戦後半世紀以上を過ぎて、今や、日本人が最も心に不安を抱える
日々と成っています。
戦争の恐怖を身近に感じたことはまず無く、長年に渡って、天下泰平
平和の中で生きて来た日本人が、次第に膨らんでくる恐怖に怯えます。
目の前に付きつけられた死刑執行の様に、誰もが、突然地獄に落とされ
平和な日々が失われるかも知れないのです。
もちろん、一億人がすべてその惨禍に見舞われるのではないのですが、
その不幸は、自然災害とは桁外れに大きく悲惨です。
一万人規模の犠牲者を出した東日本大震災であっても、国民の全てが
その脅威に身震いし、次に訪れるとする大震災に怯えました。
しかし、戦争と成れば、犠牲者は桁外れに増え、けが人だけでも
数百万人規模と成ります。
さらに、放射能汚染、毒ガス散布と成れば、国の機能が損なわれる程の
危急存亡の状態となります。
所が、かと言って、何が出来るか、生き残るために何をしたらいいのかが
全く解っていないのが、多くの国民の心境と言って良いのです。
つまり、どの様にその惨禍から回避するのかと言う、具体的な対策が
国から全く指示されることなく、ただ、連日マスコミが有識者を集めて
騒いでいるに過ぎないのです。
もともと、戦争を想定した街が作られている訳ではなく、国民自体が
何処かの国と戦う為の教育を受けて来た訳ではないのです。
ネットで流される緊急警報も、来たから何をすればを示すものでは無く、
ただ、神判が下され、死ぬかもしれないと言う通達に過ぎないのです。
この事は、私達がミサイルの標的に晒される恐怖と言うより、如何に、
その様な非常事態を前提に生活していないかが解ります。
お隣の韓国では、連日、開戦の日を想定して、北からの砲撃爆撃に対し
様々な具体的な回避手段を訓練しています。
そう、すでに韓国は、戦争状態と言ってもいい社会体制なのです。
我が国はと言えば、ディズニーランドのパレードの中に、核ミサイルが
落下してくるような状態なのです。
無駄に世の中を荒立てないと言うのが政府の方針なのかも知れませんが、
国民がいかに守られるのかと言う実感を感じられないのが現状です。
日本の平和な日々は、如何に、脆弱で、私たち日本人は、死の淵に
立たされていると言っても過言ではないのです。
一番の問題は、日本の未来が、北朝鮮とアメリカの成すがままで決まり、
日本国民の安全が、他国の一存で決まってしまっている事です。
私達は、虫けらのように殺されるかもしれないのです。
抵抗する事も、自分達の存在意味を主張する事すらできずに、
多くの犠牲が払われる可能性がある事です。
国民の安全を守る事は、国家事業の基本です。
如何なる外敵にも、国を守る事が出来てこそ、国としての存在意義があり
国民の平和が保証されるのです。
しかし、今の日本人の平和は、自国の力に依る平和では有りません。
第二次世界大戦の後から現代まで、他国の力を借りた平和に過ぎません。
日本国の平和を守ってもらうための便宜があり、常に、上層部に於ける
莫大な金銭の授受があって成り立っているのです。
多くの大企業は、日本を東アジアの盾とする事で、様々な利益を得て、
より多くの収益を得ているのです。
戦後半世紀以上も経って、何故、日本は、アメリカに支配され続け、
沖縄は、アメリカの軍事基地と成っているのか、それこそ、日米に於ける
利益の共有が生んだ悲劇と言えるのです。
東西の力のバランスがとられていた時はまだしも、現代に於いては、
国だけでなく、様々な地域における戦争勃発は、世界のバランスを崩し
日本に於いても、単に、基地の常駐化だけでなく、その場所が最前線と成り
戦地と成る可能性が高くなっているのです。
日本を守ると言う軍事基地は、同じく、敵の標的と成り、我が国土も
戦火に晒される可能性が高くなっているのです。
実際の戦争は、物語の様に様々な前触れが有ったり、いきさつが作られた
見る側を楽しませる様なものでは無く、突然に、日常生活が変わってしまい
突然、死が隣り合わせと成るのです。
自分が肉片と成って散るか、偶然逃げ延びるかは、運としか言いようが
有りません。
ハワイの真珠湾が突然戦火に晒されるその瞬間まで、日常的な日々が
続いていたのです。
どこに居ようと、何をしていようと、その時は、地震の様に、突然やって
やって来るのです。
そんな恐怖を国民に味合わせている日本政府は、自分達が逃れる事しか
考えていません。
どんな戦争も、まずは、幹部が生き残る様に成っていて、国民は、
何の手立ても無く、虫けらのように殺されて行くのです。
高度成長期の日本の発展も、日本の進歩の様に伝えられていますが、
この時、本当に莫大なる利益を得られたのは、ほんの一部の企業や
富裕層に過ぎないのです。
多少の見返りは有ったものの、国民の殆どは、消費経済に踊らされ、
やがてバブルの憂き目に会うのです。
そして、日本の自然も、日本国民も、大きく傷ついたのが高度成長期です。
この事は、例え戦争と成っても、同じであり、犠牲を強いられるのは
多くの国民と言えるのです。
消費する事が幸せの道の様に仕立て上げられた日常は、誰の周囲を
見渡しても、必要でない膨大なる道具に溢れ、日本国民の日常は、
消費によってもたらされた、無駄な日常品や生活道具に溢れています。
例え、思いのままに買い求められる経済力があったとしても、殆どの人が
手に入れたものに対する未練はすぐになくなっています。
多くの経済的な豊かさは、周囲の他人に対するパフォーマンスに過ぎず、
本当に心が満たされている人はほとんどいないのです。
はっきりいって、生活に溢れる様々な物品は、手に入れた時点で、
興味が無いと言って良いのです。
日本人の多くは、単に経済的に豊かになったとしても、何の幸せにも
繋がらない事が解っているのです。
それ故、更に、豊かな求める物に触手を伸ばす事を辞めなないのです。
しかし、戦争は、そんな豊かな生活を破壊するだけでなく、人の心も身体も
一瞬にして消し去ってしまうのです。
物はともかく、自らの命を失ってしまっては、元も子も有りません。
何にも代えられない大切なものへの危機感を募らせているのです。
こんな事は、今まで日本人には無かったことです。
身の回りの物品は失っても、失ってはならないものを感じ始めているのです。
高度成長期の時、バブルの頃には、一番感じなかったものを自覚し始めて
言い知れない恐怖を感じ始めているのです。
しかし、その恐怖を、今の政府は全く癒す事は出来ません。
何故なら、長年に渡って、日本人の心を守って来たのではなく、日本経済を
守って来たからです。
戦争により、日本経済が損失する事は恐れても、日本国民が傷つく事は
全く理解できないのです。
戦後、半世紀以上に渡って、日本政府は、国民の為に働いていないのです。
日本経済を発展させ、その関連企業を育てる為に働いて来たのです。
そう、第二次世界大戦もそうでした。切っ掛けも、追い詰められた日本経済を
復活させるために、南アジア進出を狙ったのです。
つまり、日本のリーダー達は、国民を守るために立っているのではないのです。
この事が、今や、日本が戦争に巻き込まれる恐怖を創り出した原因と言えます。
アメリカと敵対していると宣言する北朝鮮が、我が国にミサイルを打ち込む
意味はないはずなのです。
私たち国民がミサイルの危機にさらされるのは、日本がアメリカの基地の
最前線と成っているからなのです。
アメリカが駐屯する見返りを得る事に依って、日本経済を作って来た
私欲を肥やす消費経済主義を貫いて来た輩たちが、本当の原因と言えるのです。
本来、東アジアの国々がお互いにいがみ合う利益は何もなく、アジア地域での
発展を目指せば良いのであって、そこに、アメリカが利益を求めて
割り込んできた事が、東アジアの多くの問題を引き起こす事と成っているのです。
世界中に進出し、その地の資源を手に入れる為に戦争を起こす手段は、
歴史を紐解くまでもなく、アメリカ発展の手段であり、世界の混乱の原因とも
言えるのです。
昔から、大国の侵略、各国の植民地化に依る支配は、常とう手段でもあり
未だに、多くの争いの場を作っているのです。
その策略にまんまと乗せられてしまったのが、戦後の日本社会であり、
今この時、戦争に、ミサイルに怯える日本国民を生んでいる事となって
いるのです。
いつも上ばかりを見ることを強いらせ、国民に足元を固めることを
させていない日本経済は、何時まで経っても欲求不満で不幸せな国民を
多く作る事と成りました。
その結果が、国民を守れない政府と、不安と成っても何もできない国民を
生む事と成っているのです。
例え戦争になったとしても、このまま事なきを得たとしても、日本社会は
末期状態を迎えていると言えます。
永久に続くアメリカ支配と、自立できない国民、そして、国民を守れない
坊ちゃんお嬢ちゃんの集まる政府では、日本は崩壊の一途を辿ると言っても
過言では無いのです。
地に足の着いた国民としっかりと日本丸を進められる船長と船員が居る
社会が生れることが、本当に日本人が幸せになる条件と言えます。
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