めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

もう、蹉跌は踏まない!

2015-07-03 20:32:05 | 戦争

梅雨の季節になると、決まって、日本のどこかで災害が起こります。
毎年の事ながら、この国は、様々な自然災害と共に歴史を歩んで来ました。
昔から、地震、雷、火事、おやじ、と言われる程、自然への恐怖と畏敬の念が
私達のDNAに刻み込まれている様です。

そんな、自然の驚異に立ち向かい、私達の先祖は、その力に屈することなく

たとえ勝つ事は出来なくとも、その力を恵みに変え、大自然と共存する事で
この素晴らしい日本の国土を作ってきたのです。

しかしながら、過去100年に渡る私達の自然への行いは、あまりにも我ままで

私達の英知を、自分たちの利益の為のみに使って来ました。
その為、多くの自然が失われ、そこから得られていた様々な恵みが得られない、
数千年の間、日本人が培ってきた自然との共存が出来なくなる事態となって
しまっているのです。

私達が生きて行く基本である食料調達が、今や自国の力だけでは到底なされず、

一度世界からの調達が滞れば、たちまち日本国民は食料危機に見舞われるのです。
これからの時代、次第に食料調達が難しくなり、当然、国民の生活は苦しくなるのは
避けられません。多くの人々が路頭に迷い、世の中がより一層暗い時代へと歩を進め
ややもすると、また、蹉跌を踏む事にもなりかねません。

いまや、所得格差は著しく、ほんの一部の人が潤い、多くの大衆が苦しむ時代へと

日本社会が進んでいるのに心を痛めている執行部はどれだけいるでしょう。
歴史は繰り返すと言う言葉が有ります。
あれだけ苦しんで、多くの人達や国々に辛い思いをさせた事を、どれだけ深く
心に止めている人がいるでしょう。

見てくれの繁栄は、人々の心に大きな虚無感と無力感を生むだけです。

そこを埋める為に、更にあらゆる物を破壊し奪略する道を決して進んでは成りません。
明治以降、我が国は何度この人として在るべき姿でない行為を行なってきたでしょう。
憎しみは憎しみを生み、悲しみは悲しみを生みます。

自分たちが失ったものや得られなくなったものを海外に求める事に力を入れる前に、

失ったものを復活する為に、自国の自然を取り戻すために努力すべきでは
ないでしょうか。
もう、バブルの時の様な、無駄を喜ぶような生活を望む人はほんの一部の人です。
本当の幸せは何なのか。多くの国民は、二度と蹉跌を踏まない気持ちでいるのです。


カメの様に、ゆっくり、諦めず進む

2015-07-03 15:16:19 | 人生

本格的に梅雨らしい天気になって来ました。
九州南岸に停滞してきた梅雨前線が上昇し、
いよいよ関東地方も鬱陶しい毎日と成りました。

早朝のウォーキングも、雨の合間を縫って出かけますが、

タイミングが悪いと、帰る前に降られてしまいます。
とは言うものの、一汗かいて帰宅すると、体中に力が漲り
血液が隅々まで流れている様に感じます。

ウォーキングも、半月を過ぎると、かつて歩いていた頃の

様々な感覚が蘇り、ただ歩くだけでなく、様々な事を考えます。
最初の頃は、調子を取り戻す為に、歩き方や体の動かし方を
考えながら歩いていましたが、以前の様に歩けてくると、
距離を伸ばしたり、スピードを変えたり、インターバルトレーニングを
加えたりと、より効率の良い、身体にとって如何に有効な
歩き方へと変わって行きました。

ウォーキングから遠ざかっていた間も、運動は欠かさず

日曜以外は行っていたのですが、殆どが室内で行っていたため
筋力は有るものの、有酸素運動になると、思う様に身体が動かず
ウォーキングも、ピッチを上げたり、途中でランニングを入れたりすると
途端に息が上がってしまいます。

最初は、何故、こんなにも早く呼吸が荒くなって、身体が動かなくなるのか

体力は有る筈なのにと思っていたこともあり、少々落胆しました。
その原因が分かったのは、始めて一週間程でした。
室内で行っていた運動は、息が切れる程の有酸素運動でなかった為
呼吸量が浅く、十分に筋肉に酸素がいきわたらない状態でした。

つまり、100メーターダッシュの様な状態で、歩いていたため

リズミックナ呼吸が成されず、酸欠の状態になっていたのです。
その後、長距離走の様な、ゆっくりとした長い呼吸に変える事によって
ようやく息が切れないで歩けるようになりました。
負荷をかける筋肉運動は行ってきたのですが、最近の運動は
有酸素運動が足りなかったようです。

かつて、様々な呼吸法を研究した事も在ったのに、いつの間にか

忘れてしまうのは、本当に情けないものです。
医者の不養生と言う言葉が有りますが、スポーズの事や、
運動生理学等について、昔から勉強したり実践していたのに
いつの間にか、自分自身が悪い例に成ってしまっているとは
思っても見ませんでした。

若い頃、中高年になると、様々な健康障害が起こると言うのを知って

年を重ねても自分は大丈夫と思っていたのに、実際その年齢になると
様々な所から糸が解れて、同じ穴のムジナと成ってしまうのは
残念と言うより不覚です。

しかし、対処法は山と有ります。後は、やる気だけです。

様々なサンプルに対する方法は、熟知しています。
そう書きたいものですが、いざ、取り組んでみると、
その実践を阻むものが、思いもかけない程現れるものです。

かつての名選手が、年を重ねると、普通の人以上に体力を失い、

見る影もない事は珍しくありません。
若い頃に体力をつけるのは、差ほど難しい事では有りませんが、
高齢になって体力を付けたり維持したりすることは、若い頃に比べ
何倍も強い意志が必要です。

中々思った以上に成果が上がらない事に、諦めやすくなるのも

高齢者の傾向です。
でも、何もやらなければ、身体は次第に、自分の気持ちと裏腹に
老化をしていくものです。
若い人の様に、激しく強くは出来ないものの、物語のウサギとカメの
カメの様に、一歩ずつ焦らず出来る事を止まらないで進めて行くのが
最良の方法の様に思えます。