし、今若かったらと、多くの高齢者が思います。
しかし、若かったらどうするかと言う答えは皆知っているのです。
でも、知っているからこそ、動けなくて苦しんでいるのです。